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昔の先住アメリカ人(ヨーロッパが入植してきた頃)は死についてどう思っていたのでしょうか?また、彼らは死者をどう扱っていたのでしょうか?お葬式やお墓などはあったのでしょうか??
図書館やインターネットで調べたけれど、いまいち良い資料が見つかりません。
知っている方がいらっしゃいましたら、回答よろしくお願いします。
私が知っていることは、彼らが死を人生の終わりではないと考えていたこと、ということだけなんです(>_<)
急いでいるので早めの回答お待ちしております!

A 回答 (2件)

アメリカ先住民は500以上の種族に分かれていますのでひとことで彼らの宇宙観や死生観を言い表す事は出来ないと思います。

日本で知られているのは平原インディアン(スー族に代表される)ですが、彼らは広大な土地を季節ごとに移動して暮らしていたので、墓標を持った今日的なお墓を作る習慣はなかったようです。

しかし、メキシコ高原から合衆国南西部に住んでいた定住農耕民族は居住地内に墓を持っていたようです。考古学的な発掘の結果なので墓標があったのかどうかまでははっきりしていないようです。幼児の死を特別に扱う種族もいて、住居内の土間や入り口の下から人骨が発掘される地域もあります。

南西部の先住民はアナサジと呼ばれ、その末裔が今日のプエブロ族だと言われます。彼らはメキシコ高原文化の影響を強く受けていることが発掘で証明されています。アメリカ先住民にほぼ共通の栽培食物、トウモロコシ、カボチャ、豆類はメキシコ高原から北へ伝わっています。石に描いた岩絵が各地にたくさん残っていますが、そこには渦巻きの模様もあり、これは彼らの時間に対する考え方、即ち時間は直線的に進むのではなく、過去、現在、未来が円を描くように巡回していると考えていたようです。そこから彼らはアジア的(仏教的)に輪廻の考え方(人は生まれ変わる)をもっていたと考える人もいます。

南西部の先住民も東西南北のうち北を聖なる方角として特別視していた事が、現在も使われている民芸品の絵(デザイン)や言い伝えで確認されています。ホピの場合は北を青、南を白、西を赤、東を黄色で表します。これは我が国のキトラ遺跡等で確認される方角を色で表す習慣に通じるものがあります。北を聖なる場所とし、色で方角を表す習慣は大相撲に残っています(土俵上の屋根に赤、白、青、黒の四つの房が下がっている)アジア人にとって北が大事な(聖なる)方角だったことは、お釈迦さまが亡くなった時北を枕としていたことや君子は北側に座るという中国の故事にも現れています。アメリカ先住民がアジアから約13,000年前に新大陸に渡ったことと何らかの関係がありそうです。

肝心の葬式やお墓の習慣に関する情報は非常に専門的なので文化人類博物館(東京、大阪)にでも問い合わせなければ難しいのではないかと思います。

一般情報としては下記の本を図書館で見ることが出来るでしょう。

「アメリカ先住民の精神世界」日本放送協会出版会
「ホピ 宇宙からの聖書」徳間書店
「ナバホの大地へ」理論社
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この回答へのお礼

本当に遅くなってすみません!!
とっても役に立ちました!
先住民についてのレポートとプレゼンがあったのですが,しっかり活用させていただきました!レポートはまだ返されていないのですが,プレゼンは先生に誉められました☆まだ「ホピ 宇宙からの聖書」しか読んでいないのですが、春休みになって時間にゆとりができそうなのでしっかり本を読んでみます☆
本当にありがとうございました。
御礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。

お礼日時:2003/02/01 11:57

今晩は。


以下のサイトにネイティブ・アメリカンの記述があります。
参考になりますでしょうか?

参考URL:http://www.webone.ne.jp/~mapiya/life.htm#sousai
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この回答へのお礼

御礼が本当に遅くなってしまいました!
本当に申し訳ありません。
教えていただいたサイト、とっても役に立ちました。
ゴーストダンスなんていうものもあったんですね。驚きました。
先住民についてのレポートとプレゼンがあったのですが、レポートはまだ返っていませんがプレゼンは先生から誉めていただきました☆
本当に助かりました。
どうもありがとうございました☆

お礼日時:2003/02/01 12:01

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