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ロックミュージックについて勉強している大学生です。
研究の参考として皆さんの意見を聞かせていただきたく、
このような形で投稿させていただきます。

ロックは日本で生まれたものではないですが、日本にもロックは取り入れられています。
私の個人的な意見ですが、英米のロックと日本のロックは音楽的にだけではなく、その存在自体が少し違うように思います。

若者達の社会に対する反抗など今の日本のロックにはまったく見られませんし、
音楽のジャンルの一つでしかなくなったように感じます。
しかし、ロックな生き方とかロックの精神とかいう
言葉はいまだにどこでも使われています。

現代においてロックの精神とは何を意味すると思われますか?
本物のロックとはどういうものだと思われますか?

A 回答 (6件)

ロックに限らず、音楽全体的に、日本と世界中の他国では、音楽そのものの在り方が著しく異なっています。

日本では、

(1)「精神的な点」よりも、「音楽スタイル(ジャンル)」が重要視されている。

(2)日本古来からの、「音楽に求める"気持”(=音楽を聴く、奏でることによって、受け取れる気持・なれる気持)」が、外の国々と、大きく違う。

(3)日本語というものが、言語として、西欧言語と全く異なった「音」「リズム」「言葉の成り立ちの在り方」である為、メロディーやリズムが欧米圏で発祥した音楽に、発祥の地で用いられているのとは全く違う言語(日本語)を乗せ、歌うことが通常となっているので、かなり音楽的に無理があるように聴こえてしまう場合がある。

という様な要因で、外のロックと内(日本)のロックの在り方が、もの凄く違っているのではないか、と思います。

本物が何であるか、というのは、言い切るのがとても難しいですね。なぜなら、今の日本の日常生活の中では、外来文化が殆どを占めてしまっており、とても残念なことに、大昔から続いている伝統がそのまま発展した形のものが日常とは全く結び付いていないのですから。しかしだからと言って、日本で我々が接している全てのものが「嘘モノ」であるか、と言うと、そうとも言い切れないでしょう。

現代の日本という国の在り方は、世界的に見て極めて珍しく、希少で、「外来文化を大量に取り入れ、その外観だけを残し、内面は日本的感覚や精神・好みに合う様に変えてしまい、国内で活用している。」というものですよね。 外国から持って来たものを上手に加工して、良い感じに仕上げるのが、日本はとても優秀だと私は思います。特に、食文化などは、すごく良い感じに「日本感覚の新外国料理」を確立できていますよね。

ただし、「音楽」に関しては、これは無理だと感じています。なぜなら、本来、「音楽」は「精神」と結び付いているものだからです。「気持」が発端になっているものでなく、ただ表面的に外観(ジャンルごとのスタイル。リズム・メロディーの傾向・奏法など)だけをなぞっている段階だとしたら、それは「音楽」である意味がない、と思います。

「音楽」=「”それを産み出す人の生き様・生き方そのもの”が、音として具体化されたイメージ」なのです。

「和製ロック」ならば、欧米で産まれた「ロック」に、"日本人特有の精神性”を加え、「新しい”オリジナルな在り方”」にまで極める人が居たとしたら、それは「本物」と言えるのではないでしょうか。なぜなら、生活様式は日本古来のものから欧米化寄りになっていても、日本人特有の精神性は、実は大昔と何ら変わっていないからです。

「和製ロック」を極めたとしたら、それは「ロック発祥地(欧米)のロック」とは全く違う空気が流れたものになるのは当然でしょう。もしかしたら、日本人すべてが根底で持っている"演歌・浪曲的発声法・音楽に対する気持”が自然に反映して、欧米ロックを大好きと思っている人からは、敬遠されてしまうかも知れません。

でも、そういった在り方が、日本人にとっての「本物のロック」ではないか、と私は思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても詳しく説明していただき、わかりやすかったです。
なるほどなと思いました。

>「音楽」=「”それを産み出す人の生き様・生き方そのもの”が、音として具体化されたイメージ」なのです。

たしかに音楽が生まれた原点をたどっていけば、ジャンルに関係なく、
人間の精神が発端に関与していますね。そう考えたとき今日本でロッ
クを歌っている人たちは、外観のみをなぞっているように思います。
現代の音楽に熱狂する人々(もちろん私もそうかもしれませんが)は、
中身のない“精神”と結び付きのない音楽を楽しんでいるということ
になるわけですね。それを本物と思うのは何か歯がゆい感じもします
が、かといって偽物として存在させるのも違うなぁと思います。

また参考にさせていただきながら、考えてみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/02/06 18:01

前述した内容に補足で記します。



「本物の在り方」を目指したい、という欲求はプロミュージシャンを目指した最初の頃には、どんな人にも(気持の強さの違いは個々にあるとは言え、)心の中にあったはず、と思うのです。

しかし、実際には、(ロックに限らず、)年齢を重ねながらも音楽活動を続行して行くにあたって、生活を成り立たせて行かなければならない、という問題があります。生活して行く為のお金を得る為に、ついつい、「自分の信念」よりも、「売れ路線」の音楽をやってしまったのがキッカケで、どんどん「自分らしさがそのまま出た"素直”な心の音楽」から遠ざかってしまう人が多い気がします。

