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スペイン語は言語としては極めてメジャーですが、スペインという国は
国家としては比較的マイナーで、西欧の資本主義国でありながら、
サミットからは完全無視という先進国とは見なされない残念な扱いです。

かつて、スペインと言えば、世界の海を支配した強大な国家でした。
スペインが強大化するに至った経緯とは、非常にシンプルに説明すると、
こういう事です。↓
 『15世紀まではイベリア半島はイスラム帝国の支配下にあり、それをヨーロッパ人に
 手によって奪還すると、ヨーロッパとイスラムの優れた文化を融合させた
 「良い所どり」の文化が誕生し、世界で最も発展した文化を築き上げた。』

では、今はどうかと言えば経済的にももうひとつだし、世界に通用する
スペイン企業は?と聞かれても何も出てきません。
なんとなく、勘ですが、隣のフランス人によるスペインに対するイメージとは、
日本人が韓国に対するそれと類似しているような気がします。

スペインが韓国あたりと同レベルの二流国家へと落ちぶれてしまった
歴史的経緯とは何でしょうか?

A 回答 (9件)

そもそも国家による戦争は徴兵限界まで全軍が出撃するわけでは無いので、


一会戦で国が傾くような事はまずありません。特に当時は傭兵が主ですからね。

イギリス側が呼ぶところの無敵艦隊や、陸戦で無敵を誇ったテルシオ
が維持できたのも、潤沢な資金源があったからです。
つまり三角交易によって得た新大陸の銀で莫大な富を得た
経済大国であったことが、スペインを大国たらしめていたと考えられます。



実際、アルマダ海戦はよく言われるようなイギリスの革新的な砲による
戦術の転換というよりは、遠征側であったスペイン艦隊の補給兵站が
機能していなかったことによる敗北です。
つまり大航海時代の後期においては、スペインはその経済的優位を失っていました。


なぜ全盛を誇ったスペインが経済的に崩壊してしまったのか。
実は当時スペインでは『価格革命』と呼ばれる超ハイパーインフレが発生しており、
そのため、経済政策が全く機能していませんでした。この原因は諸説ありますが、
一般的には『銀の大量流入による貨幣価値の暴落』が原因であったとされます。
銀によって富を得たスペインですが、結局は銀によって崩壊してしまったようです。






ちなみにスペイン企業ですが、リヤドロは銀座にまで支店を持っていますし
公私共にFONのお世話になっている人は世界中に多いと思います。
また、ファン・カルロス現国王は、ヨーロッパでも
特に人気のある君主だと思います。
スペイン批判を展開していたチャベス大統領(ベネズエラ)に
?Por qu? no te callas?(黙ったらどうかね?)とぴしゃりと言い切った
その言葉は着メロとして大人気になりましたし。
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新大陸と銀鉱山発見で莫大な富を手に入れ、ヨーロッパ随一の強国になったスペインだったが、その富を自国の産業育成に投資することなく、宮廷の経費・戦争外交で浪費たため、銀のほとんどはヨーロッパの他の地域へ流出していった。


他方、英国は毛織物産業のおかげで富が流入し、さらにそれが自国産業振興につながっていった。こうした新興国との体質の差が力の均衡の差となり、やがて海外覇権争いにも敗れスペインは没落していった
(注)ポルトガルも同じです。韓国知らない
以上、ベアゴスティーニの「そうなんだ」がソース
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ナポレオン戦争後に限れば


中南米の植民地が、米国の肩入れもあって独立してしまい、
米西戦争で止めをさされた

貧乏なのでWW1も静観していたけど、その後のインフレに巻き込まれ
結果 共産主義が台頭、国内を二分する内戦に突入したので
もう ぼろぼろ

19世紀以降は、アメリカの被害者かも
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切っ掛けとしては海上覇権の喪失になるのでしょうが、基本的には経済力の衰退が原因=結果と言えるでしょう。


