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 日本オオカミが日本で絶滅して久しいのですが、オオカミの獲物であった鹿、カモシカがふえて森林被害、農産物被害が出て、奥日光では高山植物が食害にあい危険水域になっているとききます。
 ハンターによる調整が、ハンターの老齢化などで次第にむずかしくいるらしく、対策が必要になってくるとおもいます。食物連鎖の頂点にオオカミが必要であると思っている方は少なくないと思います。
 アメリカのイェロウストーン公園ではオオカミを放獣していい結果を出しているとききます。
 日本オオカミといっても森林オオカミとほぼおなじと考えてらしいとの放送を聞きました。
 日本でのオオカミ放獣ができないハードルはなにですか?

A 回答 (8件)

日本社会において“リスク(risk)ゼロ”/“ゼロリスク”/“百パーセントの安全信仰”が蔓延しているからですよ。


他の回答者の方々が、オオカミの放獣についてリスクを色々指摘していますが、
それらに対して、あなたは、リスクが現実のものになったら補償すれば良いと述べられていますように、
あなた自身、放獣に得られる“ベネフィット(benefit)”自体が“リスク(risk)”を無視出来る程大きいとお考えの様ですね。
けど、そうは考えない人々が多数派になってしまうと思います。
諸外国の事例から、どんなに科学的調査の結果として[ベネフィット]>>>[リスク]であっても、
[リスク]=ゼロじゃなきゃ認めない人々が多数派になってしまうでしょう、冒頭の信仰によってね。

“リスク(risk)ゼロ”/“ゼロリスク”/“百パーセントの安全信仰”を物語る有名な例が、予防接種です。
予防接種は伝染病の蔓延を防ぐという“ベネフィット(benefit)”がありますが、副作用という“リスク(risk)”があり、
どうしてもゼロにすることは出来ません。ただ、リスクを減らす事は出来ます。
それは喩えるならば、蕎麦を食べてアレルギーで死ぬ人をゼロにすることが出来ませんが、そんな人に蕎麦を避ける事は出来ます。
一部の人々が“ベネフィット”を無視して副作用という“リスク”の恐怖をいたずらに煽った結果、予防接種を受ける人々が減少し、
そのつけとして再び麻疹が大流行してしまい、欧米諸国から日本は麻疹輸出大国だとの抗議も受けてしまいました。

あなたが、日本でもオオカミの放獣を実現したいと単に思うだけでは無く、実際に行動するならば、如何に大衆に対して
「オオカミの放獣は、確かにリスクはあるが、それを凌駕する程の素晴らしいベネフィットがあるんです!」と説得出来るか、
理論武装のみならず話術などもかなり磨く必要性が生じるでしょう、
まるであたかもお笑い芸人が日本の政治を左右しているような状況では。

“ベネフィット(benefit)”とは、利益、便益、プラスになる、などの意味です。“リスク(risk)”とは、危険な事が起きる確率。
ある物若しくは方法について、それに伴うベネフィットとリスクを比較して、[ベネフィット]>>>[リスク]ならOK!と採用するという
リスクベネフィットアセスメントは、百パーセントの安全が存在しない化学物質、医薬品、科学技術、環境などの科学政策において
よく使われる概念です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。といってもベネフィットーリスクという概念があまり人間社会中心の考え方十分ついていけません。私がオオカミの放獣自体100%安全とは思っていないことは確実です。
 ただ自然の食物連鎖の輪が少しでも残されるようにしておくことは大切とおもいます。
 「食物連鎖を残すベネフィット」と考えられないわけではありませんが、余りにも大問題で私には荷が重過ぎます。
 世紀の発見といわれたDDTも環境破壊を起こすことがわかり、製造禁止になり、フロンガスもオゾン層破壊のため、先進国では製造中止になり、きれいな住環境を実現しすぎたため21世紀がアレルギーの時代になったらしいことも最近わかってきました。人間の考えるリスクにも随分限界があります。科学の歴史のなかにはリスクが読めなかったことが少なくありません。
 また、皆さんでかんがえてみてください。
 
 

お礼日時:2009/01/31 11:09

戸田幸夫は知りませんが、丸山直樹は日本でのオオカミ放獣の最先鋒ですよ。


ヒグマに比べればさらにおとなしいツキノワグマの出没でも大騒ぎになったりするのを見れば、オオカミが同様の騒ぎを起こすことは想像に難くないのですが。
そもそもツキノワグマが人里に降りてくるようになったり、サルが群れで集落を徘徊するようになっている今の現状で、
オオカミは人間を避けますと言っても説得力はないでしょう。

