【お題】王手、そして

今、高校一年です。
将来は教師になりたいと思っています。
そこで質問なのですが、中学教師と高校教師の違いはどのような所でしょうか?

具体的には
・それぞれの大変なところや辛いところ
・それぞれどのような時に喜びや楽しさを感じるか
・給与や休みの日数の違い
等です

六月には文系と理系の選択が決まります。
それまでに教師という職業がどのようなものか出来るだけ詳しく知りたいです。
そのほか、教師についてどんな事でも良いので教えてください。

A 回答 (3件)

こんにちは、いま大学で教職をとっているものです!


教師とは子どもを教育する立場であって、子どもの将来に影響する
人間だと思います。
大学では普通の科目(私は音楽学科なので音楽に関する知識)以外に
どうやって音楽を教育するか、
どうやって生徒にリコーダー合奏を教えるか、さらに教育するときに必要な知識や教育の法律、
責任、児童生徒の一般的な性質(生徒への様々な理想的対処法)も
勉強して試験もあります。
これを学ぶ前は教職だけとればいいやって思っていましたが
実際に学んで見ると生半可な気持ちでは教師はやれないと思うようになりました。
中学教師と高校教師の違いは、高校は音楽の場合だったら選択科目になるし(必要な人しかとらない)、さらに高校生は大人なので、中学生よりも踏み込んだ授業が出来ると思います。(オペラ鑑賞など)

私が高校生だったとき、体育の先生が「ぼくははじめは先生になるつもりはなくてただ教職だけって思ってたけど、教育実習に来てみて子どもが無邪気だったので教師になることを決めた」って言って
狭き門を努力した先生もいました。
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今16歳ぐらいなのかな。

学校も変化が激しくて、あなたが生まれるだいたい20年ぐらい前までは、日本の学校はどこでも教員の力が強く、生徒は勉強をするために学校に来ているという意識を持っていました。ところが、大体、昭和の40年代後半ぐらいから、全国の学校で荒れが目立つようになってきたのです。校内暴力という言葉が使われ、生徒間の暴力から対教師暴力へと変わっていきました。今は、あからさまな暴力と言うより学級崩壊というより取り扱いが難しい形へと変化しています。
自分が高校生だった昭和の40年代は、クラスに不良がいても、彼らといわゆるガリ勉タイプの生徒が普通に付き合うことの出来た時代でした。不良は、勉強をちゃんとやる生徒(男子生徒間の話ですよ)に対して「~さん」と言う呼び方をして、ある意味、尊敬を払っていました。自分たちはいい加減にやっているが、彼らのように勉強をして社会を支えていく連中こそが、本来の姿なのだと感じていたはずなのです。
しかし、大体昭和の50年代ぐらいから、そう言った感覚が変わってきて、勉強をすることが社会のためではなく、単に、個人の利益のため、自分たちが高学歴を身につけて、利権をむさぼるためだと言うような認識が広まっていったのです。いろいろな背景があるのだと思いますが、このような意識のため、現在では、勉強をちゃんとやる生徒は尊敬を集める対象ではなく、却って、利にさとい、他人を出し抜くことしか考えていない存在と捉えられるようになってきているのです。
ですから、教員と言う存在も、今では、学歴社会という格差を生み出す教育制度という機械の中の司祭であり門番のような存在になってしまっているのです。
大正末期から太平洋戦争中にかけて、学校は軍事態勢を作り上げる装置として機能していました。天皇の写真が教室や廊下、校庭の武道場などに掲げられ、その前を通る時にはお辞儀が求められました。それをしない生徒に対しては、教員が暴力で制裁をしていったわけです。教育勅語が各教室に貼られ、毎日その暗唱をしたのです。ほとんどの男子の将来の夢は海軍大将であり、敵を倒して軍功を上げることでした。そしてその結果が、中華事変であり、太平洋戦争であり、何百万人という戦争犠牲者であったのです。
しかし、当時のことを調べていくと分かることですが、決して、普通の市民に軍隊が必要であったわけではなく、国際社会全体を見ても、軍備のみが植民地になることを避ける道ではありませんでした。つまり、戦争を必要とする、または、戦争によって利益を得ようとする人たちがいて、彼らこそが教育勅語を必要としていたのです。

何が言いたいかというと、教員個人の意思とか気持ちを越えた大きな社会の流れがあり、それが教育というものの存在をゆがめるということなのです。「知」というもの、または「知恵」と言った方が日本語としては良いかも知れませんが、それを組織だって次世代へ伝えていく仕組みであるはずの教育制度が、ほとんどの時代、政治の道具の一端として、社会管理の役割を負わされてい、今でもそうなのです。

今、アメリカの公立高校では、生徒の個人情報を軍へ提供しないと、学校への公的補助金が出ない仕組みが出来上がり、その結果、公立高校の教師が、軍の新兵集めに協力せざるを得ないという状況になっています。大学への奨学金を得るために入隊する生徒がほとんどですが、現実には奨学金を得ることが出来る生徒は数割どまり。多くの新兵がイラクへ送られ、米軍が使用した劣化ウラン弾の影響を受け白血病になったり、精神を病んだりして、使い捨てられていくのです。アメリカに帰国しても、イラク帰りは一般の企業では使わないという風潮があるため、再度生活のために軍へ志願をし、死ぬまで、そこで使われていく。しかし、そこで行われていることは、軍産複合体の利益を最優先にしている戦争であり、自由とか公平さと言ったことはお題目に掲げられているに過ぎないのです。多くのアメリカの教員は、そう言ったことが分かっていながら、生徒の個人情報を軍へ流している、それが、現在のアメリカの公教育の状況です。(このことについては、ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 )をお読みください。図書館にも置いてあるでしょう:http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D%E8%B2 …

日本では、今後、アメリカ同様に、公立と私学の差が開いていくでしょうね。首都圏だけでなく、地方でも同様の動きが始まると思います。
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一番の大きな違いは、義務教育と義務教育でないところのように思います。



どっちの教師を目指すかは、どっちが自分に向いているか、どっちでやりたいか、みたいな感覚で、自然と決まっていくような気がします。


>・それぞれの大変なところや辛いところ
生徒指導で、問題行動を起こす生徒に対し、高校なら「退学」という最終的処罰がありますが、中学だと、ないです。正確には生徒が15歳に達していたら、退学にできるらしいですが(不詳)。この辺で、指導上の展開に差があるかと思います。(切り札がある分、高校の方が指導はしやすいかも?)

>・それぞれどのような時に喜びや楽しさを感じるか
中学だから、高校だから、で、喜びや楽しさに違いが出るかなぁ~。どっちでも同様だと思いますよ。
授業なり何なりの指導で、指導展開がうまくいったとき、それは嬉しいものです。いやもっと単純に、生徒の顔を見ているだけで気分が楽しくなります(この仕事をやる人は、そのぐらいじゃないと^^)

>給与や休みの日数の違い
給与は同じか、中学のほうが義務教育だから、少し高いかも?都道府県・市町村によっても、結構ちがったりします。
休暇の日数は、同じだと思いますよ。
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