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オランダは、16世紀の一時期、婚姻により遠方のスペイン領になっていたのですね。

質問は、日本で婚姻による領土・領地の変更を教えて下さい。

参考
ハブスプルグ家のマクミリアン1世(1459-1519)は相続によりオランダを治めていた。
ファナ(1479-1555)がスペイン両王。
1496年、両者が結婚。
カール5世(1500-1558)が生まれる。
ファナにスぺイン王位継承権が転がり込み、1504年にスペイン女王。
よって、夫マクミリアン1世は、スペイン国王になる。
この時点で、ハブスプル家とスペインは合体。オランダはハブスブルグ家の所有のまま、スペイン王国の一部ともなった。

A 回答 (1件)

質問者さんが言っているような事例は、女性に領地の相続権があって、なおかつその女性の婚姻によってその領地が夫や子どもに相続されるような制度がある場合です。


日本国内の場合、基本的に封建領主は男性です。中世には女性にも領地の相続権がありましたが、領地の細分化を防ぐために、「一期分」と言って、女性が相続した領地は夫や子どもには受け継がれず、女性が死ぬと本家に変換されるという精度になっていました。
なので、質問者さんが例に挙げたような、「国」レベルの規模の領地を持つ女性の婚姻によってそれが夫や子どもに相続されるということは起きなかったのです。各地の小さな領地のレベルで、親戚同士で分裂した領地を統合するために親戚で結婚する、という事例はあったでしょうが。

なお、「参考」以下には事実誤認があります。
現在のオランダは、元々は ブルゴーニュ公国の一部(ネーデルラント)でした。ブルゴーニュの最後の女性相続人だったマリー・ド・ブルゴーニュと、ハプスブルク家のオーストリア大公マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)の結婚によって、マクシミリアンの子孫がブルゴーニュを相続することになりました。
フィリップ美公と結婚したスペイン王女(カスティーリャ女王)フアナがスペイン王家の最後の相続人となり、二人の間にカルロス(神聖ローマ皇帝カール5世)が生まれます。カルロスは、父方からはネーデルラントを相続し、母方からスペインを相続しました。(その後、ハプスブルク家はオーストリア大公家とスペイン王国家に分かれます。)
そして、スペイン領ネーデルラントでは、カトリック国スペインの圧政に抗うプロテスタント系諸侯が独立戦争を起こします。この独立戦争で独立したのが「オランダ」(ネーデルラント)で、独立せずスペインに残った側が後のベルギーです。
「オランダ」という国がスペインの一部だったことはありません。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
日本の社会制度は<「一期分」と言って、女性が相続した領地は夫や子どもには受け継がれず、女性が死ぬと本家に変換される>なのですね。
したがって、婚姻により領地の変更はなかった、ということですね。
なお、<「参考」以下には事実誤認>があるようですので、調べます。

お礼日時:2022/04/23 18:07

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