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戊辰戦争時のいわゆる官軍ですが、大河ドラマ等でおなじみの黒い洋装は官軍全体で統一して用いられたのでしょうか?当時の日本人にあの格好はかなり抵抗があったと思うのですが・・・・。また、指揮命令系統はどうなっていたのでしょうか?各藩のメンツもありますし、大体西郷隆盛はじめ下級武士が指揮をとっていたなんて身分が絶対の武士には受け入れ難かったのではないでしょうか?

A 回答 (3件)

官軍の服装は各藩バラバラです。

  同一藩内でも統一は難しい問題でした。

ただ主力を形成していた薩摩、長州隊はある程度統一されていたようで薩摩、長州、土佐、肥前などは指揮官は各藩色別のシャグマというかぶり物で身分、藩別を識別していました。

服装は戦闘に便利な点で洋式が適していました。
指揮命令は戦闘ですから経験の豊富な者や適格な者が自然に淘汰されていったとおもいます。 人望も一つの資格です。
既に旧来の身分制度は形骸化しつつありましたから。  とは言ってもある程度上級の身分の者が選ばれることも自然でした。

戦場での生死を分けるのは指揮官の能力がものを言います。
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西郷隆盛はじめ下級武士


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参謀が公家でその下の実質的な司令官として東征大総督府下参謀に任命されています。
薩摩藩内においても大目付・陸軍掛・家老座出席に任命されているので、下級武士出身であっても、下級武士ではありません。
下級武士出身者が藩政・幕政を主導することは、江戸時代の平時においても、柳沢吉保(晩年の庶子であるため、無役から最後は15万石大老格)や田沼意次(父は足軽、本人は600石から5万7千石で老中)と、例はいくらでもあります。
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http://w3.shinkigensha.co.jp/books/978-4-7753-05 …

武器と防具 幕末編に詳しく書かれてますので読まれたらいかがでしょうか?
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