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日本が降伏したとき、中国に赴任していた人(軍人ではなく)がいたと聞いたのですが、それはどのような職業だったのですか?
そして、そういう方々は日本に帰ることはできたのですか?
また、もし帰ることができたとして、中国に留まるのと日本に帰るのとではどちらの方が賢明な選択でしたか?
理由も詳しく教えてください。
質問が少し多いですが、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>日本が降伏したとき、中国に赴任していた人(軍人ではなく)がいたと


>聞いたのですが、それはどのような職業だったのですか?

当時の中国大陸はアヘン戦争以降、ほぼ一世紀に渡り列強による利権獲得競争にさらされており多数の外国人がいました。
勿論、日本も日清・日露戦争で獲得したいわゆる「満蒙の特殊権益」を有し、満州事変当時でも15億円(これは大正後期の国家予算に匹敵する数字です)を中国大陸に投資するなど、中国への経済的進出は国を挙げて行われていました。
更に満州国建国後は多くの日本人が満蒙開拓移民として送り込まれ、この数は30万人前後と言われています。
つまりほぼあらゆる職業の人間がいた言ってよいでしょう。

>そして、そういう方々は日本に帰ることはできたのですか?

大部分は日本軍の引揚時に一緒に日本に帰りました。
ただ満州にいた日本人はソ連軍の残虐行為にさらされ悲惨な目にあった人が多いようです。
先述の満蒙開拓移民で日本に帰ることが出来たのは全体の1/3程度と言われています。

>また、もし帰ることができたとして、中国に留まるのと日本に帰るの
>とではどちらの方が賢明な選択でしたか?

中国にあった日本人の財産は戦後すべて中国かソ連に接収されています。
また長年の戦争により日本人に対する敵意も強く、残るのはまず無理でしょう。
勿論、日本に帰っても戦後の混乱により彼らへの対処は後回しにされこれら「引揚者」は苦難の生活を余儀なくされています。
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旧満州以外にも中国本土には鉄道関係者や鉱山、工場技術者が従事していました。


鉄道の経営、列車の運行などは高度の技術が必要でしたし、鉱山や工場の操業維持にも技術者が必要でした。

当然これらの技術者は残留をのぞまれました。
帰国するか留まるかは自由意志でその両者のケースがありました。留まる場合は待遇など好条件が約束されました。

どちらが賢明な選択かは個々人の問題、考え方ですからわかりません。
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終戦当時、中国各地、特に旧満州地域は多くの日本人が住んでいました。


開拓民を始めとした一般庶民や満州国官僚、日本の出先機関の官僚、満州鉄道を始めとした企業の従業員達です。
多くの場合、働き手、一家の大黒柱たる男手を現地召集され、避難・帰国も後回しにされ、集団自殺や略奪・強盗・強姦の末、殺された例も多かったのです。
特に満州では、ロシア軍の組織的略奪・強盗・強姦等の犯罪行為により、多くの日本人が亡くなっています。
その犠牲者の一部が残留孤児の方々です。

>もし帰ることができたとして、中国に留まるのと日本に帰るのとではどちらの方が賢明な選択でしたか?

言うまでもなく帰国の方でしょう。
共産中国では、文化大革命や経済政策の失敗で、何千万人もの人々が犠牲となっています。
直訴村の報道等、自由のない腐敗した国に留まることは、未来を放棄することでしょう。
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