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博士号取得率は人文科学が7.1%、社会科学は15.2%です。
それに対して理系分野は医学・歯学などを含む保健の56.3%で、農学53.3%、工学52.8%、 理学46.3%です。
多くの人が疑問にもつと思うのですが、なんで理系は博士号を乱発すのでしょうか?
博士号というのはごく一部の業績を残した人に授与されるべき、そうであってほしいと私は思います。
イタリアやフランスのような制度であってほしいです。
理系は博士号を取得してからがスタートだみたいにいう方もいますが、全員が本当に「博士にふさわしい人」なのか?というと疑問の博士もいます。博士号という価値がなくなってきています。残念です。
私は修士で逃げた人間なので偉そうなことは言えませんが教えてください。

A 回答 (8件)

>なんで理系は博士号を乱発すのでしょうか?


>博士号というのはごく一部の業績を残した人に授与されるべき、
>そうであってほしいと私は思います。

文系みたいに国内の限られた人しか読まない本をすごい時間をかけ数冊書いてやっと博士号を取るの制度がそんなにすばらしい制度だという事ですか?毎年国際学会で発表する理系より?

私は優劣があるとは思いません、その分野毎に事情がありますし、その事は公知なのですから、乱発だとか出し渋りだとかそういう話ではないと思います。

>イタリアやフランスのような制度であってほしいです。

理系はアメリカのような制度を取ったというだけです。あと、昔からのフランスの友人がいますが、彼は私(日本)と同じようなペースで博士号を取りましたよ。イタリアの若手の知り合いもドクターもってるなぁ・・・(その彼はアメリカで取ったのかもしれない)

>理系は博士号を取得してからがスタートだみたいにいう方も
>いますが、全員が本当に「博士にふさわしい人」なのか?
>というと疑問の博士もいます。

理系諸分野において「博士にふさわしい人」は「学術論文を数本、国際会議発表を数回(各研究科によって多少のルールは異なる)の実績を有する人」という定義です。定義ですから、疑問の余地はありません。あるとすればディプロマミルぐらい。

文系は知りませんが、理系の場合はどのレベルの学術論文誌に通ったか、どのレベルの国際会議で報告したかで、その人の業績が見えますから、別に学位は、「研究者としての免許状」程度の価値で、私は問題無いと思います。

>博士号という価値がなくなってきています。残念です。

価値ってなんでしょう?昔みたいに「末は博士か大臣か」みたいな、そういう時代に戻った方が良いという事ですか?それこそ旧帝国大学の頃の価値観ですよね。戦後は博士課程の進学が増える遙か以前から、日本においては博士号なんて誰も価値を見いだして居なかったという実史があります。バブルの頃でさえ企業は見向きもしませんでしたよね。今でも「博士号」という学位がなんなのか、どうやって取るのか、知らない人がほとんどでは無いですか?大学院に修士課程と博士課程がある事を知らない人だって多いですよ。そんくらいの認知度のものですから、「ごく一部の業績を残した人に授与されるべき」みたいな「べき論」よりも、「郷に入っては郷に従え」という事で科学技術の総本山アメリカの方式を取り入れる「実利」を採ったほうが賢い選択だと、私は思います。
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博士号事態にそんな威厳は感じませんが。


二流大学の博士より、一流大学の学部、修士のほうがよっぽど社会では使えますし、博士号なんて全然すごくないですよ。
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この回答へのお礼

皆さん回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2009/06/02 20:26

取得率の数字の由来が不明確である、またどうも実感と合わない、という他のかたのご指摘は私も同感です。


そのうえで、質問者の「乱発過ぎないか」といわれるのは、気持ちは分かるつもりです。これが博士なのか慨嘆してしまうケースを何度も経験しています。博士課程のコースに乗ってしまえばよほどひどくない限り博士になる時代です。昔に比べ博士号の価値が落ちたことは確かでしょうね。
指導教員としても博士を何人輩出したというのが業績です。手塩にかけてしっかり鍛え上げたいなどと思っても、手間が掛かる上に院生から恨まれるのが落ちです。出来の悪いのはさっさと巣立たせた方が楽。論文審査の教員も、指導教員との軋轢は嫌だからどうしてもホイホイ合格させます(苦虫をかみつぶしながら)。学会発表や論文数などでハードルが設けられていても、見る人が見れば赤面ものの内容でもあちこち出せば発表数や論文の数はなんとでもなりますし。