また、造林木以外を「どんぐりの木」と一括りにすることにも違和感があります。
ドングリってアラカシですか?スダジイですか?ミズナラですか?
なんでもかんでも「どんぐり」を植えようというのは、スギの一斉造林と大差ないと思っています。
ですので、ドングリ撒きを煽って止めようともしない森山まり子率いる日本熊森協会は、
クマの被害を増やし、自然破壊をし、誤った自然を子供達に洗脳する、
自然保護のふりしたガン細胞だと思っています。
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この回答へのお礼

鎮守の森にみられる、樹種を考えています。少なくとも森林を単なる建築資材の倉庫と考えるのは間違っています。杉などは花粉症という形で現代人に被害を及ぼしています。一方、ミズナラなどのオークの樹については、家具の材料としても優れており、高山のオークビレッジの稲本正さんは積極的に植林されておられます。
 狩猟でクマを獲ったりは別にかまいませんが、やはり適正な生息数を決めて置くべきです。四国、九州ではツキノワ熊は絶滅したのは、狩猟によるものです。四国、九州にいまさらクマを復活させるべきとはかんがえませんけど。
 人間の食料として永続して生息させる考えたのなら、狩猟するのも食べるのもかまわないと思います。ちなみにクマの肉は食べたことがありますし、冬眠から覚めたばかりの熊の肉は臭くありません。秋に里山へ出てくるクマは食べられずに処分ではかわいそうでしょう。せめて人間の胃袋に入れば、成仏するでしょう。鯨の管理に懸命になる、資源管理の努力をクマに向けてもいいのではないですか。クジラは可愛いと思いますが、わたしは鯨肉で育った年代なので鯨肉も好きです。誤って定置網にかかったクジラについては口に入ることもあります。
 鹿も京都のフレンチレストランで食べたときは美味しかったです。石原都知事も狩猟してシカ料理をたべることを推薦していました。日本の現在の自然に対する考え方は「そのまま放置」に近く、人為的に破壊した自然をもう少し自然に戻すために人為的な介入をしたほうがよいとおもいます。森林資源の復活に向けて人力が向けられるようにすれば雇用にもいいかもしれません。森林占有面積は日本は世界でもトップとはいえ年々減少していることは確かです。
 森山まり子さんのことも知りませんが、インドではトラの保護が近年叫ばれ、国立公園のなかでは若干増えているようです。オオカミよりトラは人食いの歴史もありますが、絶滅してもよいとはインドの人はかんがえていないようです。クマも人里への出現頻度がましたりしているものの生息数が増加しているのかどうかもはっきりしてないようです。ドングリ撒きがクマの行動にどんな影響を及ぼしているのかはっきりしりませんので、自然保護のフリをしたがん細胞といわれる断定に賛意を表することはできません。

お礼日時:2009/02/01 17:53

日本には狼がいませんので、放すものは別に「犬」でもいいですが...。


もしかして野生生物が鹿を狩るのは自然だけど、狩猟で鹿を狩るのは不自然だと考えていませんか?

北海道ではヒグマという人間を襲う動物が野生にいます。
札幌市内の山でもヒグマが出ますので、山に入るときには熊対策グッズが必要ですし、ヒグマに遭遇した、襲われたという話はよく聞きます。
山の中にある施設のメンテナンス(無線の中継局とか)には場合によりハンターが同行します。ヒグマがでたことで学校が休校になることもたまにあります。

雑食のヒグマでこれですから、狼なんかはなしたら、「人間と狼が共存するためのコスト」がどえらく高くなるでしょう。スーパーでライフル銃が買えるアメリカとは国民の意識も違います。

警察はいい顔しないと思いますが、ハンターを増やしたほうがコストはかからないでしょう。

日本では現在「銃を購入しと弾薬ロッカーと、銃ロッカーを自宅に設置しし」、「猟銃等所持許可」して「狩猟者登録」をしないと狩猟はできないですから、趣味でハンティングを始めるのはかなり困難です。体験ハンティングなんてことはできません。 規制を弱めて他人の銃を撃てるようにするだけでハンターはだいぶ増えるでしょう。
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この回答へのお礼

