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サイレンススズカ
新聞で競馬記事を読んでいたら「98年天皇賞でターフに散ったサイレンススズカ」というような記事が載っていました。その年の天皇賞(秋)の記録をみると最下位で中止となっていたのですが、当時は競馬を知らなかったのでご存じの方ありましたら、何があったのか教えてください。芝で5連勝していたようですね。
回答(9件)
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No.9ベストアンサー20pt
スズカ・・・やはり今でも、彼は人気者なのですね。
あの時の天皇賞はちょうど、仕事でTVでも見てなかったのですが・・・。
一番人気が勝てないと言われていた秋天・・・。
スタートを切ったスズカは豊ジョッキーを背に、本当に気持ち良さそうに、走るのが大好き!!と言った様に一生懸命走る子でした。
あの時、よくあのスピードで止まったなぁ?と不思議なくらいでした。ファンの勝手な思い込みなのでしょうが・・・あの時、スズカは大好きな豊ジョッキーを
守ったのでしょうか?良く止まったなと・・。
翌年の秋天、スペシャルウィークと言う馬が、同じ豊ジョッキーを背に、一着になりました。
その時の、勝利Jインタビューで、確か「最後の直線はスズカが背中を押してくれました」みたいな事を語ってたのを憶えています。
2000mを1分57秒台で走破した時は、サッカーボーイの再来だと感動しました。
タラレバは禁物でしょうが、98年の天皇賞は骨折さえしなければサイレンススズカが日本史上初の1分56秒台で勝っていたんではないかと思います。(言い過ぎかな)
とにかく速くてかっこいい馬でした。
No.7ベストアンサー10pt
いつものように軽快に逃げていて、3コーナー廻った時は誰もが勝利を確信していましたが・・・。
あのまま活躍していれば不世出の名馬になっていたでしょうね。サクラスターオー・ライスシャワー
も種牡馬を約束されていながら、同じ道を辿った名馬です。あの武豊が北海道の葬式まで行き話題を呼びました。
サイレンススズカはやんちゃなのででゲートをくぐって発走時間が遅れた事もありました。
また、弥生賞では20馬身近い大出遅れ(騎手に逆らって動かなかったのです)しましたが、
普通の馬なら大差負けの場面でゴール前追い込む勢いを見せました。負けて強しの内容でした。
余談ですが最近ではマイルで強いミッドタウンという馬にサイレンススズカの面影を見ます。
この馬もかなりの物があるので見守っています。
とにかく今尚、根強いファンを持つ名馬です。
http://www.makworld.net/horse/1994m/silence_suzu …
〓ご参考になれば幸いです〓
私の記憶でお答えさせていただきます。確か、4コーナーに差し掛かる前あたりだったと思いますが、先頭を走っていたサイレンススズカが後続に飲み込まれるかたちで後退していきました。故障を察知した武騎手は、4コーナーで減速し、カーブを曲がらせることをせず、他の馬の邪魔にならないように、そのまま、まっすぐと馬場の外の方に誘導し、その後下馬しました。脚をひどく負傷したサイレンススズカは、再びその勇士をみせることなく、ターフを去りました。サイレンススズカは、97年までは、プリンシパルステークスで勝利し、ダービーでも4番人気になるなどしましたが、そのスピードを持てあますようなレース振りで、G1では結果を出せずにいました。98年に入ってからは、バレンタインステークスから6連勝を全て一番人気で飾りましたが、特に、G2では、まれに見る2着馬との着差が大差となった金鯱賞、初のG1制覇となった宝塚記念、当時無敗でG1を制していた4歳馬(現表記では3歳)2頭(エルコンドルパサー、グラスワンダー)を寄せ付けなかった、毎日王冠は、圧巻のレースでした。(その後、エルコンドルパサーは、JCを勝ち、グラスワンダーは、有馬記念、宝塚記念を勝っていることからも、価値があると思います。)当時1800メートルから、2200メートルの中距離では最強といえる走りでした。距離が延びての走りなど、その後の走りが注目されていただけに、天皇賞(秋)は、非常に残念なレースとなりました。
こんばんは。
わたしもテレビで見ていて、凍りつきました。
あのまま無事だったらどれだけの戦績を残したでしょう。
わたしは史上最強馬だと思います。
http://uma2.jpn.org/jrasrch.cgi?kind=race&key=@3 …
こんばんは。
1998年11月1日の秋の天皇賞ですね。
武豊騎乗のサイレンススズカ号はスタートから
得意の大逃げを打って出ました。あっという間に
後続をかなり引き離してしまい、私自身鳥肌が
立ったと記憶しています。かなりのハイペース
でした。これはもう圧勝だなと思いました。
ところが、最終の第4コーナーで急に失速して
立ち止まってしまいました。何らか異常が起きた
のだと誰が見てもそう感じたかと思います。
しばらくして馬運車(救急車)が来て
サイレンススズカは自身で乗り込んだので
たいしたことがないと感じたのですが、直後の
診察で左脚粉砕骨折と判り、その日に安楽死と
なりました。
今思い出しても本当に凄い大逃げでした…。
このときの天皇賞のレース中に、事故を起こして予後不良のために
そのあとすぐに安楽死だったと思います。
レースをテレビでみていたので記憶に残っています。
以下のサイトをごらんになると詳しくかかれているかと思います。
4コーナーで骨折し、のちに安楽死になりました。
かなりひどい骨折にもかかわらず、気丈にも歩いていたような記憶が残っています。
http://www.narita.elec.waseda.ac.jp/~ookaku/keib …
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