プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ってあるんでしょうか?気づくのが大人になってから、とか・・・
何に関してかというと人生において経験する何かしらのことで構いません。勉強、などなど。今まで特に打ち込んできたことがなかったから、自分が何もできないと思っていたら、やればできる子だった、というようなことです。
個人的にはやればできる子だろうにやらない子が多いような気がします。それをやれる子が才能なのでしょうか。。
ご意見よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

やらないのが、その子の今の実力です。


それをやれるのが、その子の今の実力です。
やっていれば、とか才能が入る余地はありません。
    • good
    • 0

やれば出来るという人がいるとしたら10代20代の人ですね。


30代40代でやれば出来るはもう社会的に通用しません。
50代60代になると、出来る人はもともと人とは違うのだという感触になります。
70代80代になると、出来るのにあえてそれをしない、老子の言う、無為自然、和光同塵という考え方に変化しますね。

出来るだけを見ても、10代の出来るは単に勉強が出来る、運動が出来る、学校で出来るが社会で出来るとイコールでないのは分かり切ったことです。
20代30代での出来るは仕事が出来る、それも単に収入がいい会社や社会が高く評価しているにすぎません。
40代まさに中年移行期になりますと、それまで頑張ってきた価値観が崩壊して、社会的に評価されたり出世がなんなのだろう、自分が本来したかったことはなんだろうという中年独特の悩みが出てきます。
出来るということ自体への懐疑です。
50代60代になると出来るのはやる気でなく、持って生まれた感性・能力・強靱な身体だということに気づきます。
70代80代は出来ることという意味自体が違ってしまいます。

なんだかダラダラ書きましたが、「やればできる子だろうにやらない子」意欲と動機がない。
結局は自然淘汰それてしまうんですね。
でも自然淘汰されたことが長い人生で良かったか悪かったかはいちがいには言えません。
最後の閉めとして、人生って偶然の積み重ねのような気がします。
    • good
    • 0

「やれば出来る子なのよ」


=やらない君はできない子なのよ。
これは、親や教師などに多い、非難以外の何ものでもないです。

=やってできたら、認めるけれど、
できない君のこと(過去のこと)は、承認しないよ。

こういった教育めいた言葉を投げる人は、
実は、真の教育がわかっていない。

頭打ちに、条件をつけて、
いい子悪い子という極端な分け方をしているんです。

やれば・・・というのは、いわゆる「If」思考。
無意味です。

人に条件づけて評価をする人を、
信用しない方が、

成長します。

失敗したり、自分の体験から自分で学ぶことができる。

人の基本的で自発的な能力に、目を向けられない人の言うことです。

私は好きではありませんね。
    • good
    • 0

勉強をがんばるとか、仕事をがんばるとか、そういう考え方ってお金持ちの人の考え方なんだよね。


お金のために勉強して仕事するのが凡人の考え方。

私なんか、末っ子で、元から、相続もなんもないんで、必死に勉強しましたよ。勉強も、趣味じゃなくて、資格とるためにやってただけ。
資格とれば、お金儲かるから。ただそれだけの理由。

カネがありゃ、べつに何をしようとかまわない。
バカでもいい。
勉強するにはカネを稼ぐため。
働くのも、カネのため。
私なんか、いくら自分にあっているといわれても、儲からない仕事はしませんよ。世間体もどうでもよかった。お金が欲しかった。

やればできたとか、やらなかったとか、そんなの問題外。
どうでもよかった。
薄給でも、好きに生きたいし、他人に褒められるために生きてたわけじゃない。何でも、楽なほうが良かった。
だから「やればできたのに」とか、いわれるけど、どうせ儲からないって思ってたことはしてこなかった。

