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こんにちは、

私は節約主義なんですが、それをと或るカトリック信者から、「貪欲は七つの大罪の一つだよ。」と言われてしまいました。

そ、そんな~~~! 質素倹約と、貪欲は違うだろ~~~! 、、、しかも私は無宗教なのに、、、と思いました。

兎も角、カトリックが節約主義を批判しているとも思えず(悪い事じゃありませんよね?)、、、こうなったら、聖書の言葉をもって反論してやろうと思います。

そこで、皆様にお願いがあります。

質素倹約を勧める聖書の言葉を教えてください。

よろしくお願い致します。

A 回答 (13件中1~10件)

kigurumiです。



>私は、聖書に質素倹約の言葉さえ発見できれば、、、そして、ギャフンといわせられればそれで良いのです。

ギャフンですか。
あなたがキリスト教徒なら「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」とマタイの文句を出すところですが、、、
ちなみにこの意味は、「悪を行うものに心を煩わされるな」ってことであって、イエス作家は非暴力を説いているわけじゃあない。

あなたはキリスト教徒ではないので、、、しかも聖書の文句を持ってキリスト教徒をたしなめたいと・・・

んーーー。

マタイの6:22。
「もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るい」
意味は「あなたが智恵を持ち分別があるなら、あなたの人生は明るい」みたいな意味。

<目が良い>とはヘブライ語の慣用句で、「気前がよい」という意味。
もう一つ、分別がつく って意味もある。
分別がつくってことを<健全>と訳されているので、曖昧になっていますが。
逆は、目が悪い=分別がつかない=ここぞって時使わない=ケチ。

マタイの42。
「求めるものには与えよ、あなたから借りようとする者を断るな」
だからキリスト教徒は教会から求められる寄付金を出すわけですが、これは誤解されて教会に悪用されてしまっている有名な文章のうちの一つ。

分別なく与えるってのは目が見えない人。
幹部は神からゆだねられた管理者なら、集まった金をケチせず使うべきところに使うべきだった。
彼らは目が見えなかったらしく、信者から集まった金を、核兵器会社、ポルノ関連会社、麻薬関連企業の株を買って財をなした。

どうしてそんなことをしたのかは、信者から集めた金を飲み食いして使ったってのもあるでしょうが、政治に介入して裏金として使っているってこともあるようです。


>カトリックがマフィアと癒着しているのか??? 本当かどうか分かりませんが、、、そんな事は、、、、本当にどうなんでしょうね?

日本はキリスト教国じゃないので、反応しませんでしたが、キリスト教国の人々は、スキャンダルを聞いてキリスト教離れが深刻化したらしいです。

ゴッドファーザーって映画、見たことないのでなんなんですが、あれがキリスト教徒とマフィアの癒着を風刺したものらしいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83% …

ここの<モデルとなった実在の人物と組織>のところ。


>ロッジP2のwiki参照ページには、カトリックの事や教皇の事は書かれていないようでした。

<赤い盾>って本があるんですね。この4に書かれています。
http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E3%81%84%E6%A5 …

カスタマーレビューのところでも、チラっと書かれています。
イタリアの政治界の大スキャンダルですが、イタリアの政治家、p2、バチカンとつながっており、なんと世に平和をと言う当の本人たちが悪を撒き散らしていた。
まるで、アンチウイルスソフトを販売しながら、商売繁盛のためにウイルスをバラまいているような行為。

驚くべき事実が発覚してしまったわけです。
聖書をもって平和をって言う人が、そもそも聖書のせの時も実行していなかった。
分別なく浪費してスッテンテン あげくに分別なく博打。麻薬会社に金投資して、麻薬会社を太らせると、、、信者は自業自得ですが、信者者ない集団も被害を受けてしまうんですけど。。。

天使と悪魔って映画が公開されていますが、ネタバレになるので言いませんが、この大スキャンダルと同じような内容です。
こっちは創作ですけど、実在する企業とか出てきます。

