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私は中学生のときに、国語の先生に中国の女性がしていた纏足のことを教えていただきました。

纏足の目的としては、足が綺麗に見える。などがありましたが、実際の目的は不幸にも親に売られた娘が、その纏足のせいで歩くことさえ不自由になり、遊郭から逃げることができないためであり、裏を返せば纏足の娘でないと、遊郭に(高く)売れない。と言うことでした。

今回その纏足の目的の真偽は、別に気になってはいないのですが、盲妹(マンメイ)という、女性(娼婦)がいたことに興味を持ちました。

盲妹(マンメイ)とは女性の両目をつぶし、何も見えなくして娼婦として働かす。という事なのですが、そんな残酷なことが本当に中国であったのでしょうか?

私は一種の都市伝説のような気がしてなりません。
どなたか真偽のほう、知ってらっしゃるかたがいれば幸いです。

A 回答 (5件)

老人です



纏足のおばあさんは40年ぐらい前まで神戸の中華街で良く見掛けました

盲妹は戦争中に広東に行ってた新聞記者から自分で写した写真を見せてもらった事があります、お下げの盲目の少女達が前の人のお下げ髪を持って行列して歩くところでした、逃げ出さないように目を潰すと聞いて何と酷い事をすると子供心にもショックを受けました

都市伝説ではありません、実際の出来事でした
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

纏足は中国の風習みたいなものだったのですね。

それにしても、盲妹の写真を見られたとは・・・
実際にあったことでしたか。。。

まことにありがとうございました。

お礼日時:2008/06/30 13:52

 質問とは関係ありませんが、参考までに。



 ある地域の風習とか、社会的に続けられた行為について、残酷とか悪と判定するには、その当時の社会習慣や考え方を熟知した上で行なうことが不可欠と考えています。

 30年前、インドを訪れた時、「目の見えない乞食」や「歩けない乞食」を時々見かけました。
 カースト制が残っていたインドでは、普通「乞食の子は乞食」にしかなれないため、『乞食として収入が少しでも多くなるように』、小さくて記憶が残らない頃に、わざわざ子供の目をつぶしたり、足を折って歩けなくすることを、親の乞食が行なった結果なのだそうです。

 子供をわざと不具にする行為には全く賛成できませんが、閉鎖社会の慣習の中で行なった親の行為に対して、現在の日本人の価値観からだけで評価することは物事の本質を失う気がします。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃるとおりです。
私も現在の価値観では当時の本質は語れないと思っています。
歴史の何が正義で何が悪などということは、当時の時代背景、価値観など、いろいろ検証して考えても千差万別の答えがでると思います。

しかしながら、歴史の評価云々は別にして、仮にやむにやまれぬ事情が親にあったとしても、やはり、盲妹の娘達はかわいそうですよねー

まことにありがとうございました。

お礼日時:2008/06/30 14:25

国民とか市民、この漢字の、民、の成り立ちを調べてみてください。


漢字の象形などの形から漢字になっていく様を。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

☆「民」の字源は「針で目をつぶされた奴隷」。「民」の最後の一画の斜めの線は、太古の象形文字で描かれた「ひとみを突く針」の名残である。目をつむって寝る意味の「眠」も同系。

上記のことですね。

まことにありがとうございました。

お礼日時:2008/06/29 23:08

纏足については遊郭だけでなく「いいところに嫁入り」するためにも必要なものだったといいます。



盲妹については
坂口安吾 「日本文化私観」の二 俗悪に就て(人間は人間を)の項に
「広東(カントン)に盲妹(もうまい)という芸者があるということだが、盲妹というのは、顔立の綺麗な女子を小さいうちに盲にして特別の教養、踊りや音楽などを仕込むのだそうである。支那人のやることは、あくどいが、徹底している。どうせ愛玩用として人工的につくりあげるつもりなら、これもよかろう。盲にするとは凝(こ)った話だ。ちと、あくどいが、不思議な色気が、考えてみても、感じられる。舞妓は甚だ人工的な加工品に見えながら、人工の妙味がないのである。娘にして娘の羞恥がない以上、自然の妙味もないのである。」初出1942(昭和17)

また宮本百合子の「書簡箋」にも
「支那古来の聖人たちは、いつも強権富貴なる野蛮と、無智窮乏の野蛮との間に立って彼等の叫びをあげてきた。「男女七歳にして席を同じゅうせず」しかし、その社会の一方に全く性欲のために人造された「盲妹」たちが存在した。娘に目があいてるからこそ客のえりごのみもする。見る瞳さえつぶせば、と盲目にして娼婦の営みをさせた。孔子の言葉は現実をどこまで改善しただろう。
 粤東(エットウ)(広東)盲妓という題の詩が幾篇もあって(支那女流詩講)、なかに、
亭々倩影照平湖    玉骨泳肌映繍繻
斜倚竹欄頻問訊    月明曾上碧山無
 魯迅の傷心の深さ、憤りの底は、云わばこういうところまでさぐり入って共感されなければならないものなのだろう。」1953(昭和28)

どちらの文も最近ネットが普及する遥か以前に公になっているものでありますね。

目をつぶすことのメリット?の一つは見えないことによって気が散ることが無くなり、集中することによって芸事が上達しやすく、高級な娼婦として売り出すことが出来たからという説もあります。
都市伝説とはいいきれないものがあるように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いろいろな情報恐れ入ります。
宦官になるために、自分でシンボルを切断する行為は、残酷ではあるが、それなりの見返りもあるため、全然かわいそうだとは思わないのですが、人に眼をつぶされて、娼婦として働かされるというのは、かわいそ過ぎますね。

まったくの都市伝説だとは言い切れないということですね。

まことにありがとうございました。

お礼日時:2008/06/29 22:58

1:纏足


娼婦でなく、一般の上層階級では普通の行為。
娼婦と纏足をストレートに結びつけるのは、その国語の先生に、なんらかのバイアスを感じます。


2:盲妹
検索すると「広東」というワードと非常な確率で出現します。この場合、一つの話からその話が面白いので、広がった確率が高い。都市伝説くさいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

纏足に関しましては風習として、それほど残酷なことだとは思えず、現代でもやせたいところがあれば、そこを少し圧迫するような努力をしている人も多いと思っています。
ただ纏足の目的としての考えが、その先生は少し偏見的なのかもしれませんね。

盲妹のことは、あまりにも残酷でかわいそうな行為であるため、信じ難いというか、信じたくないというか、そんなことを人間が人間にできるものなのか、などと考えたりしています。

まことにありがとうございました。

お礼日時:2008/06/29 22:40

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