野犬が山に入れば、山犬→オオカミとなるのか思いきやそうはいかないようです。犬はオオカミの一部が家畜化したもののようですが、その分化した歴史が古く、簡単にはオオカミに戻らないようです。またオオカミは犬のように雑食ではないので、人間と接触するとしたら牧場の家畜が狙われる形が多いとおもいます。江戸時代末期に狂犬病がオオカミに流行したときに人間を噛んだことがあるようですが、それは狂犬病にかかった犬も人に被害を及ぼしますので、健常なオオカミであれば犬なみの襲撃頻度といわれています。
 クマは雑食でかつ何かに夢中になると周囲への警戒心がうすれ、人間の近くにくることが多くなるようです。
 写真家の星野道夫さんはテントの中にいたにも関わらず、ヒグマに襲われて亡くなられています。

お礼日時:2009/02/01 16:52

>ハンターによる調整が、ハンターの老齢化などで次第にむずかしくいるらしく


銃刀法のハードルを低くする。
狼の放獣が危険か安易な銃火器の携帯が危険か。
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この回答へのお礼

銃刀法のハードルを低くすることは殺人事件が増えていることからも無理でしょう。
 殺人事件の件数からいえば、ヒトの敵はヒトです。オオカミはコントロール可能ですが、人間はコントロールできません。
 多分放獣してもそんなに簡単に人間の被害のでるほど増えるにはさぞ長い年月がかかります。また、増えるためには、近親相姦のハードルをこえる必要があります。放獣による復活もそんなに簡単なものではないらしい。
 アメリカは最初5-6匹から始めたようです。

お礼日時:2009/02/01 17:34

結局、丸山を筆頭とするオオカミ導入派が根拠もなく


オオカミは人的被害を出さない、と楽観的に言い張っている
オオカミ放獣原理主義的な所でしょうかね。

>クマ、サル、イノシシなども人間が杉などの針葉樹の森を増やしたため、餌がすくなくなり
クマはともかく、シカは餌資源が豊富だから個体数が増えてるし
サルは中山間の過疎による人慣れが最大の原因だと思うんだけど。

第一、江戸時代なんて、そこらじゅう禿げ山ばっかりで木なんて全然生えてない地域も多かったんですけど・・・

この回答への補足

戸田幸夫ではな戸川幸夫さんでした。失礼しました。
 日本の動物文学者のしては名のあるひとと評価していましたが、いまでは書店には並んでいません。イリオマテヤマネコの発見者でもあります。
 先日NHK「ダーウィンがきた」の南硫黄島の生物の放送で、不意に持ち込まれたねずみが一島の野鳥を絶滅にしたとのコメントがありびっくりしました。自然というのは強いといわれるけど自然はデリケートであるようです。生物のちょっとの能力の違いで勢力地図が簡単に書き換えられるのは、私の好きな今西錦司さんのの棲み分け理論では説明されないダーウィンの弱肉強食の世界です。
 
 

補足日時:2009/02/03 22:44
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この回答へのお礼

丸山さんというひとは初めてききましたが、わたしは強いて言えば、っシートン→戸田幸夫(派)です。40年以上前から日本オオカミが復活されればいいのに夢想してきました。シートンはロボ王を捕らえた本人なのだけれど、オオカミに大いな同情を寄せています。

 サルの駆除にオオカミが役立つとは思っていませんが現状が放獣する環境になってきたのかなとは思います。
 石油などの化石燃料がでてから、山に燃料を求めなくなって、かつ山村の人口減少も伴って里山が手入れされなくなって、いろいろな生物が里山近くに出やすくなったのも大きな原因と言われています。熊の出やすいところに牛を放牧しておくとクマが出なくなってくるので、オオカミだけがクマに必ず有効とは思ってません。
 戸田幸夫さんは人間の生活は守らなければしかたがないといっていますが、世界の生物種に対して人間よ驕るなかれと思います。
 江戸時代後期の京都の写真では周囲の山は確かに松ばかりです。宮脇昭さんによるとこれは人為が入った二次林で日本は少なくとも関東の標高700mぐらいまでは照葉常緑樹帯だったのだそうです。また、戦後でも関東には沢山の雑木林がありました。
 杉など多いのはあきらかに第二次世界大戦後に植樹したからで、針葉樹林は落葉が分解されにくく、動物の食べられる草や木がはえにくく、緑が多い割りに住みにくい環境のようです。そして森林下層の草木が生えにくいことで表土が流出しやすくなり、森が荒廃しているといわれています。
 多くの動物が山の中だけで暮らしてもらうときは、どんぐりを植えたりして森から変えていく必要があるのかもしれません。オオカミは慌てて導入する必要はないのかもしれませんが、森林を変えるというのはまた気の遠くなるはなしではあります。
 
