No.1
- 回答日時:
思想はある程度の普遍性に従いながら、各人が独自の解釈を加えているのだと思いますよ。
そして、その思想そのものが、社会的普遍性から完全に逸脱している場合、たとえばオウム真理教であったり、テロ組織といったようなものは、当然淘汰されます。
ですから、「てんでバラバラの知識ごっこ」は社会によってある程度許容されているのです。また、許容されなければならない事情もあります。
こういった知識ごっこが完全に禁止され、あるひとつの「普遍的な思想」にだけ集約されていくような社会は、非常に危険です。
対立する意見が許されない国というのはいくらでもありますが、北朝鮮や戦時中の日本、ダライラマに対する中国、といったものを見てみれば、お分かりになると思います。
この回答への補足
>こういった知識ごっこが完全に禁止され、あるひとつの「普遍的な思想」にだけ集約されていくような社会は、非常に危険です。
確かに禁止されたら精神の束縛ですよね。ですが、皆様が自発的に「普遍的な思想」に収束されていくのは、社会がグローバル化するのと似て「精神的なグローバル化」と位置づければ危険でもないと思います。
レスありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
「冷蔵庫と車は同じデザインにすべき」
て理屈でしょうか? それはどうカナ
「法則」や「ルール」「規格」じゃなくって
「思想」について~の質問、ですよね?
相対論はたしか「法則」だったような
矛盾しない範囲なら何考えるのも自由
で無問題むしろ~そうあるべき、つか
オレと同じ意見しか無い発言系サイト
なんぞ、覗いてもつまらなそうですゾ
質問者さんはこの意見に賛同しなさいッ
と、オレが強要したら→イヤでしょう?
この回答への補足
思想のグローバル化、みたいな意味での「収束」であり、個性を否定することは自然科学における進化において不可能です。様々な個性を創出し、その中で優秀なものが次代の中心になるのでしょう。その繰り返しがヒトの進化と思います。
補足日時:2010/01/24 03:51No.3
- 回答日時:
普遍性という言葉をかけがえのないものとして、
保持していくのが基本だと思います。
普遍性という言葉はすでに「普遍」を蒸着しているのですから。
ここにねじれが生じてきているのは、
「言葉を護っていこう」とする態度が
薄れてきているからだと思います。
なにかにつけ造語を作り、権威ある用語の体系に、あとづけで
~~な「X概念」と蛇足の修辞を付け加え、意味を台無しにしていく。
水に毒を混ぜれば、飲めなくなります。
毒の入った水は、機能性という観点から観察したとすると、水自体ではないのです。
理想 ということばに cool な りそう とか
聖なる理想とか
いろいろくっつけ、自分の開発した新語であると主張することが
「経験哲学」である
「人の道」である
と勘違いしている人が多すぎるのです。
この回答への補足
>自分の開発した新語であると主張する
確かにそうですね。しかし「我の思想」と表現する場合、新語であっても「この思想」と本人が表現するなら、それは普遍性を持った事象認識のひとつの「表現」かもしれず、自己主張とは異なるかもしれません。即ち、言語表現は時代により何でも変化していいですが、事象の本質は普遍性を持てるのではないか?と考えます。(例えば思想=自然科学的思想とすれば「細胞分裂」は時代により言葉は変わるかもしれないが、現象としては普遍的ですから)
No.4
- 回答日時:
>「我の思想」
われと思想では、思想が普遍
>「この思想」
コレと思想では、思想が普遍
>「事象認識」
事象と認識では、認識が普遍
>「事象の本質」
事象と本質では、本質が普遍
>「自然科学的思想」
自然科学と思想では、思想が普遍
「細胞分裂」は時代により言葉は変わるかもしれないが、現象としては普遍的ですから)
細胞と分裂なら、分裂が普遍
細胞分裂と現象なら現象が普遍
「人の道」
人と道なら道が普遍
「経験哲学」
経験と哲学なら、哲学が普遍
まぜこぜと純粋なら純粋が普遍
毒と水なら水が普遍
しかし
毒と水を混ぜると水は毒になる。
まぜこぜの概念は我見=毒
No.5
- 回答日時:
神が宇宙や人間を創造したとき、自由意志をもたせて、人間が輪廻転生などによって、それぞれ違ういろいろな人生経験をしてきたからですよ。
とくに刑務所レベルの地球は多種多様な魂が生まれてきていますからね。全宇宙の人類は同じ神の子で宇宙の法則によって自由意志で行動、決定し、平等に永遠の人生を歩まされている点で普遍ですけどね。
クローンみたいにみな同じだったらつまらないと思いますしね。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
え?相対性理論を含め、物理理論だって、最初は「説」に
過ぎませんでした。
ご指摘の「思想」も、多くのものは「この思想には普遍性が
なく、他の思想と並存する」とは言っていないと思います。
並存するのは、単に証明のプロセスだというだけでしょう。
(何せ「思想」は全ての意味を位置づけるものだから、当然、
物理などと矛盾してはならないので、確定するのは最後です)
No.7
- 回答日時:
人類全員が良心に従って生きるという思想を共有すれば、地球は天国社会になりますがね。
逆に自己利得で生きればいいんだという思想が多ければ、今のように、地獄社会が継続するわけです。
No.8
- 回答日時:
私も勉強の途中+思いますばかりの文章で大変恐縮ではありますが、ご参考になればと思い回答致します。
1.
