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「野ざらし紀行」
 富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀氣に泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計の命待まと、捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝ちゝに悪まれたる?、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなき(を)なけ。

二歳児が泣いているのに食べ物を投げただけで去ってしまった芭蕉さん。
いろいろと疑問がわいてきます。
1.本来道徳的、法律的にどう対応すればよかったのか?秋の川のほとりに置き去りでは一晩で命を失う可能性があります。
2.「汝が性」とは何か?運命のことか?二歳児に理解できるわけもないのですが、芭蕉のいいたのはどういうことでしょうか?ただ誰も恨まず運命を受け入れなさいという意味でしょうか?
3.捨て子とどうしてわかったのか?
4.作品上の虚構である可能性はあるか??

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

「野ざらし紀行」を読んだことはなく、また古典の素養もありませんが、ちと見かけたので、投稿してみたいと思います。


1. に関しては、現代に置き換えることは出来ない事柄であり、質問自体が意味をなさないと思います。昔は(というか、明治になっても)「間引き」というものがあったことはご存知かもしれません。「法律」も「道徳」も、いかんともしがたい領域です。
2. もちろん理解は出来ないでしょう。不憫の気持ちが言わせた言葉だと思います。私も「運命」というふうに理解します。死を前にした者への祈りの言葉のようなものかもしれません。
3. 味も素っ気もない言い方ですが、「見れば分った」のではないでしょうか。
4. 実は、この点が、私にも気にかかるところです。芭蕉の有名な蛙の句にしても、あれは「作り物」だということですから、これも「虚構」の要素がないとは言いきれないのではないか、という疑いは残ります。
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