 オオカミひとつ考えても、環境問題全体の歴史と現状への分析が必要で、皆さんと考えるいい質問になったかなと自画自賛?しています。
 

 

お礼日時:2009/01/31 10:31

自然も大切ですが、人間の暮らしも重要。


オオカミの放獣だけがBESTとは限らないです。
食肉にすることも選択枝の一つです。ハンターの育成も重要。
いろいろ幅広く柔軟に考えていく事も大切では?
自然の問題は、とかく硬直した思考や議論になりがちですから。
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この回答へのお礼

オオカミが山の神として祭られてきた歴史もあるようですが、肉食が人間の社会に流通するなったので、牧場のない江戸時代とはオオカミに対する考え方は大幅に変わったと思います。
 自然と人間の暮らしは対立したものではなく、有機的に絡んでおり農業被害、林業被害、熊の人的被害の解消も難しい問題で、確かに硬直した思考、議論では収まりません。安上がりで自然に近い方法の選択にオオカミの放獣という選択肢も入れてほしいなとの希望は、「シートンの動物紀」の「ロボ王」のファンなら納得してもらえるのではと期待しています。また、オオカミはそんなに人間と対立する存在ではないことは、日本のオオカミファンならわかっていただけるとおもいます。

お礼日時:2009/01/30 18:47

一度絶滅した生物を完全復活させる技術はまだ、出来ていません。


過去外来生物をいれて手痛い事になっていますし。
また人口密度が高い日本の人間社会は、
野生生物のテリトリーが重なる事が多いです。
日本オオカミが生存した事とは、かなり環境が変わっています。
海外の例を見て検討する事自体は良いのですが、
被害がないと確約できない限り、なかなか難しいでしょう。
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この回答へのお礼

難しいからいつまでも実行されないのでしょうね。
 熊、猪、鹿の肉などのジブエ料理など食べるなどにして、ゆっくり考えていくしかないのかもしれません。
 
 
 

お礼日時:2009/01/30 16:40

ニホンオオカミは絶滅してます。

いくら「ほぼ同じ」とはいっても結局は異種の外来生物を持ち込んで、はたして人間が期待した結果が出る補償はありません。
日本の国立公園はアメリカのそれほど広くないので結果的にオオカミの行動範囲が人間の活動エリアと重なる可能性は高いと思われます。
オオカミが鹿、カモシカよりもっと狩りやすい獲物を狙って来る、そして人間と対立する可能性は高いのです。
ハブ退治に導入されたマングースがハブより狩りやすい希少動物等を狩っているという現実もあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 江戸時代には生きていた同種の食肉獣なので、放獣については現在の人間生活にどう影響するかはわかりませんが、すくなくとも対立するというおおげさなことはならないようにおもいます。現在の日本で人間の活動エリアに重ならない大きな動物はないでしょう。クマ、サル、イノシシなども人間が杉などの針葉樹の森を増やしたため、餌がすくなくなり里に出てくるようになりました。イノシシも人間の温暖化で積雪の少なくなった地域へ生活域を拡大して、農作物に被害を次第に拡大しています。
 ドイツなどではオオカミを放獣して、増えすぎたときに人間が介入しているところもあるようです。
 オオカミによる家畜の被害については補償制度も考えればいいようです。ジステンパーから生き残った北海道の日本オオカミは家畜を殺すからという理由で駆逐されたようです。一方、モンゴルではオオカミの被害はあるものの、ある程度の被害は黙認してオオカミの存続を肯定しているとのことです。
 ヒトのために絶滅したり、絶滅寸前になった動物にどう対処すべきかは、大きなテーマのようにおもいます。イリオモテヤマネコについても家鶏の被害が多いようですが絶滅してもかまわないとの結論にはならないと思います。復活が必要であれば復活させてもいいようにおもいます。
 絶滅させたり復活させたりするという論理は人間のかってな理屈だと思われる方も多かろうとおもいますが、人間ほど地球の歴史の上で地球生物種を減少させ絶滅に追い込んだ動物はいないわけで、鹿、カモシカを食卓の皿に乗せるか、単に殺して制限するよりも自然に近いバランスを復活する方がいいようにおもっています。
 
 

お礼日時:2009/01/30 13:56

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