「本物」=「自分自身の魂そのものをさらけだした音楽」ですから、それは"好き”か"嫌い”のどちらかにはっきりと分かれてしまうものだと思います。そうやって自分の心に正直に創った音楽が、たまたま、時代の流行に合っていれば、売れることもあるでしょう。しかし、大概は、「自分らしさ」を出せば出すほど、幅広い層に売れることはないので、何らか”故意な要素を加え、少しは売れるように操作する”のが現代の音楽業界の在り方だと思います。

それがどうしても嫌だ、という音楽家は、売れないことを気にせずに、一部の人々にだけ長い間、理解されながら、「自分の信念」を守って音楽活動を続けて行っているのでしょう。

日本の音楽業界の傾向は、とにかく、短期間に少ない宣伝の手間で大量に売れるモノを重視しています。またリスナー側でも、生活の中でやろうとしている事柄の数と種類が多いせいか、音楽だけに全てを捧げて、全身全霊でいつも聴いており、ミュージシャン側が、ちょっと全力投球でないステージをつい提供してしまったものなら、ブーイングの嵐になり、ステージが続行できなくなるほど没頭している人々の比率が少ないと感じます。

余りに「自分らしさを明確にし、全力投球で創られた音楽」というのは、結果として、ここでは需要が少ない為に、音楽を提供するミュージシャンの側も、なかなか信念を貫き難くなる、という国の文化的背景も、あるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。
やはりビジネス化した音楽業界では、作り手の精神や気持ちではなく、
売れるかどうかばかりが注目されるのは当然ですね。

>「自分らしさ」を出せば出すほど、幅広い層に売れることはないので…
私もそう思いますが、なぜだろうかと思います。
人々のニーズが多様化していることもあるかと思いますが、
昔のように多くの若者に信仰されるようなロックスターも
今じゃいませんよね。

お礼日時:2009/02/07 21:29

A2です。


ミスチルのロック性ですが、同じ曲しか作らないのに、ずっと一線にいるのは、普遍的な事を歌っているから。
そして時代に流されない、変わらない事を認められてるから。テレビ番組に出ても浮いてますよね?
「キミが好き」しか歌っていなくても十分反社会的なのです。

だから和製ロックとしては桑田圭祐が頂点なんだと思うのですが、サザンは時代に迎合するからポップスになる。
佐野元春とか浜田省吾は変らないことは認められていますが、存在に嘲笑が入ってますね。売れてないし。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。
そういうことですか。
そのようなことは私には想像できませんでした。
同じような曲ばっかだということはつくづく感じていますが、
そこにロックを感じるという発想はなかったです。

佐野元春、浜田省吾のことはよくわからないですが・・・
すいません。

お礼日時:2009/02/06 23:07

一般人の意見なので合ってるのかは分かりませんが、現代では人のことを指して言うロックと音楽のロックではもとは同じだったと思うのですが、音楽は時代によって変わるものなので、人を指していうロックだけが昔のイメージのまま取り残されている気がします。



私の個人的なイメージとしては酒だ、女だ。といった人たち、それを歌った音楽がもともとのロックだと思います。
恐らくこの考えは人を指すにあたって用いられる意味合いと同じだと考えられます。

しかし、今でもヴィジュアル系のインディースの人たちは社会に対する反抗心でロックというものをやっている人がいますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も人を指すロックと音楽を指すロックの存在については、
考えているところでした。確かに音楽はかなり変容していますが、
背景的なものは変わっていないと考えるのが妥当ですね。

>今でもヴィジュアル系のインディースの人たちは社会に対する反抗心でロックというものをやっている人がいますよ。

そうなんですか。知りませんでした。
メジャーではなくインディーズというところはわかるのですが、
なぜヴィジュアル系なんでしょうね。
奇抜なメイクをすることが社会への反抗なのでしょうか。
キッス等の影響があるのかな。

お礼日時:2009/02/06 17:46

ロックはスピリッツとファッションが両極端ですよね。


本物のロックはライフ。生き様。変わらないことというより変えられないこと。
スピリッツとファッションが日常であるのが本当のロックだと思いますよ。

ヤンキー上がりで、会社社長なんかやってるおっさんってロックだよね。会社員なのにギター捨てない七三分けとか。
だからデトロイトメタルシティのクラウザーさんはロックじゃない。

自分的には、ミスチルの桜井和寿はロッカーだなぁ。一人バカやらない嫌な奴で、同じ曲しか作らないもの。
福山雅治もロックを感じるね。イケメンとか関係なくエロ話がひどいし、すごい兄貴肌。

ちなみに私はこの二人の歌は大嫌いです。

個人的に尊敬するロッカーは、かまやつひろしですね。変わらない事ギターを手放さない事すぐに消える芸能界で最古参。生き様がロッカー。ムッシュのパンツはいつも細いです。
甲本ヒロトもすごいな。江頭2:50も生き様がロックだと思う。

こう書いてると、他人に好かれる事と嫌われることが両極端に評価をもらう人間ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
具体的に例をあげていただいておもしろかったです。

ひとつ疑問に思ったのは、同じ曲しか作らない桜井和寿さんを
ロッカーと感じるのはなぜかなぁと思いました。

>他人に好かれる事と嫌われることが両極端に評価をもらう人間
私もそう思います。中途半端ではロックを感じないですね。

お礼日時:2009/02/06 18:14

ファッション・・・。

本物のロック・・・?パ・・パンクかな~?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
パンクはロックの中でもさらに反抗・不良といったイメージがありますね。

お礼日時:2009/02/06 17:38

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