思想はその性質から合流する箇所が発生する可能性があるが、基本的にはその分岐点で精錬されていくように思われます。
佐藤優「自壊する帝国」よりポローシン僧の言葉からこんな台詞があります。
「国家を存続させるなら神話が必要なのだ。
欧州はキリスト教、アメリカは資本主義。
そして私の理解が正しければ、日本はアミニズム、シャーマニズムを外す事ができない。」
その土地土地で発生する民族性と思想、神話と国家は切り離せない状態にあり(上記に追加すると、ロシアは大地と人間を貫く霊性が基本になるようです)、それぞれの土地に住む人間から発せられる思想というのは相容れないものなのではないかと考えているのです。
欧米の社会契約を基点とする個人主観と、日本民族が歴史的経緯として持つ社会観点は相容れないそうで(まだ私はこの辺が理解できていませんが・・・)、その土地柄や歴史的経緯から思想を切り離す事はできません。
それぞれの国で発生した事件から取捨選択をして特定の思想を得るに至った為、土台が異なるならば共通の接点はかろうじて出来る可能性はあるが本質的に融合する事はないのではないかと思っています。
これを例えるなら、各土地で育った巨木が互いに枝を交差して接点を持つ事はあるだろうけれども、実際にはその幹が同一になる事はあり得ない、といった感じでしょうか。
2.
下記質問をごらん下さい。
動物と心が通じ合った時に嬉しくなるのは何故でしょうか?
http://renai.sunmarie.com/qa5523151.html
ここで愛とは何なのか、という質問に、DNAから発せられる生後学習の成果だ、と回答を頂いています。
仮にDNAを絶対不変の真理だという位置に置いた場合、人間の生体からなされる生後学習というのは、一定の真理ではなく不安定な不確定要素とみなさざるを得ないのではないかと疑っています。
思想においては更にそうです。
樹木の幹(DNAによる本能的行動)は動けないけれども、そこから派生する枝葉(生後学習での人間的行動)はどこにでも手を伸ばせる、といった所でしょうか。
思想は多様性を取った上での生存競争から最適解が残る事になるのだと予想しています。
その思想ごとの樹形図にはある程度共通の傾向は見えるのでしょうが、絶対不変と呼べるようになるまでになるにはその樹形図が完全に一致していなければならないと考えています。
そうしますと、物理法則が真理(樹形図の幹)とするならば、たんぱく質の性質はそれからちょっとだけ遠ざかり、生物の行動は更に多様性を求めて遠ざかる。そして人間の思想というものがその枝葉の最先端に位置するものと思われてなりません。
多様性を表現する最先端にいるものに対して(そしてこれからも進化を続けるものに対して)、ある種の傾向は求められるものの、真理を求める事ができない、というのが私の意見です。
尚、既に読まれているかもしれませんが、思想は統一されない、という事に関するテキストとして下記が面白いので紹介しておきます。
日本国家の神髄 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B …
※アマゾンの書籍タイトル名は間違えです。
#上の文章を読み返したらかなり読みにくいですね・・・。
もう少し推敲すべきかと思うのですが、時間が無いのでここまでとさせて下さい。すみません・・・。
No.9
- 回答日時:
こんにちは。
言葉は普遍であり歴史という礎です。言葉で思考するしかあり得ないのです。そこから外へはどうしたって出られやしない。てんでバラバラどころか大切な収束手段です。No.10
- 回答日時:
こんにちは。
(1)
思想の基礎としての信仰にあっては むしろ普遍性があります。
どんな信仰であっても 類型的にはひとつです。
《身体=精神》に《非思考》なるこころの窓のごとき領域として 信仰が持たれます。
しかも有神論と無神論とは 互いに同等で どちらを選ぶかも自由なふたつの信仰形態です。
有神論の中で いろんな《かみ》があっても 《無神》と同じく 類型としてはまったく互いに同等な信仰であるというのが 普遍的な現実です。
これが 原点としての普遍性であるでしょう。
違うという物言いをつけるのは ただ《観念の神》を偶像崇拝のごとく抱く場合であって それは《非思考の信仰》ではありません。
百歩ゆづって言えば 思想です。たいていは 支配欲を満たしたいのとお金をもうけたいのとこれらの目的のために組織される宗教という名の思想でしょう。
(2)
思想は 経験思考にもとづきますから けっきょく可変的で有限です。
人びとにとっておのおのの主観を共同化しうるかどうか それは 妥当性があるかどうかで一般には決まります。
すべての人の主観が共同化されうるか? つまりは すべての人にとって 妥当性があると見られる思想があるかどうか?
たぶん 生命の尊厳 もしくは 存在の善(掛け替えの無さ)くらいではないでしょうか? 誰もが認める思想内容としては。
これが 出発点としての普遍性であるでしょう。
たとえば食べ物にかんして 衛生的に安全で栄養が適度にあって健康によいといえば――その上に 美味であることを人それぞれにつけ添えれば―― 共同主観になり得ます。と考えますが これも 生命と存在をとうとぶという出発点の普遍性に属します。
ことほどかように 思想としては 人格を無視しないという条件のもとに さまざまなかたちや内容のものが打ち出されます。それでよいのではないでしょうか?
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