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とある漫画にそういう表現があります。
先進国でもいまだに出ているのにありえないと思うんですが。
食料に困ることはなく、餓死と言う言葉も存在しないとはどういうことなんでしょうか?
死や飢えの概念自体が何か日本のそれらの単語とは別物なんでしょうか?
教えてください。

A 回答 (3件)

中国共産党支配を批難するネガティブ・キャンペーンの一つですね。


先進国である現在の日本ですら、餓死者は出ます。
当然、チベットでも中国共産党支配以前から餓死者は出ていましたよ。
当時の史料にも、飢饉などで大勢の人が死んだ事に関するモノも残っています。

体制派にしろ、反体制派にしろ、必ず自分たちを美化したり、相手を貶めようとして、過去・現在を通して、事実をねじ曲げたり誇張したり、意図的に無視したりします。
そして、「歴史」というのは、意外と容易にそれが出来る分野でもあります。
歴史の一面は、自分たち(国家・民族)を正当化するためのフィクション(ストーリー)です。
欺されない為には、多くの情報をキャッチし、事実関係を精査・理解し、利用する能力が必要です。
これが情報リテラシーという能力であり、歴史を語る上ではもっとも重要な能力となります。
まぁ、言うは易すしですけど。。。
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2008/05/09 17:44

 以下のサイトに,文献引用が2つほど出ていますが,それによりますと,見解は相反しているようです.



引用(1)
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大正時代にチベットに留学した青木文教『秘密国チベット』(芙蓉書房出版,1995.12)によると,産業は原始的な農業,牧畜のみで工業はほぼ絶無,
 食料の自給も出来ず,ブータンから輸入してたような状況だったそうだ.
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引用(2)
-----------------------------
ちなみに『清帝国とチベット問題』(平野聡著,名古屋大学出版会,2004.7),225~6頁を読むよろし.

[quote]

 しかも,チベット現地基層社会に対する清帝国エリートの認識は,十九世紀のかなり遅い段階まで,たとえダライラマ政権に対して不信を抱き,その自治に否定的な見方をしていた官僚であっても,
「辺外の田園には麦や豆が植えられ,見渡す限り青々としており,民情はなおも安謐に属する.
 蕃民は耕作に勤め,婦女は毛や糸を紡いで絨毯をつくり,男耕女織のさまは内地の景象と異なるところはない.
 僧俗のなかでも明らかに事に通じる者は,蕃民が升平の福を久しく享受していると称する」
と記する通り,清帝国のもと調和のあるチベット社会が実現していたとするものであった.
[/quote]
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 ただ,その続きの記述を見るに,後者の書籍には信頼性に問題があるようです.
 個人的見解としては,青木文教の記述のほうが信頼できるだろうと愚考いたします.

 他の回答者の方の
>過去のチベットのすべてを美化するのも間違いです。
に賛同します.

参考URL:http://mltr.ganriki.net/faq18m02.html#11097
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2008/05/09 17:44

そんなのは嘘です。


昔のチベットでも、寺院が地主兼領主として農民を支配し、天候が悪ければ餓死したり、年貢の取り立てに苦労していました。

今のダライラマは海外生活も長く、理性的な人だとは思いますが、だからといって過去のチベットのすべてを美化するのも間違いです。
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2008/05/09 17:44

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