まっ、「聖書は分別なく浪費しろとは言っていない。管理がずさんで悪をばら撒く教会に寄付しろとは言っていない。悪い 馬鹿につける薬は無いから、誰も君の目を開かせることはできない」と言えばいいんじゃないかと。 
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

>あなたはキリスト教徒ではないので、、、しかも聖書の文句を持ってキリスト教徒をたしなめたいと・・・

そのカトリック教徒は、私が「カトリックじゃないから関係ないでしょ!」と言っても、「いや、神様は異教徒にとっても全世界の神様だから関係有る。」というのです。

困ったもんだ、、、と思いつつも、『そもそも、悪い事なのかい!! 無駄遣いしない、必要以上に求めない、しかし決してケチな行為はしてきてないつもり、、、。 こっちが、カトリックについて知らないと思って、有る事無い事、好き放題に言っているのでは???』

そう思い、『よし! こうなったら、一度とっちめてやろう!』と思った次第なのです。

>マタイの6:22。
>「もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るい」

決定打とは言えないものの、かなり有効な気がします。

ところで、カトリックについてのスキャンダル読みました!! なんと、、、事実性のかなり高い話のようです、、。 ヨハネパウロ2世って人の良さそうな顔していたのに、、、。中世暗黒時代ってまだ終わっていなかったんですかね?

<まっ、「聖書は分別なく浪費しろとは言っていない。管理がずさんで悪をばら撒く教会に寄付しろとは言っていない。悪い 馬鹿につける薬は無いから、誰も君の目を開かせることはできない」と言えばいいんじゃないかと。 >

ま、これを、柔らかくオブラートに包んで、言ってみます。

色々とありがとうございました。 本当に勉強になりました、

お礼日時:2009/05/19 10:01

No.9です。


なるほど。前回は質問に対する読み込みが浅くて、質素倹約=節約=過度な物欲(お金儲け)の否定=清貧と思って、 「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」の話を挙げましたが、もう一度質問やその後のお礼を見ると、あなたの言う「質素倹約」とは、日常の消費を節約して貯蓄に回すことのようですね。それをあなたの意見されたカトリック信者は「貪欲」と言って批判されたのですね。

道理で前回の私の回答は少しピント外れということがわかりました。
又、前回「不思議にまだ挙がっていませんが・・・」と切り出しましたが、あなたに指摘されましたとおり、No4さんと同様、お金を貯めずに貧しい人々に分け与えることを奨励した聖書の言葉を引用していましたし、No.8さんとも内容がダブっていました。

ほかの皆さんからの指摘もありましたが、聖書には、節約=過度な物欲(お金儲け)の否定=清貧という意味での質素倹約を促す言葉はあるようですが、質素倹約の結果、蓄財=金儲けを是とする言葉は見当たらないようです。質素倹約を奨励する目的は、蓄財→金儲けではなく、あくまで社会や貧困層への還元であって、これが今日のボランティア精神やチャリティ或いは公益法人の設立につながったと考えるのが自然なようです。

カトリック教会では、人間がより完全な生活に進むための特別な道として、キリストは「清貧」・「貞潔」・「従順」の実践を勧めたと理解しているようです。たとえば次の句です。

イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マタイによる福音書19章21節)

この 「清貧」・「貞潔」・「従順」というカトリック精神を実践しているカトリック独特の組織として「修道会」がありますが、「清貧」はまさに私有財産をもたないことであり、一種の共産主義的な気風さえ感じられます。

一方、プロテスタントの方は、何度も言うようですが、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に書いてあるとおり、自らの普段の生活の中では質素倹約を保ちながらも、蓄財を奨励して禁欲的な生活を送り、結果的に資本主義の勃興に寄与したということになるのではないでしょうか?