ヨーロッパ文明の主役は ギリシャ~ローマ~スペイン~フランス~イギリスと移動し、その間にポルトガル・オランダが浮かんで沈み、ドイツが主役を張り損なったが、ロシアは可能性を残していると言う形で動いています。
南から北への移動で、おそらく風土による国民性と生産手段の進歩がその要因となっているのでしょうし、4大文明が凋落したのもそういった理由がある様な気がします。
何れにせよ主役になった事が無く、歴史の半分以上が中国の属国だった韓国との比較は無いと思います。
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中産階級が育たなかったから。


1492年は
レコンキスタの完成
コロンブスのアメリカ到達
とともに、ユダヤ人追放があります。
ユダヤ人は、スペイン経済において、金融を中心にして付加価値を作っている層でした。これれが追放されたため、スペインの経済は基本的に、南アメリカから収奪した資源を右から左に流すだけになります。そして南アメリカから資源がこなくなると立ち枯れます。
ちなみに、この時ユダヤ人たちは、オスマン帝国に移動して、このあとのオスマン帝国の繁栄の礎になります。
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スペイン経済の崩壊が主な原因でした。


スペインの植民地は、スペイン本国のコピーの植民地で、植民地で必要とする製品、生産される製品は、基本的にスペインと同じ物がほとんどでした。
それゆえ、スペインの植民地は、スペインの文化を色濃く残す事になります。
植民地が拡大してゆくことは、スペインで必要とする物資が大量に植民地でも必要となり、スペイン本国では、急激な物資不足になり、インフレが拡大しました。
そのため、質の悪い製品でも飛ぶように売れた結果、大量の銀が流れ込み、インフレをさらに加速する事になります。
それに併せて物資の質も低下してゆきました。
しかし、植民地が機動に乗ると、植民地で生産されるものは、スペインでも生産されるものであるため、スペインからの物資の必要性が下がるだけではなく、生産される品物は、スペインと競合する製品が多く生産される事になってしまいました。
植民地との交易は、スペインのみが独占していましたが、植民地では、製品需要の少ないスペイン意外の国(イギリスやオランダなど)との密貿易がさかんになります。
そうなりますと、スペインの高くて質の悪い製品は、国際的な需要が減少し、スペイン経済の低落となって現れます。
フェリペ3世のころになると、新大陸の銀も枯渇しだして、スペインへの流入も低下してしまいます。
そのため、スペインでは国家の破産が何回も起こり、経済は完全に崩壊してしまいます。
それでも、かつての強国のイメージを捨て去る事ができなかったため、無理な遠征をくりかえし、スペインの疲労が極まってきます。
オリバーレスなどは、懸命に改革を行い、スペインの建て直しを行いますが、フランスとの戦いに引きずり込まれて国勢を立て直す事ができませんでした。
それを最終的に決定つけたのが、スペイン継承戦争で、これによりスペインは実質的にフランスの保護国となってしまいました。
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 何をいっているのでしょうか?無敵艦隊がどうしたとかいうのはあまりにも昔の話です。

歴史的経緯を云々するなら少しは勉強をするべきでしょう。
 スペイン内戦は確かに悲劇でしたが、フランコはヒットラーの恫喝を無視して第二次世界大戦で中立を保ち、フアン・カルロス国王は右翼をうまくあしらって民主化を果たしました。某国と一緒にすべきではないでしょう。
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フェリペ2世の頃までは確かに強大な国家だったのですが、


彼の没後、それに続くフェリペ3世・4世、カルロス2世と、
3代に渡って有能な君主に恵まれなかったことが一因です。
時代的にはちょうど1600~1700年頃のことですね。
また政治制度的にも、英国やフランス等に大分遅れを取っていたようです。

それ以外の歴史的経緯については、以下のwikipediaのページに簡潔にまとめられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD% …

フェリペ2世の在位中に最盛期を迎えるが、無敵艦隊の壊滅を契機としてその勢力は下り坂に入り、
八十年戦争や西仏戦争に敗れてヨーロッパの覇権を失い、八十年戦争でスペインから独立したオランダや
宿敵ブルボン家を擁するフランス、無敵艦隊を破ったイングランドなどの台頭もあって、衰退した。
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主にアングロサクソン人とのプロパガンダ合戦に破れ、スペイン人に自虐史観が蔓延したことが大きな原因のひとつです。


我々に最もなじみが深いどこかの国とそっくりです。
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