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有名になる前・後ははどのようにして絵を売っていたのでしょう?
どこかの業者と契約していたのでしょうか?
画商に絵を持って行ったら買ってくれていたのでしょうか?
いつから有名なったのでしょう?

A 回答 (1件)

岡本太郎は貧乏画家出身ではありません。

 父親は有名な漫画家岡本一平、母親は有名な作家岡本かの子です。 太郎自信慶応の幼稚舎、普通部を経て東京美術学校(今の東京芸大)に進んでいます。 東京美術学校は中退しましたが、1929年 父のロンドン軍縮会議取材に伴い、渡欧。その後、ソルボンヌ大学哲学科で哲学・心理学・民俗学を学びました。1940年、パリ陥落に伴い帰国し、1942年海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け、甲種合格で召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送りました。 1946年に復員して東京都世田谷区上野毛にアトリエを構えてから本格的な芸術活動を開始し、1948年には花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」を結成。 1954年にアトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立、『今日の芸術』初版を刊行しました。 これだけの華麗な経歴ゆえ、自分の作品を抱えて売り歩く必要などありませんでした。 そして1956年、 旧東京都庁舎(丹下健三設計)に「日の壁」「月の壁」など11の陶板レリーフを制作して、一般にも広く知られるようになり、1964年の 東京オリンピックの参加メダルの表側のデザイン、1970年の大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作などで、名声を不動のものにしました。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました!

お礼日時:2008/05/19 13:59

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