世の中のものごとにはみな両面があります。キリストの言葉や聖書の解釈ひとつとっても、このようにカトリックとプロテスタントの間でも、このように差があり、世代が隔たると、カトリックの盛んな国(イタリア・フランス・スペイン・南米諸国など)とプロテスタントの盛んな国(アメリカ・イギリス・ドイツなど)では文化的にも違ってくるようです。

どちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、キリストの言われた「清貧」を一方では、「社会への還元」に回し、一方では事業の発展や資本主義の勃興に結びつけたということで、それぞれキリストの意思にはかなっているのだと思います。
あるプロテスタントの本には次の記載があるそうです。
「キリスト教は資本主義の味方でもなければ、共産主義の味方でもありません。これらは、社会の進展においてとられてきた一つの政治的・経済的・社会的形態なのです。キリスト教を信奉するキリスト者は、資本主義や社会主義に満足せず、社会正義の実現に努力していくべきです。」(尾山令仁「一問一答」)
この点についてはカトリックも全く同じ考え方でしょう。

以上については次の本の記載を参考にしました。
ホセ・ヨンパルト著「カトリックとプロテスタント」(中央出版社)
p.109~114

ご質問の趣旨に合っていれば幸いです。
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この回答へのお礼

こんにちは、再度のご回答ありがとうございます。

一瞬「え?」と思ったのですが、、、、、、。

<イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マタイによる福音書19章21節)>

貯蓄で備えるのは、、一般的で、施しで備えるのが信仰って事なんですね。

備えあれば憂えなしと考えるのは、私が日本人だからなんでしょうかね?

自分の常識が必ずしも世界の常識ではないと、、、やっと気が付きました。

やっぱり、無宗教の私とは、視線が違うのでしょうね、、、。

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/17 23:58

No.6です。



キリスト教ってイエスの教えをモットーとする宗派ですよね。
うーん イエスが言ったとされたことに、質素倹約は無かったと思うんですね。

ユダヤ教は、10分の1税を信者から取り立てていた。
日本でも10分の1税の取り立てありますよね。所得税。

で、ローマ帝国の属州となったユデアですが、ローマ帝国は各地に住むユダヤ教徒からユダヤ教の聖職者が10分の1税をとることを許していたんですね。
マタイもその聖職者の一人として描かれている。


聖職者はローマ帝国各地に住むユダヤ人からせっせと10分の1税を取り立てていたが、納税は物でもよかったらしい。
神殿の宝物庫は、金銀財宝が溜め込まれていたそうです。
ローマ帝国が神殿を破壊し、宝物庫から宝を奪ったとき、ローマ帝国内の金の価格は大暴落をしたらしいです。

で、なんでそんなに溜め込んでいたのかというと、恐らくですが、日本の国庫金と同じ考えだったのではないか と。
富を一旦吸い取り、必用なところに撒く。
で、ローマ帝国はユデアが各地から回収することを承諾した見返りとして、高額の税金をローマ帝国に治めさせていた。
日本もアメリカ軍の維持費を払っているでしょ?


で、キリスト教に似た法律を作ったものとして、クムラン宗団ってのがあったらしい。
在家の信者じゃなく、住み込みで入信する人は、全財産を教団に預けることになっていた。
そこで住み込みして修行するので、衣食住にかかる費用は払わなくてよかったわけです。
通常2年後、修行の結果清い者だと認定されたら(恐らく大衆者と呼ばれるその組織のトップ12人によって)、預けられていた財産は教団の所有物となる。
ただし、一部は自分の財産として保有してもよかったらしい。


聖書にこんなエピソードがある。
入信を希望した夫婦。 
全財産を差し出すという決まりを破り、一部財産を保有していたのがバレて、神は夫婦を殺した となっている。
ローマ帝国は、ペトロを逮捕した。

私は、何も殺さなくても・・・と思ったんですね。
全財産を寄付しなかった人は、入会を認めなければいいだけのことじゃないかと。
何も全部欲しいからと殺して奪うなんて、、、どっかのカルト宗教でもやっていたが、、、 と思った。
(キリスト教はエッセネ派ともされることのあるクムラン宗団から分裂した組織だと思える。だから教義が似ていると納得できる。違いは全財産を着服するかしない派閥か)