若い頃アメリカに出張を繰り返していた折、出会う博士達がたいしたことないのに驚いたものです。当時、博士というと自分の手が届かないくらい偉いはずだと思っていたのです。カルチャーショックでした。
今の日本はアメリカに近くなったわけですが(文系は知らず医理工系は)、
ただ、、、、、、
それがいけないことなのかどうか。相場観が旧いと「博士の価値は落ちた、けしからん」、となりますが、今の相場で博士とはこんなものだと思える人にとってはどうということは無い。博士の相場はどうあらねばならぬという判定基準はないでしょう。まずいことがあるとすれば、博士はエリートだという世間の相場観と実態とのギャップでしょう。世間の相場観はいずれ実態に近づいていくはずと思うしかないのでは。
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ふと、



博士号取得率って何ですか?

博士を取得した人の中で、どういう種類の博士かって割合?

各々の博士課程の学生の中で、無事博士号を取得できた人の割合?
(これは無いと思いますが。。。私の分野は医学理学系ですが、感覚として半数というのは低すぎると思います。)
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大学の生き残りとか、生徒数の確保をした結果卒業させないと行けないからとか、あるかもしれませんが私はよくわかりませんので、他の知っている方にお任せするとして、


1つ別の視点で。

数が多いからといって、「乱発だ」とするのはいかがかと。
単純に、博士課程に進む人の数が多いので質問者様があげられた%になっているのではないでしょうか?
私が所属してきた大学では、文系の博士課程進学者がかなり少なかったです。

あと、「博士にふさわしい」という人になるには、博士号を取っただけではダメです。博士号を取った人は、その道では初心者なのです。
それは何の職業でもそうだと思いますが、最初から「ふさわしい」というレベルなんていないと思います。運転免許を取りたてと同じです。

質問者様が、何をもって「博士にふさわしい」と思われるのかわかりませんが、あくまで、将来博士と言える人になる「可能性」を持った人に博士号は与えらるのです。
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人文学、社会科学と異なり自然科学はコンピュータの発展により「爆発的」に分野が拡がりました。

同時にデータ収集速度も上がりました。するとそれらを放っておく訳にはいかないので、大学は大学院を巨大化させ「手」と「頭」を増やさねばならなくなりました。さらにポスドクを増やして研究速度をどんどん上げます。
それでも進化し続けている学問領域では手が足りないのです。
一方、機械や電子の基礎は不人気で人が集まりません。
社会的には必要な人材が集まらないのです。
博士の数は増えましたが必要な所で人材は足りません。
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取得率は『修業年限内に』取得できた人の割合と思いますよ。


http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat046j/h …

> 全員が本当に「博士にふさわしい人」なのか?
人間性のことを言っているのか判りませんが、理系の場合、学会誌に載せられる論文を数編書く事が出来、卒業後は指導教官なく書ける人と解釈するべきでしょう。

ただ博士号を正規に取ろうとすれば判ると思いますが、努力もしない人にとやかく言われたくないですね。どこの大学であろうとその審査は厳しいですよ(たぶん国立大学並み以上のレベルでは・・・)。
それなのに博士号取っても大学教授や一部の研究機関の求人に応募出来る資格があるだけで、なれる保障もない。それ以外は何もメリット無いのですから。

できればイタリアやフランスの博士が日本やアメリカの博士よりすばらしい点をいろいろ教えてもらいたいものです。そうすれば日本の博士の地位が向上しもっと敬われ、就職難などの不遇な博士が減るかもしれません。

参考URL:http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat046j/h …
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「単位卒業」という制度が出来てから、確かに「博士号」授与者は増えました。

ついでに、書いておくと、理科系の場合には、実験・実習・論文作成・学会発表をこなさなければならないのです。

そんな事情もありますが、意外にも留年も多いのです。また、企業との受託研究で博士号を授与する場合もあります。TVのCMではないですが、国内留学という制度を大手の企業では大分前から整備しているようで、修士卒後、企業経験を経て博士課程に入学してくる大学院生も居るからといえば、それまでです。

「イタリア」や「フランス」の制度は存知あげています。日本も過去には、確かにその制度で運用してきました。しかしながら、海外へ留学する際にも、「博士卒」はパスポートのような時代に入ってしまっているというのも確かです。

ついでに、イタリアやフランスの大学院制度の場合には、「完全に国費で面倒を見る制度であるという事実はご存知でしょうか?」。それに引き換え、わが国の場合には、国立は国立大学法人化され、公立も公立大学法人化されました。今も確かに不平等なところは存在しますが・・・「学生さん」がお客さんに相当するので仕方のないところもあります。

まあ、そんな事情です。
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