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藤本ひとみさんの本くらいでしかフランス革命についての知識がない者です。
彼女の本を読むと、革命前後の貴族や庶民の生活ぶりや考え方が克明に描かれているのですが、
恐怖政治といった状態に突入してしまい、密告などで
次々にギロチンにかけられてしまいます。
フランス人は昔から現在でも個人主義と言われていて、自由を好み、他人がどうしようと自分は自分、迎合しない、という国民性らしいですが、
当時は国中総ヒステリーのような状態になっている様子です。
フランスは近隣諸国と違って、全体主義に陥ることも歴史上あまり無いのに、革命時の社会状況はどうしてああいうことになったのでしょうか。

A 回答 (7件)

 No2です。



<理論と現実には大きなかい離があるということでしょうか。>

 理論と現実には、当然乖離がありますが、その大きさの違いではなく、現実を踏まえた上で判断する現実主義者と、理論を第一に考える理想主義者との違いです。

 「改革」自体は現実の行為ですから、一度に全部行われるのではなく、いくつかの段階を経て行われます。その過程で現実が変化していきます。

 例えば、フランス革命では、都市では手工業が始まり、貴族や教会が大地主である社会で革命が起きました。
 都市の自由業者・貧しい工場制手工業従事者や貧農が革命の支持母体になりましたが、貧農に対して土地を分配すると、今度は土地の所有者となった農民がそれ以上の社会改革が進展するのを望まなくなる状況が生まれました。
 当時のフランスでは、農業経済に対する依存度が相当高く、土地を手に入れた自作農が国家財政を支える形になって、財産を所有しない都市労働者との間に政治的立場の違いが生まれたのです。

 理論通りに更なる改革を求める都市労働者と、既に欲しいものは手に入れたので現実的となり、改革の進展に消極的な農民・都市の自由業者との間の対立が発生しました。

 全国的には、革命の進展を望まない者が多くなったものの、政治の中心となる都市では、一層の革命進展を望む労働者が多いというアンバランスが発生し、理論通りの革命をしようとする政治家と国民の多数派が革命の収束を望んでいる現実を優先しようとする政治家との対立が、政治の中心地で激化したのです。

 似たようなことは、ロシア帝政の崩壊でも起こっています。自由主義者・共産主義者が協力して帝政を倒したものの、その後両者の対立が激化しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
王妃をはじめ、王室や貴族の浪費と放蕩が原因で革命が起こったという説しか知りませんでした。
それ以前に、農村や都市の状況から革命への下地は十分にできていたんですね。

お礼日時:2009/07/25 03:31

NO4です。

質問者さんからの再質問なのでできる限り回答させていただきます。

そうなんですか。(=フランスは全体主義的な政治が幾度も出現します。)フランス人の個人主義というのは政治のことではなくて、家族関係や対人関係での接し方が個人主義的ということなんでしょうか。

 実は個人主義に捉え方が非常に難しい部分があります。
個人という社会単位が尊重されるにしても、
「どんな権限によって個人が尊重されるのか?」
という見方で、個人主義の限界射程が変わってしまいます。

たとえば、
・オランダのような安楽死・麻薬合法・性風俗の自由放任度合が高い国は、個人主義を担保するのは、責任ある個人の自己決定権を最大限に尊重できる社会であるからです。

 これに対して、フランスの個人主義というのは、地域社会が基盤になった個人主義で、社会思想用語では、コミュニタリアンという用語が妥当です。

 日本の個人主義の基盤は判定が難しいといえますが、現状の日本人の多くが個人の権利は国家に由来するもの(後国家的権利)と考える志向性が強いと言えるでしょう。ほかにも保守系は血縁に執着するなどの傾向もありますから、個人主義の基盤と個人主義を縛る要素は強いと言えると思います。

 ”個人主義ではない”という回答はしていますが、フランスにおける個人主義は地域社会基盤に根ざした欧州的な個人主義と考えるのが妥当でしょう。

 ちなみに、フランスは都市部が自由主義的な気質が強いのです(欧州世界でもっともグローバル化が早かったせいでしょう)が、
逆に地方(特に南仏)に行くと途端に個人主義気質が弱くなり、保守的色合いが強くなります。保守といっても、色々です。

フランス通史を学習するとどうしてもパリを中心としたフランス政治史の一面だけしか見ない傾向ですが、フランスの地方史はそれこそ、全体主義の色合いは強いと言えます。
 アルルなんかは保守気質で、なかなか芯のある市民が多くてビックリします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
フランスのイメージだとパリのお洒落で自由な都会生活者のことが思い浮かびますが、
フランスは実は農業国で、都市以外の田舎の占める割合が大きいらしいですね。
地方のことはあまり日本ではしられていないですね。
ピーター・メール以来南仏が脚光を浴びましたが、観光と別荘地という側面でしか見られていないです。
パリとその他ではすべての面で温度差が大きそうな感じです。