そして何も殺人の罪を神におっかぶせるなんて、なんてあつかましい と思った。
神など信じていないので、神から「嘘だ」と訴えられないとわかっていたからでしょうが、ローマ帝国は騙せなかったようで。
逮捕されたペトロですが、看守を言葉巧みに騙すことに成功したのか、脱獄に成功している。
一応天使が現れ脱獄させたってなっていますが、、、

それか天使階級の肩書きを持つユダヤ教の聖職者が、保釈金をローマ帝国か看守にワイロをに払ったか。
ソクラテスは脱獄の勧めを拒否したが、、、、
(創作物語だとしても、現実に起ったことを物語りを作るうえで入れていると思える)


で、まあ そういうわけで、キリスト教の聖職者の人は、全財産を教会に寄付しなければならなくなったわけです。
カトリックの聖職者は財産を持たない。
でも定年のある階級の人はどうするのか?
一生恩給を教会からもらうので、老後の生活には困りません。
たとえ犯罪を犯したとされる聖職者にも一生支払われるルールになっています。

でも一般信者は?
カトリックは聖職者には一生独身で、全財産を寄付させますが、信者にはその義務を課していません。
ですが、一信者でどうしても自活できなければ、修道士になりたいとか言えば、養ってくれるでしょうし、年齢的に あるいは能力的に無理だと思える人でも、教会内の施設で床みがきとかの仕事を与え、最低限の生活を与えてくれるでしょう。
ただし、現実、困窮している人々がいるのに、教会は見向きもしなかったという現実がありますから、一般信者は、余裕があれば寄付する程度で、しっかりと教会ではなく国の制度を信頼し、国の補助制度を利用していると思えます。



カトリックはヒエラルキーという階級社会があります。
もともとキリスト教は勢力拡大として、土地の地主に特権を与えて取り込んだ。
地主は農奴をたくさんかかえており、農奴から搾取して、財を築いていたので、その地主を味方につけたわけです。
だからヨーロッパの貴族ってカトリック教会と密接な関係にあるわけです。

地主をキリスト教徒にすれば、農奴も信者になりますよね。
地主は蓄えた金で、キリスト教会を養うので、キリスト教会側からすれば「よき信者」になるわけです。

その地主の財産が欲しい。 もっと もっと 金を集めて教団をでかくしたい。
すると神の僕として息子を差し出す人は良き信者ってしたわけです。
貴族は良き信者になりたいので、息子を聖職者にした。
貴族が死ねば、息子に財産がいく。
息子は聖職者なので、遺産は教会のもの。
ところが、息子には子供がいた場合、財産は子供にいく。
それをふせぐために、聖職者は神と結婚したので、今の結婚は無効である とした。
強制的に妻子を取り上げ独身にしたので、遺産は教会のもの。
どんどん 教会の建物は豪華になり、神の宮殿はゴテゴテ飾られることになるわけです。
そうすることによって、私有財産を持たなくても、まるで自分がすごい財産を持っているかのように錯覚できますから。


で、一般信者は?
教会に子供を捧げたとしても子沢山であれば、教会から全財産を没収されなかったので、貴族として親からの遺産と土地をひきつぎ、貴族同士で結婚して、ファミリービジネスを展開するわけです。
別に働かなくても、一生かかっても使い切れない財産があるのでいいわけで、暇でしょうがないのでチャリティーとかするわけです。
チャリティーのパーティー券1枚日本円にして10万円とか、只同然の値段で売って、教会に寄付するわけです。

使っても使っても減らない財産を持っているので、ドレスを買うとき値段を確認しない。
たかだがどうぜ数百万というはした金なので、値段を確認しないわけです。
私は服買わずに寄付すりゃあいいと思うのですが、チャリティーパーティーを催さないと買ったドレス着る機会無いじゃないですか。
パーティー券販売で集まった金を教会に寄付して、「みなさんの他愛の心が、これだけ資金として集まりました。貧しい人達に寄付しますね。みなさんに神の祝福がありますように」とやるわけです。


