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私の家の家紋は「右離れ立ち葵」というものです。
調べてみると徳川家臣本多忠勝の家紋と同じようなのです
そして偶然にも私の苗字は「本多」です
家紋と苗字が同じということは
なにか関係があるのでしょうか?

関係あるかわかりませんが、先祖は佐賀鍋島氏でもあります

A 回答 (4件)

本多家は九州の出身です。


「参河藩翰譜」には本多平八郎忠勝は、九条右大臣師輔の12代の孫藤原助秀の後胤なり。    助秀初めて豊後国に下り、本多という所に住み、本多を名乗れり。   その子助定より6代目が三河国に来たりて長規に仕えるとあります。
本多氏に豊後守を名乗るのが非常に多い理由が判りました。
豊後に残った本多氏の中から鍋島家に仕えたり、姻戚関係になる者がいても不思議はありません。
家紋は立ち葵です。
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この回答へのお礼

それは初耳です!!なんだか少しずつなぞが解けてきたみたいでうれしいです
ご親切にありがとうございました!!!

お礼日時:2010/03/12 08:39

ほとんどが適当です。

苗字も家紋も適当につけたケースがほとんどです。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

(1)葵の紋は、京都賀茂神社の神紋であり、賀茂神社の神主、氏子、信仰者に葵紋が広がりました。

(2)三河から伊豆にかけて「賀茂」という地名が残っており、賀茂神社の社領が多くあった名残です。

(3)三河に居た松平氏、伊那氏、島田氏、本田(または、本多)氏が葵紋を使っていたが、徳川家康が天下を取ると、葵紋の独占を図り、他家での使用を禁止しました。

(4)ただし、本田氏のみが賀茂神社神官の出自であったため、徳川家の独占に対して、
「殿こそ、新田の出であるのであれば、丸に一の「一引紋」に変更されたらいかがでしょう」
と、断り、家康もそれにはさすがに「理の当然」と考え、本田氏も葵紋を使用することを許可しました。

さて、あなたのご質問についてですが、備前鍋島藩と家康の家臣である本多氏との係わり合いは、まあ、「無い」と言っても良いと思います。
しかし、本多(または、本田)氏が神官の出自であることを考えると、賀茂神社との関係を探ってみてはいかがでしょうか。

参考までに・・・。
「家紋と血筋についてです」の回答画像2
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます!

鍋島氏が先祖というのは、よく調べてみると
八代藩主の側室の家系ということでした(側室ですが子が九代藩主なので先祖と言ってきたようです)

賀茂神社ですか・・・・ 少しずつ調べてみようと思います

お礼日時:2010/02/15 17:19

たまたまでしょ


鍋島とはまったく本多は関係ないよね?
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