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バロックたとえば、 スカラッティや、バッハの曲の課題をもらったとき、曲の感じを、出すのに、どんな練習をしていますか?いろいろな、練習法教えてください待ってます。

A 回答 (6件)

右手だけで弾く、左手だけで弾く、メトロノームにあわせて弾く、両手で弾く・・を繰り返して、自分が機械になったみたいな感じになるまで弾くっていう感じですね。

バロック系の曲はあまり叙情的に弾かない方が感じがでると思いますが。
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こんなに遅い回答でいいのでしょうか……。

すいません。
バッハを良く知るには,カナダのピアニスト,グレン・グールドのCDを
聴くと良いでしょう。彼はバッハに忠実だし,当時のチェンバロ風に弾むように
弾いてるので,参考になるのでは?ゴールド・ベルク変奏曲集など売ってます。
でも,彼は本当に天才なので,まねをするのは難しいかもしれません。
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#3です。


若干の補足をします。
ポルトガル語でいびつな真珠の意味であるBaroccoから来ているバロック音楽を体現するとはどういうことか?ということを道楽で演奏をしていた学生時代に私はいつも考えていました。
バロック音楽とは装飾(装飾技法だけでも研究対象になるくらいです)を含む即興であり、そのための鍛錬をつむことがバロック愛好者としての勤めである、と言うのが結論でした。
そしてその鍛錬とは18世紀の演奏技術の基づくものではなく現代の演奏技術によるものではないか?と考えました。
それはどういうことかと言うと、大バッハの時代には鍵盤楽器において指は3本しか使わなかったという説もありますが、勿論チェンバロでも、クラビア(フォルテピアノ)でもない現代楽器を扱うならそれを再現する方が難しいかもしれません。
もう一つオリジナル楽器を使用すべきかどうかも考えました。
最近は古楽ブームで当時の演奏を再現するのがトレンディではありますが、個人的な考えではモダン楽器でもオリジナル楽器でもどちらでもその特性が引き出せればよいかと考えています。
では例えば鍵盤楽器においてモダンピアノで演奏する場合には何をすべきか、というのがtomaさんの趣旨ではないかと思います。
#1や#2の方が言っていた機械的な演奏のための練習という意見がありましたが、演奏と言うのは自由なものですからこういう解釈も否定することはできません。
ではなぜこういう意見が出るかと言うことです。
例えばバッハのインベンションの模範演奏CDというものがあります、こういったCDでの演奏と、例えばグールドのような特異な演奏ではなくかなり昔の巨匠(エドウィン フィッシャーなど)の演奏を聞き比べても同じ曲だと感じる人は少ないと思います。
さて、ではなぜ機械的な演奏を良しとする人がいるのでしょうか?
それは音楽への関わり方の違いかと思います。
私は勿論素人ですからどんなことをしても自由ですが、コンクールでの評点を目指す、音大に在籍している、伴奏者として声がかかることを必要とするプロもいます。
逆にそういったプロ(あるいはプロを目指す人)にはそういった無機的な練習も必要であると思います。
例えば音大に在籍していて指導教官がそれでないと駄目と言えばそれまでのことなわけです。
つまり音楽への接し方と言うのは一様ではなく人それぞれかと思います。
私は単なる一愛好者として自分なりのバロック音楽を見つけようとしていますが、それはあくまでも自分のための音楽であって人に評価されるようなものでもありません。
人それぞれかなと思います。
あとスカルラッティについてですが、これはバロックと言うよりロココのイメージがあります。
フランスバロックのクープランの楽譜を見ると分りますが、事細かに装飾の説明があります。
スカルラッティは楽譜にはそこほど装飾記号はありませんが、自分なりの装飾は結構あったほうが花があるのかなと感じています。
参考になったかどうか分りませんが。
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何十年か前の古い考え方では、バロック時代の音楽があまり感情を表現しないようなストイックなものであるようにいわれていたようです。