お礼日時:2009/07/25 03:36

フランスは現在の国名をフランス共和国だと


思いますが、また、別称「第五共和国」というそうです
自分は最初はフランスの歴史で五番目の共和政だから
だろうぐらいに思っていましたが、どうもフランス人
からしたら、そうではなく人類で五番目の共和国だと
いうそうです、それも元祖の共和国は、フランスいがいの
どこかで、それからカウントして五番目がフランス
共和国かというと、それも違うとフランス人は
言うそうです、そうではなくてフランス革命で出来た
のが人類最初の共和国で第二共和国はナポレオンあたりで
第三共和国は普仏戦争の痛手から立ち上がったあたり
第四共和国は第一次大戦後、第五共和国は
第二次大戦後のもの
つまりフランス人にとっては共和国はフランスだけであり
他の共和国を名乗る国は皆エセ共和国だというわけです。
あくまでフランス人からの主観ですが
このようにプライド高い民族のフランス人ですが
フランス第一次革命は周りの王国諸国は革命を阻止するため
軍事介入してきて、それはそれは大変で何も国内不穏分子
だけでなく国内外で敵だらけだったフランス革命体制で
フランス人の革命情熱も無理からぬことかもしれません。

フランスは第一次革命いこう何度も全体主義の体制に
なっています。ナポレオンがそうだし
そのあと王国復活したりナポレオン3世などという
元首も出ました、普仏戦争で負けて暫定的に親ドイツ
体制になったし第一次大戦前後期のフランスは
極右的でした、第二次大戦でドイツに征服され
ドイツの傀儡のビシー体制が発足
第二次大戦後、解放されましたが
アルジェリア独立戦争がフランスまで影響が出て
アルジェリア独立反対派が武装闘争をフランス本土で
起こしフランスは内戦どうぜんでドゴール仏・大統領は
アルジェリアの独立を認めて独立反対派の過激派を
強権発動で鎮圧。
ドゴールはフランス史上、屈指の独裁者だという
人もいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ナポレオンやナポレオン3世も全体主義的な体制に入るんですね。
ナポレオンとかドゴールとか、フランス人は英雄の個人崇拝が好きなのでしょうか?
イギリスがいまでも王家の権威を保っているのに比べて、フランスが早々と王制を否定して立憲君主制も飛ばして共和制になったのはどうしてなのか不思議です。
その割には、ナポレオンを皇帝にしてみたり、いまでも元貴族というのを持ち上げる風潮もあるようですし。

お礼日時:2009/07/10 03:41

>フランス革命で殺戮はなぜ起こったのですか?



フランス革命で殺戮が起こったのは、政治革命であるが故で仕方ないというべきかもしれません。
 正直、「人はなぜ他人を殺すのですか?」という部類の質問なので質問者の質問の意図などを読み取るのが困難なのですが・・・・

>フランス人は昔から現在でも個人主義と言われていて、自由を好み、他人がどうしようと自分は自分、迎合しない、という国民性らしいですが、
当時は国中総ヒステリーのような状態になっている様子です。

 フランス人が昔から個人主義というのは私は否定します。
フランス人という概念が出来あがるのは、フランス革命後期のナポレオン体制と考えても、フランスは全体主義的な政治が幾度も出現しますし、それ以前でも、カペー朝・ブルボン朝の歴史をみると個人主義とは到底思えません。
 同時代のイタリア・スペインに比べてみれば、明らかに集団主義的・地域主義的歴史背景が強いと思いますが・・・・・

>革命時の社会状況はどうしてああいうことになったのでしょうか。

個人的には、質問者が諸外国の革命をどれだけ理解して比較しているのかな?という部分に不信感を抱きます。
 名誉革命は例外としても、市民革命は多くの血が流れるのが通例であり、その最中に、国民ヒステリックが起こるのが一般的です。
逆にいえば、革命とはヒステリックの産物でしかなく、論理的な人民は暴力革命的手段は講じないと言えるでしょう。
 しかし、現実的には多くの市民革命・社会革命が暴力主義的なのであって、”革命は血を欲する”というべきでしょう。

 私の恩師が崇拝してやまない反帝国主義思想家の「チェ・ゲバラ」はこんな言葉を残しています。
 『革命が君を抱擁する』・・・・その抱擁を求めて人々は争うわけです。

 ちなみに、革命といっても、狭義の意味の政治革命のことであって、産業革命・価格革命・ご飯革命の意味の革命とは違いますよ
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>>質問者が諸外国の革命をどれだけ理解しているのか

フランス革命については、池田理代子さんの「ベルばら」と「エロイカ」、藤本ひとみさんの歴史小説くらいしか知識がないので、ほとんど知らない状態です。

>>革命とはヒステリックな産物

そうだったんですね。

>>フランスは全体主義的な政治が幾度も出現します。

そうなんですか。フランス人の個人主義というのは政治のことではなくて、家族関係や対人関係での接し方が個人主義的ということなんでしょうか。

お礼日時:2009/07/10 03:34

フランスに限らず、昔も今もあてはまることですが


権威なき者(または集団)が権力を握る際には、反対派を徹底的に
弾圧、殺戮する傾向があります。
典型的な例としては、ロシア革命時のレーニンやスターリンの圧政。
日本では織田信長。中国ではおびただしいほどの例を見ることができます。