すべてカネのためでしたよ。
虚しいねっていわれそうですが。
成績がよくて褒められて喜ぶのは、若いうちだけでしょ。

学生時代なんかは、勉強なんかしても、お金持ちの子に見下されて、バカにされるだけだったので、勉強するのがバカらしくかんじた時期がありました。お金持ちの子は、エスカレーターで大学へ行き、就職もコネで楽々入社してた。
私の親は無知だから、そんなこともわからず。
私よりバカでも、お金持ちの子は、勉強しなくてもお金が入ってくる仕組みみたいになってて、幸せな人生をスイスイ生きててねたましかった。
本当に勉強したきゃ、多額のお金が入る。
だから本当はたいして頭よくないし、勉強もしないのに、親のカネで大学院まで行かせてもらえる子が羨ましかった。
私は学生時代、塾で猛烈に勉強すればもっといい大学へ受かるといわれた。でも親が塾へ行かせてくれなくて、結局、浪人もできなくて
そのまま、志望してない大学で勉強するはめになった。
大学へ行っても、留学や資格の勉強にはスクールへ通うお金が必要だった。自分で自学自習なんて、結局、限界がある。
バカでもお金持ちの子は、親に金をかけてもらい、いい家庭教師や教育を受け、いいスクールへいったりいい資格をとれたりしていた。
私は働きながら勉強していて、はかどらなくて、資格の勉強に集中させてあげる親を持つ子がとても妬ましかったです。
通信教育でがんばったけど、所詮、通信教育。
安価だし、効果もうすいです。
やらなかったら気がつかなかったんじゃなくて、やれなかったらダメだったという人も大勢いると思う。
結局、教育も、いい仕事に就けるかどうかも、親の金と知恵次第。
貧乏人は、苦労するだけだと思います。
そういう仕組みなんだなって思ってからは、儲からない仕事はしたくないって思うようになったし、どうせ儲からないなら楽な仕事がいいって思うようになった。
歪んだ意見ですが、世の中ってそういう仕組みです。
元からの知能より、カネがものをいう。
それを、やればできたのにとか、やらなかったから、とか思うのはちょっとズれた考え方かと。
偏った意見ですがね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お気持ち分かります。うちは貧乏ですが、私の従姉妹は裕福なので、質と効率のいいお金をかけた勉強を早いうちから、整った環境も与えらえていて、羨ましかったのを覚えています。自分の欲しいものが何でも買えて我慢の必要もなくて、留学にも簡単に何年も行けて、お金の心配もないから働く必要もなくて。
親の金と知恵次第、本当に共感しました。私の親も無知だったので親から有意味なことを学んだ事は、私が求めていることに限っては全くありません。
やればできたのに は、その環境が整っていたという前提じゃないと効力を発揮しないですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/09 23:30

私が考える「やればできる子だったのにやらなかったから気づかなかった人」というのは、


小さい時から、楽な方に楽な方に道を選んで、
努力や頑張った結果にやっと得られた達成感や満足感で得られる
喜びを知らない人であると、思っています

本当に小さい努力の積み重ねによって、出来ることや可能性が
広がっていくのに、その地道な努力を笑ってしまうことによって
同じスタート地点に立っていたはずなのに、
そのスタート地点では出来ることで、満足?というか、
やらなくても出来た、これでいいやと、自分の可能性に目を向けないで納得してしまった人、、、
頑張れと声をかける周りの人(家族)がいなかったのか?
本人に人の声を素直に聞き入れる気持ちが無かったのか?

いずれにしても、本人が、気づかないで大きくなってしまった結果
同じスタート地点にいた人がずっと先に行ってしまう

まさに、ウサギとカメの話ですよね。

例外的に、さ程の努力もなしでそこそこのレベルに達する人も
いますが、その人にとっても、さらに努力すればもっと可能性が広がっていたはずです。

自分自身の可能性を信じること、その為に努力を惜しまない気持ちを
持てることが本人の才能かな?と、思っています。

その才能を目覚めさせることが出来るのが、0歳から2歳位の赤ちゃん時期なのではないかと思っています。

泣いて泣いて(努力して)、やっとミルクを貰えて満腹になって満足してすやすやと眠って、、、、良く寝るからすくすくと大きくなります

泣かない前にミルクをあげてばかりいると、
泣かなくなって、しかも本当に空腹ではないから、
少しで満足して、今この時に飲んでおこうとしなくなります

結果、成長の悪い小さい子供になってしまったり、
小食の食の細い子になったり、、、

私の一意見ですがね。

ただ、「気づくことが、大人になってから」でも手遅れであるとは限らないです。
そこから、人と比べるのではなく、それまでの自分と比べることでなら、必ず努力すれば人は成長できる可能性を持っているのですから
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
赤ちゃんの時期とは盲点でした。自分の意識しかねるところにもその影響はあるのかもしれませんね。

お礼日時:2009/12/09 23:10

教師してます。



「やればできる」=「やらなきゃできない」
「やらなくてもできる」・・・間違い。
  ペンを取って紙に向かわなきゃ書けない。
「やってもできない」・・・言葉として不正確
  足のない人に両足で歩け--「やって」という前提が成り立たない。
  能力が無いので、「やって」という前提が成り立たない
  能力がある場合は、そもそも「やってない」のでは?

