
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
手元の「新解 漢和辞典」(小学館発行)によると
「史」というのは記録をつかさどる歴史官のことだそうです。
古の史官は天文暦数をつかさどるとあります。
つまり古代中国の歴史官というのは、一種の神官と考えていいのではないでしょうか。
「天」の意志や動向を知るために天文観測を行ない、
その結果を記録していたと考えられているようです。
以下はただの想像ですが
司馬遷が死よりも宮刑を選んでまで史記を完成させたことや、
崔杼と大史の間であった有名な話など
古代の中国人は、歴史を記録することに大きな情熱を傾けましたが
自己犠牲をいとわないこういった信念の源は
歴史を記録することが、単なる収入源ではなく
宗教的行為であったからではないかと思います。
参考URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point138.html
この回答へのお礼
お礼日時:2008/06/11 01:07
早急の返信ありがとうございました。
ところで、ここで言う宗教というのは何教の事でしょうか?
儒教ですか? 儒教なら「徳」が関わってくると思うのですが・・・?
No.3
- 回答日時:
おそくなりすいません、#1です。
私が申し上げた宗教とは、儒教発生以前の民間土俗信仰を指しています。
しかし、儒教の「徳」も、実は天体の運行とは無縁ではないです。
儒教の「徳」というのは人間の関係だけではなく、全宇宙を貫く、一種の真理、法則です。
つまり天地の動きも「徳」によって制御されていると言う考えが根底にあります。
「徳」のある帝王がその位につくと、五穀豊穣が約束され、地震や嵐、旱魃などがおこらず、「徳」がないとその逆になります。
そして「徳」のある帝王は当然天体の運行にも通じていなければならないので、儒教以後も史官というのは重要な職であり続けたと思われます。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/07/20 00:43
いえいえ再びありがとうございました。
徳というのは深いですね!
この先も自分なりにいろいろ考えていきたいと思います。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
太古の昔より人類は記録に関心があったようです。
石器時代の岩絵が残されています。 狩猟記録とも宗教記録とも取れますが、手形は自分が生きていた証を残したとも見られます。
記録には天文記録、政治記録、宗教記録、戦争記録などが当時重要でしたが、文字が生み出されて以後、我々も読解出来るようになりました。
ただこれ等の記録だけでは「史」歴史とはいえません。 天文記録(暦)と結びついてはじめて歴史になりました。 暦法すなわち暦を作り時代を特定した記録が必須要件です。
人類の集団が次第に巨大化し、国のような形が出来、王が生まれた時太古の手形のように、王が自分の存在を後世に残そうと、その記録=歴史を編纂させたのです。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/07/20 00:31
わかりました。
王が残そうとしたものが歴史なのですね?
というと、王が存在しなかった時代は歴史ではないのでしょうか?
返答ありがとうございます。
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