さて、貴族ではなく祖先が地主の下で働いていた元農奴の子孫もカトリック教徒。
一生かかっても使い切れない財産などもっていないわけです。
そりゃあ いっくら神がどうにかしてくれると言われても、周りを見ても教会は金を出す人には「あなたに神のご加護を」と言うが、困窮したとき教会は見向きもしないと知っているので、絶対的な信頼は置くことはできないわけです。

だから、月20万稼いだ場合、全額教会に寄付するってことはせず、月 カルチャースクールで使ったらこの程度ってくらいの費用を教会に寄付する。
だってカトリック信者の中には富豪がいるわけで、彼らがポーンとはした金として100万とか一回で寄付できてしまうのだから。
彼らが仲間内でボランティアとかチャリティーとかして、信者全員が寄付した額の何倍も集めてくるわけですから。

こういう貧富の格差がすごいのがカトリック。
貧富の差が大きいようにシステム上できているから。
永遠に富んだ家系の人は富み続け、貧しい家庭の人は貧しいままのシステム社会になっているから。
だから現実、倹約して貯蓄していると思います。

カトリック教会は信者に清貧を強います。
そうすることによって、貯蓄せず寄付をしてくれるから。


プロテスタントは、儲けたのは神のご加護の結果だとして、神のご加護の証である儲けを受け取るって発想。
寄付しろと強制は無いようです。


ところで、カトリック教会、信者から集めた金を貯蓄して富の分配をしているはずなのに、破産の危機に陥った。
一体何に使ったのか?
カトリック教会の資金源はいろいろあり、大口としてマフィアがある。
マフィアの幹部が臨床の際には、教皇がすっとんで行って、教皇の原研を持って一切の罪を清める儀式を行う。
もちつもたれつの関係にありマフィアは大口の顧客として特別待遇するわけです。
しかし、金のルートを辿るとマフィアからの金だとばれてしまう。
マフィアからの金を浄化して綺麗な金に変える仲介者がいるわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83% …

ほうほう 汚れた金を綺麗な金に変えて、何に使い破綻しかかったのか?

カトリック信者の多い国ポーランドのワレサ。彼の活動資金はどこから出ていたのか?
パウロ2世とワレサの癒着。
ポーランドの民主化に必用だった金額 いくらだったんでしょうねぇ。
神に任せなかったわけで、神に対して不信していたってことですね。
金こそ神だってことでしょうか。

教会になけなしの金を寄付して貧しい暮らしをしてていた信者は、、、、ポーランドを民主化することには成功したわけですが、信者が困窮したとき、助けるための額は残っておらず、、、orz

それはヤバイということで、バチカンは株に投資した。
麻薬企業とポルノ企業の株。
もうかったが、麻薬とポルノを世界に蔓延させることになった。orz


バチカンの長女とわれるフランスの信者の内1桁台の信者しか、教会に行かないのだとか。
で、どのような人が、毎週日曜日に太陽賛美をしているのか?
調べていないので、わかりませんが、とっても裕福でかつ敬虔な信者か(敬虔じゃないと、ロングバケーションしていますから)、貧困にあえぐ信者じゃないかと推測します。(休みの日にどっか遊びに行くというゆとりなど無い。無料サービスが行われるが主な目的は無料の食事じゃないかと)


私の知り合いにカトリック信者がいました。
ついていけない と。
金が持たなくて教会に行けなくなった。
どういうことかときくと、その教会のカトリック信者の人たちは金持ちばかりで、いつもチャリティーやボランティア活動をしており、それにかかる費用が半端じゃなく、給料をつぎ込んでももう費用は出せないが、顔を出すと、ボランティアを手伝うように誘われ、それに参加するだけの金がもう無いといえず、教会に行けなくなったと。

