街中で見かけて「グッときた人」の思い出

江戸幕府では、各地の大名にその土地を任せていたと聞いたのですが、その土地に住む農民は年貢を大名と幕府のどちらに納めていたのでしょうか?どなたか分かる方がいましたら、回答をお願いします。

A 回答 (3件)

たんなる雑文です



当時の農民の感覚では納税していた相手は
大名でもありませんし幕府でもありません
大名○○様のご家来の○○様の領地 として自分の住んでいる土地を認識していた為
その土地の領主に収めていました
もっと農民側からみれば、その土地の庄屋に税を納めていました

各地の大名にその土地を任せていた と言うのは自治権を認めていたと言う事なので
例えば、加賀は前田家の国であって徳川の国ではありません
当然、そこに住んでいる人も前田国の人であって徳川国の人ではありません
もっと言うと、年貢率は村ごとに違っていたんです。
信濃国の年貢率の酷さは伝説ですよね。1俵の大きさが他国に比べて大きくしかも飢饉でも他国以上でした。日本一の豊かさを誇った地方持高制の伊達家は3公7民が基本で、飢饉の際は4公6民であったと言われます。
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大名です。


幕府は幕府で将軍家の直轄領として天領とか御料とかいうものを持っていたのでそこから税収を得ていました。
こう一言で言ってしまうと語弊があるんですが
簡単に説明するならば
将軍家は大名の中で一番巨大なものなのです。
この辺りは平安時代辺りから大名の形成の歴史を辿っていくと分かるんですが長くなるので割愛します。
興味があればご自分で調べてみるといいと思います。
高校の教科書を丹念に読み込む程度でも理解できると思います。

天領は
元禄年間で約400万石程度あったといわれています。
有名な外様大名で加賀の前田藩ですら加賀100万石ですよね。
それを考えるとその凄さが分かるかと思います。
佐渡金山などの鉱山等も含め全国各地に天領は存在していました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。おかげでスッキリしました。

お礼日時:2007/12/09 20:37

大名や旗本領ならば大名、旗本またはその家臣(家臣に領地を与えている場合)に、幕府の直轄領なら幕府(実務は郡代や代官が取り扱いますが。

)に納めていました。
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