通常、権力を握った新興勢力は
圧倒的な軍事力、対外戦争で功績をあげる、選挙により国民の総意を
得る、出生の高貴さ(王族や貴族出身等)、宗教的なカリスマ性により
反対派を押さえ込むのですが
上記のような「権威」を持たない者が権力を握った場合
反対派の動きは活発になり、政権運営が困難になるため強攻になる
ことが多いのです。

明治政府は、自分たちの権威不足を天皇を利用して補いました。
ヒトラー・ナチス政権は、選挙により圧倒的な権力を得ています。
ワシントンは、独立戦争の勝利による功績を権威として政権を確立しま
したし、ナポレオンは対外戦争の勝利による功績で王位にまでのぼり
つめました。
ロベスピエールらの政権には、そうした「権威」がまったく無かった
のです。

付けたしですが、権威なき者たちが政権を握ったとき
その目標が理想的社会の実現という純粋な目標であればあるほど
殺戮に走る傾向もあるのでしょう。
ロシア革命や文化大革命、熱狂的な宗教信仰者たちの行動を見ると
そう思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>権威なきものが政権を握ったとき

なるほど、ルイ16世を死刑にしたものの、それだけでは政権維持に確実ではなかったということですね。

お礼日時:2009/07/10 03:28

 多くの自由主義革命やアメリカの独立など、改革・革命がそうであるように、社会の多数の人にとって現状に不満があり、その不満のもととなっている社会制度を大幅に改変しようとする場合、その大幅な変化がいかに正当性があるかという説明をしなければなりません。

(多数の人が容認しない「現実」を少しだけ手直しする小幅な変革なら、現状との類似点が多く、利害がどうなるかは説明なしでもかなり予測ができます。)
 大幅な改変の方向性はいくつもあり、多数の人の意向を一致させなければ改革は実行できません。ですから理論によって、選ばれた改革の方向性が「良いものである」というアピールが必要となってきます。

 この場合、革新の原動力は「多くの人にとって現状に不満・問題がある」ということに実態があり、「変革の理論」はその変革に方向性を与えるサブの存在です。

 ところが、現状変化を裏付ける「理論」が現実社会の在り方について、強い方向性・価値観を提供する場合、サブのはずの理論が『主』になってしまう場合があるのです。

 「理論を主にする人々」は、理論を『従』(=サブ)と考えて現実を重視する人と、改革前は同じ考えで一致し、同一行動をとります。
 しかし、一応の社会変革を達成すると、さらに理論に合わせて改革を推し進めるべきであるとして、現実の矛盾が相当改善されたと考え改革の収束を行うべきだとする「理論を従とする人々」と対立しはじめます。

 共産主義やイスラム原理主義など、強い社会規範を理論・教義の中に持つ考え方に、このような傾向が顕著です。

 フランス革命は自由主義革命ですが、絶対王政が強固で身分制の強かった18世紀のフランス社会を変える以上、理論を絶対視する傾向も強くなって、革命が先鋭化したと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
理論と現実には大きなかい離があるということでしょうか。

お礼日時:2009/07/10 03:21

いわゆるテロルですね。


革命政府が無ければ良くも悪くもテロという言葉は使われなかったでしょうね。

前例も無く、絶対的なものを一気に失う、もしくは自らの手で降ろした、その喪失感は凄いものがあったでしょう。
自らあらゆる物を破壊し、新秩序を暗中模索で作って行った過程の犠牲です。
とにかく彼らの思想や行動なくしては、アメリカ合衆国もソビエト連邦も存在しなかったのですから、そのエネルギーたるは相当なものでしょう。

彼らの血と汗で作られた仕組みを民主主義、国民主権、社会主義、資本主義といった名で、世界中がタダで利用させてもらっているのです。
路線対立やゲバルト、粛清まで真似てしまった国や組織も沢山ありますが。

なお、フランス人の彼らは単純に自由を好むのではありません。先祖が血を流して発明・獲得した自由を自らの権利として大切にしているのです。
フランスの国旗の色です。革命の理念、自由・博愛(友愛)・平等です。彼らの発明した誇りであり、宝なのです。
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この回答へのお礼

>>前例も無く、絶対的なものを一気に失う、もしくは自らの手で降ろした、その喪失感は凄いものがあったでしょう。

この文章で当時のフランス人の心境がよくわかるような気がします。
当時はヨーロッパでは絶対王政が当たり前の価値観であったので、貴族でも平民でも生まれたときからの価値観が崩壊してしまうというのは、精神的に大きな打撃であったことでしょうね。
その上、今後フランスがどうなっていくのか誰にも予想がつかないのですから。
精神的に恐慌状態を起こしても当たり前の状況ですね。

>>フランス人の彼らは単純に自由を好むのではありません。

フランス人はラテン民族なので、個人主義と自由を愛する性格なのかと思っていました。

お礼日時:2009/07/10 03:17

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