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曹操は『兵書接要』という兵法の本を編纂し、部下に読ませていたと聞きました。でも呉や蜀がこれを入手したら、魏軍は手の内がばれて不利ですよね? 何か流出を防ぐような対策はとられていたのでしょうか?

A 回答 (5件)

魏が他の2国と違うのは、人材が豊富な点。


もし、曹操の戦術を他国が真似しようとしても、人材不足で真似しきれなかったと思います。

蜀と呉にはそれぞれ有名な軍師がいます。
参考にする程度のことはしても、たいして役にはたたない。

日本では、安土桃山時代に、徳川家から豊臣へ家老クラス(石川数正)が1人引き抜かれて、徳川流の戦法が全て豊臣側に流出ってトラブルがありましたけど、即座に用意していた武田流の軍法に切り替えて、豊臣側に渡った情報を期限切れの証文レベルにしたということがありました。
 用心深い曹操のこと、流失したらしたで、対策は取っていたでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そういう逸話を聞くと改めて、大したもんですね家康。
言われてみれば曹操なら、手の内が少々読まれたところで、逆に利用して裏をかく、くらいのことはやりそうです。

お礼日時:2015/12/03 22:42

作戦、戦略、情報など敵側に漏れて困る場合、対抗する策を


あらかじめ立案しておく。マニュアルではすべて部下に教えず
いざ実践、実戦時に伝える。

最悪の場合を想定して対抗策、対応策を準備しておく。
大抵の組織では実行せず、検討さえしてない場合が多い。

昨今の新聞記事をみると上の話が思いあたる。個人の場合も
私も含めて最悪の事態を想定しているでしょうか。

車、自転車、バイクなどを運転されるならこんなことはない
ですか。一旦止まって、また動く時わずかでも車を動かして
からその方向を見たり、確認したりしませんか。危険は少なく
ても安全側の行動、判断とは言えません。

企業、組織、軍隊では想定外の事態が起きた時の対処遺憾で
その後事態が大きく変わってきます。対処が遅れれば早期の
解決はなくなります。

兵法書を敵に奪われたくらいで戦いに負けるようじゃ、なにを
やっても負けでしょう。スパイはそこらじゅうにいるでしょうし、
離反者、裏切り者、噂話、情報の出どころはいくらでもあります。

事実を知るものはなるべく少なくして、当初の戦略が外れたとき
に備えておくべきでしょう。
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「兵書接要」は鹵獲された物資の中に入っていたりして敵の手に渡ってただろうけど、それが漏れたことによる影響はほとんど無く、流出を防ぐような対策も盗難防止程度だったんじゃないかな。



一般に兵法書というのは、軍の対応マニュアルのような具体的内容が書かれているものではなく、戦争を行う上での一般的な考え方のヒント集みたいなものです。
曹操がそういう既存の兵法書をいくつか要約してまとめたものが「兵書接要」です。
ですからそれも戦争を行う上での一般的な考え方のヒント集みたいな性格のものだったことでしょう。
で、「兵書接要」の元となった兵法書はどこの勢力でも多くの人がその写本を持っていたので、それらを要約したものに他の勢力が知らない特別な内容は書かれていなかったはずです。
そういう本なので、敵の手に渡ってすぐに国や軍団レベルで困るようなことは無かったでしょう。

当時、中級以下の指揮官はそれほど学問をすることなく役職についていたので、兵法書を学んだ者も多くありませんでした。
「兵書接要」はそういう連中向けにまとめられた初心者向けの本だと考えられています。
(上級指揮官は知識人階級が就くことが多く、知識人階級は元となった兵法書で学べるので初心者向けの本を必要としない)
曹操はそれなりに組織改革をして、知識人階級以下でも能力があれば出世の道を開いていたため、中級以下の指揮官にそういう書物を与えて向上心を刺激して学ばせ、より強い軍をつくるようにできました。
しかし蜀や呉などでは後漢の門閥重視知識人階級重視の制度をそのまま維持したので、良質のテキストがあっても同じようにことができたかというと、疑問です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
素人同然の人に、「せめてこれだけは」の基本を学んでもらうための教科書なら、たしかに流出しても困りませんよね。「古典的な兵法書に、さらに曹操自身の工夫を加えたもの」という虎の巻的マニュアルをつい想像してしまうのが、間違いのもとかもしれません。

> 「兵書接要」はそういう連中向けにまとめられた初心者向けの本だと考えられています。
これは何か、本などに書いてあったのでしょうか? よろしければ出典を教えてください。

お礼日時:2015/12/08 00:47

兵法書の問題ではない。


当時の中国は後漢末期からの戦乱で人口が激減して、約500万人程度になってしまったらしい。
その中で魏は250万人、呉は150万人、蜀は100万人を確保していました。
兵法なんて全く関係ありません。
魏以外はジリ貧にしかなりません。
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曹操は「孫子の兵法。

」の注釈書を自ら書くくらい孫子に傾倒している人物として
世に知られている人物として知られています。この本もその孫子や古今東西の兵法書の
エッセンスを集めた本のひとつです。おそらく部下といっても実践部隊の将軍クラスや
高官など側近中の側近に分け与えたものと考えます。

そんな兵法に熟知している曹操ならば対策くらいは考えたでしょうね。

ちなみに孫子の兵法にはこんな一文が出てきます。

「人は利によって動く」

人は自分の利益になるかならないかで行動を決めるのです。
そのために部下には十分な報酬と権限を与えたでしょう。
そうすることで不満を出さないようのしていたでしょう。

おそらくはこれを渡したときも曹操直々に手渡しするくらいはやったでしょう。
「それだけオレはおまえを信じているゾ。」と示すもの。
部下にとってはこれを賜ることは一種のステータス。
最近ではステータスを持つことは悪い意味で言われるけども
人のモチベーションをあげるには有効であることには変わらない。

その逆にもし故意に流出させたなんてことが判ればおそらくは厳罰に処したでしょう。
これも全軍の規律を守らすため。これも兵法書を熟知していればそのくらいのことは
やります。そうでないと後々軍の崩壊の火種なりかねないからです。
だいたい君主から賜物を流出させるなんてよほどのこと
十分な信頼関係を築けていればまずこういうことは起こらない。

ちなみにこの”人は利によって動く”という孫子の言葉。
いまから2500年まえの言葉とされていますが
現代人にも通じる言葉。鋭い洞察力をもった孫子の言葉である。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
魏から蜀へ亡命した夏候覇の例もあることですし、兵法書配って大丈夫?と思っていましたが、あれは曹操の時代よりだいぶ後ですからね。曹操健在のころはおっしゃる通り、そんな手抜かりはなさそうです。

お礼日時:2015/12/02 22:56

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