教会にいけなくなってから、金溜まったと思います。
なんでボランティアやチャリティーやるのに、金かかるのか よくわかりません。
24時間テレビの運営も莫大な金がかかるので、理屈はなんとなくわかりますが。
なんでそのかかる費用を、会を開催せず寄付しないのか わからない。
要するにこれだけ私は神のために奉仕しているって実感を持つため、自分が活動をする場を開きたいんでしょうね。
それだから、寄付せず会を開く必要がある。

とまあ、、、カトリックの人って大金持ちなんですよ。
信仰も娯楽としてやっているので、はした金程度しかかからないので、やれるのだと思います。
友人以外のカトリック教徒と話をしたことありますが、信仰より美容。
美しさにためには金はどれだけでもつぎ込むってことらしいです。
その美容のため使わず貧しい人に寄付する気はさらさらないくらい金持ちってことですね。
プロテスタントになればいいのにねぇ。
ところが、プロテスタントは庶民で、貴族はカトリックって考えているので、あなたがたとは私は違うのよ ってことで、カトリック教徒のままなのだと思えます。

一応自分はセレブのつもりらしい。
セレブってなりあがりって意味ですけどね。
そのカトリック信者と話をしても、この人は成りあがりだってすぐわかりました。
だって泥まみれだったから。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

返信が遅れて申し訳ありません。

私は、聖書に質素倹約の言葉さえ発見できれば、、、そして、ギャフンといわせられればそれで良いのです。

カトリックがマフィアと癒着しているのか??? 本当かどうか分かりませんが、、、そんな事は、、、、本当にどうなんでしょうね?

ゴシップ記事と言いますのは、信憑性がどれくらいあるのか分かりませんし、、。

ロッジP2のwiki参照ページには、カトリックの事や教皇の事は書かれていないようでした。

色々と調べていただきありがとうございます。

お礼日時:2009/05/14 13:25

「しかし、、、、質素倹約しながらでもできるし、そもそも蓄えのない人生など、、、、とても送れません。


ですか。
カソッリクのお手本の生き方をしたお方は、マザーテレサですね。
マザーテレサはそのような人生をおくってたでしょ。
新約聖書の教え(富者は天国に入るのは難しい)に忠実に生きればそのようになりますね。
でも、カソリックの人たちが蓄財をしないわけではないですよ。私の友人にはカソリックもプロテスタントもいますがそこここ裕福ですよ。つまり、神父で無い限り富の問題に関しては適当に解釈しているということですね。イエスも金持ちが神の国に入れないとは言い切っていませんしね。
ようは、キリスト教には富に関する明確な教えが完全に欠落しているということなのですね。だから議論の対象にはならないということですね。
富や蓄財を悪と捕らえるか善と捕らえるかは信者次第ということなのですね。
清貧・蓄財というのはプロテスタントの人が多いですね。アメリカで財を成したかたがたは大抵、プロテスタントですね。蓄財はしたけど民衆から嫉妬を受けるので寄付したといのが、カネーギやフォードなのですね。儲けて蓄財することは善だけど使い道がわからないという不思議ですね。南米などはカソリックが多いですけどみんな貧しいですね。
まあ、どの既存宗教にも欠点があるということが理解できればいいのですがね。キリスト教は富の問題と、戦争(政教分離)の問題ですね。
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この回答へのお礼

こんにちは、再度のご回答ありがとうございます。

>ようは、キリスト教には富に関する明確な教えが完全に欠落しているということなのですね。

なんと、そうだったのですか?

