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三国志のことで質問なのですが、魏、呉、蜀が戦って最後に勝ち残ったのはどの軍か教えてください。
あと、三国志で好き(おすすめ)の人物がいたら教えてください。

A 回答 (7件)

おはようございます。



国についてもう少し補足を。


#5さんの言われる魏の皇帝曹奐から禅譲を受けて
司馬炎が晋を建国しました。

最終的には、三国どれでもなく、この晋が統一を果たすわけです。

魏は建国した曹一族のものですから
司馬が帝位についた晋とは別のものなので
魏が最後まで残ったとはいえないと思います。


魏の皇帝曹奐は司馬炎の親、司馬昭によって帝位につかされたわけですが、その息子に結局は奪われてしまい、
なんともただのマリオネットでしかなかったわけです・・・

元をたどると、魏の曹不は220年に献帝から禅譲で帝位についたわけですから、まあ、自業自得と言いますか、因果応報といいますか・・・

皮肉なモンです。


ちなみに、曹操は馬に襲われる(食われる?)夢を見て、
自分が、西涼の馬一族にやられてしまうと思い、
馬騰親子を殺害します。
しかし、後年魏を滅ぼしたのは、別の馬、
司馬一族だったわけです・・・

これはあとからつけた話だとは思いますが、
なかなか面白いですね。



つまり、三国の中で最後まで残ったのは呉ということになります。

ですので、#1さんの回答が1番妥当かと。




好きな武将ですが、

#5#6さんにけちをつけるわけではないのですが、
趙雲は演義で語られる人物像と、正史ではかなりの差異があります。

演義においてはその活躍ぶりは目を見張るものがありますが、正史においては長坂坡のこと以外にほとんど記述されていません。

趙雲の活躍ぶりは正史に注をつけた裴松之の引く「趙雲別伝」という出典の明らかでないものからきています。

演義によれば五虎将軍の一人ともなっていますが、
正史にそういったものはなく、劉備が漢中王となったときに、5人それぞれに、前、後、左、右将軍を与えており、
(関羽、黄忠、馬超、張飛)趙雲はそれよりもはるか格下の翔(←へんが立です)軍将軍に任命されており、他の4人とは全く扱いが違っています。

また正史において一軍の指揮をほとんどとったことがないことから、軍略のある将軍と言うより、一芸に秀でた武人だったと思われています。

日本では颯爽とした若武者と言う感じですが、
地元中国では、趙雲は黄忠と並んでの老将というイメージが強いです。
成都などに祀られている趙雲像は白髪の老人姿で、
演義では第1次北伐のとき70歳となっています。


と、夢をぶち壊すようなことばかり言ってしまいましたが・・・



( -。-)スゥーーー・・・


(o>ロ<)oおれも趙雲が好きだああああああー!


「子龍は一身これ胆なり!」


かっこいい!!!




一番すきなのは、孔明が赤壁前に呉の文官を論破するシーン。

だいっすっき!!!

惚れる!!
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この回答へのお礼

国については色々知ることが出来ました。本当に奥深いですね・・・。
趙雲についてはまた意外なことを知りました。扱いもまったく違っていたんですか・・。あと趙雲って人気あるんですね!
教えてくださってありがとうございます!

お礼日時:2003/05/13 12:36

残った国の答えは皆さんに言われてしまったので、好きな人物のみ。


No.5さんと同じ趙雲です。
理由もNo.5さんにほとんど言われてしまった。(--;
劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを結んだりしているので
趙雲は陰に隠れがちですが、最後まで生き残り、軍師孔明の力となって
働きました。大事な作戦も多数任せられており主君劉備、軍師孔明どちらの
信頼も篤かった武将です。
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この回答へのお礼

趙雲はすごい信頼があったんですね。
でもあんまり目立つほうじゃなっかたんですか・・。
忠実なところも素敵ですね。
教えてくださってありがとうございました!

お礼日時:2003/05/12 13:42

こんにちは。

maruru01です。

正確には、No.1の人の言う通り、蜀→魏→呉となります。
しかし、魏は晋という国に滅ぼされたのではなく、魏のラストエンペラーが、魏の名将司馬仲達の孫の司馬炎に皇帝位を禅譲(ただし、強制的に)という形式なので、晋が魏を継承したとも言えます。
そういう点からみれば、最終的に残ったのは魏ということでもいいかも知れません。

さて、私が好きな人物ですが、それは蜀の名将趙雲です。
趙雲はその武術や部隊指揮力が優れているだけではなく、主君への忠誠心が篤い武将です。
常日頃は、主君劉備と義兄弟の関羽・張飛に対して控えめにしていますが、主君の子(劉禅)を胸に抱いて単騎、敵中を突破したりしたこともあります。
また、老いては蜀の五虎将軍の最後の一人として、蜀の末期を支え続けました。
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この回答へのお礼

いろいろ詳しく教えてくださってありがとうございます。
うーん・・難しいですね。ますます興味が湧いてきました!

趙雲はとても優れた人だったんですね。劉禅を抱いたまま戦ったのはすごいと思います!
三国志には魅力的な人物がたくさんいますね!

お礼日時:2003/05/12 13:34

歴史上は,魏となります。


三国志の終盤に出てくる 魏の司馬氏の孫?が魏を乗っ取って中国を平定したと思います。

魏、呉、蜀で,まず蜀が人材不足と劉備の息子が出来が悪かったので,魏に占領されました。
その事により,魏の力が強大化し呉を征服しました。
魏、呉、蜀の中心人物が没後に中国で人材として力を発揮できたのは司馬氏の直系のみだったのかな?
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この回答へのお礼

勝ったのは魏ですか・・。
司馬氏のこともこれから調べてみたいと思います。
詳しく教えてくださりありがとうございました!

お礼日時:2003/05/12 12:39

最終的には、司馬の一族が呉を滅ぼし、三国時代に終止符をうちました。

よって、魏でしょう。

私は、「周喩」が好感のもてる人物です。彼なしでは、当時まだ若かった、孫権が呉の国を築くまでの勢力にはできなかったでしょう。
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この回答へのお礼

教えてくださってありがとうございます。

周喩は知恵あり魅力的な人物だと調べたら書いてありました。詳しくは分からなかったのですがbabuoさんの書き込みを見てすごい人なんだと改めて知ることが出きました。

お礼日時:2003/05/12 12:48

魏ですが、後に部下の反乱に遭いすぐにつぶれます。

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この回答へのお礼

部下の反乱に遭いすぐにつぶされてしまうんですか・・。
教えてくださってありがとうございます。

お礼日時:2003/05/12 12:52

その後の中国歴代王朝につながる、という意味では「魏」ですが、「魏」は、呉よりも先に「晋」に滅ぼされています。


(265年、司馬炎が曹奐を廃して晋を興す)

この三国の中で「国」として最後まで残っていたのは「呉」です。
(孫晧が280年に晋に降伏し滅亡)

「蜀」は魏が滅びる2年前の263年に滅亡しています。
(劉禅が魏に降伏)
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この回答へのお礼

詳しく教えてくださりありがとうございます。
国として最後まで残ったのは呉なんですね。
大変勉強になりました!

お礼日時:2003/05/12 12:56

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