たとえば、フォルテ、ピアノなどの表記があまりない、したがって、強弱はそれほどつけないとか・・・。
当時は、演奏家イコール作曲家すなわち自作自演であることが多く、その後の時代のように楽譜に詳しい指示はせず、極端に言えば、メモ書き程度のことが多かったようです。フォルテ・ピアノなんてわざわざかくほどでもなかった・・。ですから、Botticellianもおっしゃっているように、気ままに装飾音をつけたり、リズムを変えたりするのが当時の習慣だったようです。強弱も演奏者の判断で豊富につけていい、あるいはつけるべきでしょう。
ただ、自由にとはいっても、300年も前の時代の人々の感じ方、考え方は当然現代とは違っている部分も多いでしょうから、いきなり現代風の感覚で装飾したり、曲想をつけたりすると、ちょっとへんかなって、ことになってしまうかもしれません。
CDなどで有名演奏家の演奏をいくつか聞いて見て(それが当時の演奏をふまえているという保証はありませんが・・。残念ながら、バロック時代の録音は残っていないので!)。少なくとも、専門的に研究をした演奏家の演奏は何らかの参考になるはずです。
いっぽうで、かならずしも、当時のとおりに演奏しなければならないということもないでしょう。現代に生きるわれわれが現代人に聞かせるために現在の楽器で演奏するんですから。

具体的な演奏のアプローチとして、ひとつ頭に浮かぶのは、フレーズは歌うというよりも、語りかけるようにするのがいいようだということです。
メロディーラインが現代の感覚からすると、起伏に乏しく感じられる(情緒的ではない??)曲が多いと思われるかもしれませんが、長いフレーズで”歌う”のではなく、”語りかける”感じにあつかうと、曲想が生きてくることが多いのではないでしょうか。

バッハの鍵盤曲は、いくつもの旋律が饒舌におしゃべりしあっていますし、スカルラッティのソナタは、あたかも、今即興で指の先からあふれ出てきた宝石のように、自由に演奏されるべきだと思います。
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tomaさんはバロックはお好きなのでしょうか?


私は大のバロックオタクです。
大学時代は趣味が昂じてピアノどころかバロックのサークルでチェンバロも弾いていました。
さて、バロックというのは基本的に即興であると多くの演奏家の演奏を聴いて、あるいはコンソートを行って私は感じています。
実際にバロックの巨匠の演奏を聴くと分りますが、楽譜通りにすら弾いていない方が普通なくらいです。
というか楽譜通りに弾くと何か物足りない感じがしますよね?
そこが譜面に表情記号がたくさん記されているロマン派との違いです。
楽譜には記されていない作曲者の意図はもちろん個人で解釈するしかありません。
ただ実際には個人のインプロヴィゼーションもある程度パターン化していることは事実ですが。
そのため指導者によって好み、解釈を押し付けられる、殺される可能性もないではないかもしれません。
#1や#2の方の回答を見ると分る通り、バロックと言うのは無味乾燥・機械的と解釈(私に言わせると大間違い)している人は多いですし、そのように指導されることが多いのも事実です。
もしあなたがグールドの演奏が自然だと感じるならそれを真似しても誰にも止める権利は無いわけです。
ただ最近は大分状況も変わり、古楽ブームで18世紀の演奏を再現する試みが増えています。
バロック研究家に言わせると当時は演奏はもっと自由であった、というかバロックの精神自体、時代に合わせてさらに自由に解釈してよいと言うことみたいです。
例えばC.P.E. バッハのチェンバロ曲(後半はピアノ曲)の楽譜を見ると分りますが、左手は通奏低音しか書いていないものもあります。
(それは他の楽器のソロソナタ、トリオソナタでもそうですが)
もちろんオブリガートで記されているものもあることはあります。
で、演奏家の演奏を聴けば分りますが、通奏低音のものでもオブリガートを勝手に作って弾いています。
もうこうなるとジャズと同じです。
もちろん楽譜通りに和音を押さえるだけの方が楽しいのなら何も言うことはありませんが、即興が行える能力を養うのも楽しいものです。
何にしてもバロックを無味乾燥で機械的なものとは捉えないで自分なりの楽しみを見つけていただけるとこれに勝る喜びはありません。
練習頑張ってください。
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普通の曲のように「楽しい感じ」とかいうのは不必要。

無表情になって、とにかく一拍・1小説と規則的にこなす。
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