よくよく考えてみれば、宗教が富の事をあれこれいうのも変な話ですね。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/08 22:05

カトリック信者です。


不思議にまだ挙がっていませんが、イエスが金持ちの人を前に言われたずばりの名セリフがあります。

・・・イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
(ルカによる福音書 / 18章 22~25節)
(日本聖書協会ホームページから検索可能→http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi )

この前後にも出てきますが、最初の使徒ペテロとアンデレの兄弟も漁師だったのに、イエスから声をかけられて、親と船を捨ててイエスに従ったとあります。家族や金銭に執着しないで、信仰を選ぶのが良しとされていたのでしょう。

唯、金持ちが本当に天国に入れないかについては異論があるようです。キリスト教は裕福な欧米諸国に広がりましたが、その点をカモフラージュするために、自分の財産を家族だけで占有せず、教会や社会に寄付したり還元していこうという風潮、引いてはボランティアや公益事業の考えが発達していったのだと思います。

又、No.8さんご指摘の通り、マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、ヨーロッパから新大陸に渡ったプロテスタント信者(ピューリタン:清教徒)が本来、営利の追求を敵視する禁欲主義を行動原理にしていたにも関わらず、結果的に禁欲主義を以って仕事に精励した結果、富を蓄積してそれを更なる仕事の発展や社会への還元に回した結果、近代資本主義の発展に大きく貢献した、ということが言われています。
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この回答へのお礼

こんにちは、カトリック教徒の御方からのご回答ありがとうございます。

>不思議にまだ挙がっていませんが、イエスが金持ちの人を前に言われたずばりの名セリフがあります。

No4様と同じ内容ですね!、、、、節約はやっぱりカトリック的には悪なんですか。

ところで、私は「ケチ」や、「しみったれ」は良くないと思っています。

ボランテア活動もすばらしい行いだと思っています。

しかし、、、、質素倹約しながらでもできるし、そもそも蓄えのない人生など、、、、とても送れません。

カトリック教徒は、蓄えをしないのでしょうか?

いったい、その辺はどうなっているのでしょうか?

教えてください、よろしくお願い致します。

お礼日時:2009/05/07 00:16

>>カトリックが節約主義を批判しているとも思えず。


ですか。
思えずというのが間違いで、富の蓄財は悪という考えそのものですね。
これはイエスの教えから来てますから変わりようが無いですね。いわゆる「金持ちは駱駝が針の穴・・」の話ですね。
イエス自体が富には程遠い状態でしたから仕方が無いですね。更に、貧乏を愛する神ですから富が嫌いなんですね。
そういうことでカソリックと議論する意味はないと思いますよ。
この富が悪であるという考えを改めて、蓄財は神の御心にかなうという解釈を作ったのはプロテスタント(マックス・ウェーバー・プロテスタンテイズム)ですね。工業・商人階級にキリスト教を広めるための解釈ですね。キリスト教でも宗派が違うと考え方も違うのですね。
日本には二宮尊徳とかいろいろ蓄財は善という考えがありますので自然なのですがキリスト教はいろいろ難しいんですね。
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この回答へのお礼

こんにちは、

皆様のご回答を拝読する限り、私の知り合いは、正しいカトリックの解釈を言っていたのですね、、、。

単純に驚きです。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/07 00:01

こんにちは、『教え』として聖書に倹約を勧める言葉は思いつきません。



数少ない、ある有名な節約成功話は、

創世記41章25~36節です。

長いから引用しませんが、貯蓄によってエジプトの飢饉を救ったヨセフの話。これがなかったら、そもそもイエスの先祖は飢え死にしています。

それと、一応ですけど、

申命記20章19~20節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
19)長く町を攻め囲んで、それを取ろうとする時でも、おのをふるって、そこの木を切り枯らしてはならない。それはあなたの食となるものだから、切り倒してはならない。あなたは田野の木までも、人のように攻めなければならないであろうか。
20)ただし実を結ばない木とわかっている木は切り倒して、あなたと戦っている町にむかい、それをもってとりでを築き、陥落するまで、それを攻めることができる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

何となく無駄使いを戒めています。

これくらいですかね、、、、物を大事にしましょう、節約精神の表れと感じられる聖句は。
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この回答へのお礼