ということで、質問は
「やればできる」=「やらなきゃできない」についての問いかけということですね。
 この二つはまったく同義です。すなわち、「するか、しないかも能力」だということ。
 
 そして、大人になったときには、「やる」という意欲も、「やったらできる」という自信も、「やり遂げた喜び」も、何も持たない大人ができあがる。でも、取り返しもできる。そして、それも能力。

 「自分が何もできないと思っていたら、やればできる子だった。」この機会を与えられたら良いですね。←主語がない。それはあなたが決めこと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

するかしないかも能力、なるほどなぁと思いました。
含蓄の或るご回答ありがとうございます

お礼日時:2009/12/09 23:07

やらないのと、やれない・出来ないのは違いますからね。

質問者様の言葉は、やらない子に奮起を促す言葉でしょう。出来ない・やれない事をやるという意志で克服して、やる・出来る様になるのは才能の1つだとは思います。自分はもってませんが。

あの時やれば出来たのに、やらなかったので出来なくなった。の方が正しい解釈な気がします。やれば出来たと過去を振り返るのは、やっても出来なかった可能性を多分に含んでいるような気がしますので。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
納得しました。

お礼日時:2009/12/08 19:00

>勉強、などなど。

今まで特に打ち込んできたことがなかったから、自分が何もできないと思っていたら、やればできる子だった、というようなことです。

そうおもいたいだけですね。
やればできたって。

やらなくてもできる子はできる。

オトナもおなじ。

そしてやらなきゃもっと何もできないというだけの話し。

100回やってもできない人はできないし、
最初からできる奴が、もっともっとで精進するかどうかは本人次第です。

デ、やればできたのにというのは普通に、普通の人が
後から考える言い訳です。
できなかった過去の自分に対するね。

だって、なにをするにも時間を必要とする。
しなかった時間は、遊ぶにしてもなににしても、他に消費してます。
それを忘れているから、その時間をこちらにまわせばと簡単に考える。

それをしなかったから、できなかったから、「やればできる」とおもうだけ。
やっぱり、できないというそれが現実です。

どなたかがプロボクサーの話を例とされてましたが、つまりはそうやって
なにに時間を使ったかということです。
さらにいうなら時間の消費で結果は必ずしも確約はされないですし。

それを「やればできた」といいます。
普通は、「やってもできなかった」は言わない。
恥ずかしいでしょう?
結局、自分が無能であったことがわかるだけだから。
努力がほめられるのは小学生まで。

オトナになれば結果、成果です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やればできた、で言い訳として使う場合には最後にかもをつけないと混同しますね。

お礼日時:2009/12/08 18:59

やればできるねぇ・・・・



やればできる。やればできるといわれると、

「やればできるんだから何も今やらなくてもいいじゃん」

ってなるような気がするんだよね。なんとなく。

だから

「あんたはやらなきゃできないんだから頑張りない」

と言うのが正しいのだと・・・

どっかで聞いたことがあるな。どこだったかは忘れた。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

それは思いますw
やらなきゃできない、の方が現実的でいいですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/08 18:55

「やればできる子」って実は全員に当てはまる言葉なんです。



出来る子は「既にやった子」で、出来ない子は「まだやっていない子」なのです。
だから、頑張ってやればだれでもできますよ。

もちろん、この「できる」っていうのは、スポーツのトッププロみたいにできるとか、そういうことではないですよ。

だから、大人になっても、「自分は何もできない」と思っている人がいれば、その人が質問に当てはまる人だと思います。

例えば、私は自分で落ちこぼれだと思っていた子供でした。
今までで一番頑張ったと思うのが、逆上がりの練習です。
親が付き合ってくれて、放課後に近所の公園で練習しました。
がんばったつもりでした。

でも、今思えば、「出来ない自分」に満足しているところもありました。
「絶対出来るようになる」という気持ちではなく、「出来ないだろう」と思ってやっていたんです。
これではただ鉄棒と遊んでいるだけです。
時間が過ぎることで満足していた。

実際、好きなことは時間は掛かりますが、やっぱり最初よりもうまくなっています。
やればできるんですよ、誰だって。
早いか遅いかの差はありますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに・・・。本当にそうですね。どのレベルまで到達しうるかというのは別の問題になってきそうですが、一般的にやってればできますよね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/08 18:54

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!