街中で見かけて「グッときた人」の思い出

ざっと調べてみたのですが・・・

咸臨丸の37日間の船旅についての記述はよくあるのですが、サンフランシスコから
ワシントンまでの陸路について記述したものがまったく見つかりません。
この旅はどんなものだったのでしょうか?
鉄道は既に敷設されていたのでしょうか?

旅の様子がわかるような、資料等のご紹介をよろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

 勝海舟ら幕府海軍の、咸臨丸の使節団護衛隊は、サンフランシスコまで


米軍艦ポーパタン号に便乗した使節団を送り届け、米政府に
護衛を引き継ぎ、まもなく、帰路につき、太平洋往復した。
 
 新見正興、小栗上野介ら幕府高官の使節団は、サンフランシスコから、当時コロンビア領のパナマ西岸でポウハタン号を下りると、パナマ地峡横断鉄道で大西洋側へ出て、米軍艦ロアノウク号でアスペンウオール(コロン)~ワシントンへ上陸。

ワシントンで批准書交換式を行い、フイラデルフィアを経てニューヨークへ

帰国は米軍艦ナイアガラ号でニューヨーク~アフリカ~インド洋~インドネシア~香港~日本、というコースでした。

当時アメリカ合衆国内の大陸横断鉄道も、パナマ運河もなく、大変でした。
もし、駅馬車で大陸横断していたら?西部劇映画のネタになっていたかも(^_^.)

http://tozenzi.cside.com/pow2.htm

http://noburu.blog92.fc2.com/blog-entry-18.html
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この回答へのお礼

「咸臨丸をどかすと見えてくる、小栗上野介の渡米の業績」

本当にその通りですね。
使節団の旅は、咸臨丸の航海とは比べものにならない過酷なものだったでしょう。
しかし、わが国の教科書は咸臨丸ばかりですね。
国産品ならともかく、他国で建造された船を操っただけのこと・・・もっと使節団の労苦に日を当てるのが正しい歴史認識ではないでしょうか?
小栗上野介は本当に空しい気分だったでしょうね。

丁寧なご回答有難うございました。

お礼日時:2009/06/14 23:38

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