こんにちは、やっと節約、倹約、貯蓄の話が出てきました。

そうですよね! 貯金がないと、なにかあった時に飢え死にしてしまいます。

備えある人生が悪い筈ありません。

と、思うんですよ、、、。

なんとか、やっと解決に近づいたか、、、、、。

キリストの言葉でもありまましたら、さらにギャフンと言わせられそうです。(←他人の褌で相撲を取ろうとしています。)

もし他にも有りましたら、また教えてください、よろしくお願い致します。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/06 23:52

聖書の中で質素倹約って思いつかないのですが、金持ちとラザロがそれに近いかも。




またカトリックは強欲というか、、、他の地下資源(貴金属)が取れるとして、アフリカを支配下に置いたわけですし、他の地域も土地が肥えているから、その土地が欲しくて、侵略・略奪を繰り返してきたわけで、、、
海外に行ってカトリックの教会かどうか、人目でわかります。
ぴんぴかキラキラ金つぎこんでいるって見てわかる教会がカトリック系。

各地から略奪してきたものや、信者から騙し取った金で建てた教会ですから、ケバいんです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3% …

レオ10世教皇はすさまじい浪費家だったようです。
まあ 浪費してくれることで、経済がまわるってことで、じゃんじゃん湯水のように信者たちから集めた金を、夜のお供をしてくれる男にみついでいたのかもしれない。
外見が美しくない教皇だったようで、男と寝るには金払わなければ近寄ってきてくれなかった???
信者の寄付した金が教皇の性の趣味で使われていたと信者知ったら、教皇こそ7つの大罪の身にまとった悪魔だってなってたかも。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA1 …

今度公開される天使と悪魔 見るとわかりますよ。
どうして天使であり悪魔でもあるとなるのかって。
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この回答へのお礼

こんにちは、

なんとか、ネットで調べました。 金持ちとラザロって、お金を貯めた人の方が悪者になっているような、、、、。

そして、ウィキ見ました。 貪欲が一番の大罪になるにはそんな理由が会ったんですね、、、。 納得しました。

なんとなく、相手の気持ちが分かりました。

これは、ちょっと聖書の言葉を使ってカラカッテやろうと思いましたが、、、不可能かも?

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/06 23:36

あれ。

。。?

待ってください。

>そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持ってきて、イエスの足に塗り、
>自分の髪でその足をぬぐった。

この続きがあります。

弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜこの香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

彼がこういったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。

イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの
葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつも
あなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

イエスに接吻して裏切る、イスカリオテのユダが登場するんですね。。。
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この回答へのお礼

こんにちは、再度のご回答ありがとうございます。

>彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。

なるほど! お金を適当に扱っちゃいけないという教えですね。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/06 23:28

残念ですが、質素倹約はカトリックの致すところではありません。



悪く言ってしまえば「有り金は、全部貧しい人(又は教会)に捧げよ!」これです。例えば貧しいやもめの話では、生活費全部を投げ込んだ貧しいやもめが尊ばれていますし、マタイ19:21では持ち物を全部売り払って施しなさい、と勧めています。

イエスが、例えばマタイ19章で述べた戒律は
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
偽証をしてはならない。
父と母を敬え。
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
の六つと、全財産の施しです。

なので、自分のためにする節約はあんまりいい顔をされていませんね。


・・・あんまりなので、こちらは論語を持ち出してみましょう。
子罕第九の三 子の曰わく、麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)なるは倹なり。吾れは衆に従わん。

先生が言われた。「[礼服としては]麻の冠が礼である。この頃絹糸にしているのは倹約だ。[そこで]私も皆に従おう。」
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この回答へのお礼

こんにちは、

なんと、カトリックは、節約を、、、、快く思っていない、、、、。

そ、そんな、、、、。 信者の方々はどんな生活を!!!

も、もはや、、、、私は無宗教だ------! と言って相手の言い分をはなっから無視するしかないのか???

論語ですか、ご丁寧にありがとうございます。

なんとかして、反論したいです。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/06 23:22

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