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戦地で民間人虐殺が起きる理由
ベトナム戦争でのソンミ村虐殺や
イラクでの民間人のレイプとその家族を射殺
などの非戦闘員に対する行為が行われるのはどうしてでしょうか?
簡単に言ってしまえば、いつ死ぬか解らないイライラと、同僚を失った怒りなどからの八つ当たりですか?

A 回答 (11件中1~10件)

肯定する訳ではありませんが、1つは「禍根を絶つ」。



今は無力としても、いつまでも無力とは限りません。
女子供でも家族・同胞の敵を討つ為に銃を撃てます。
笑顔で近寄り油断させてナイフで腹を刺せます。
本人も知らずに爆弾を仕込まれているかもしれません。

テロリストは人間爆弾に女子供を利用しています。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100330/erp …
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100328/am …
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 人間は戦争の時はいつ殺されるか分からないし、仲間から戦死者も出るから、人を殺すのは良いことと思ってしまうのではないでしょうか、戦友の敵討ちということまありますからね。



 中国で戦った経験のある人から聞いたのですが、村人を捕虜にすると穴を掘らせて穴の前に立たせて、銃剣で突いて殺したと話していました、殺した人数を仲間と自慢しあったといっていましたねその人は普通のおじいさんでしたけどね

 戦争では人間の精神がおかしくなるんでしょ、正しい判断ができなくなるから怖いですね
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いろいろな理由があると思いますが、ひとつには、兵士の訓練法の問題があります。



人間、銃を持っても簡単に人は撃てません。良心の呵責というものがあります。第二次大戦当時、銃を持って前線に出た兵士の中で、実際に撃ったのは10%~15%と言われています。

人を撃てない。これは人間としては正しいことですが、軍隊にとっては困ります。

そこで戦後、兵士の訓練法の研究と改良がいろいろと行われました。その成果は劇的で、第二次大戦で15%だった米兵の発砲率は朝鮮戦争で55%、ベトナム戦争で95%にまで上昇したと言われています。しかしそれは、人を標的程度にしか認識せず、敵らしきものを見かけたら反射的に撃ってしまう殺人マシーンのような兵士を育成する訓練法でもありました。その弊害は非常に大きいのですが、それでも発砲率の劇的な向上はやはり魅力的なため、この訓練法は世界各国の軍隊に採り入れられていきました。

。。。というのが70~80年代頃までの話です。その後どうなったかは私もよく知らないのですが、民間人誤射を劇的に削減する訓練法が編み出されたという話も聞きませんので、おそらく今でも当時と基本的にはそれほど変わらない殺人マシーン育成課程が今も行われているのではないかと。
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兵士というのは、そのほとんどが二十歳前後の若者たちです。

彼らは体力もありますが、性欲も旺盛な年齢です。そして、まだまだ思慮というのが及ばない年頃でもあります。
明日の命も知れないという極限状態の中、ふとそこに女がいて、自分は武器を持っているので相手は逆らうことはできない。さらにその女は「敵国の女」であったりするのです。それであれば人間性が保たれないと得てして「敵の女になぜ同情しなければならないのか」という感情が生まれてきかねません。そして、その人間性を破壊するのが戦争というものなのです。

どこか特定の軍隊だけが残虐行為をしなかったというのはありません。実際に日本兵だった人の話で、こんな話を聞いたことがあります。
中国戦線にいたその兵隊さんは、ある村を占領します。するとそこにはまだ2歳くらいの子供を抱えた若い母親が逃げ遅れていました。そこでその兵隊さんたちはその母親をみんなでレイプしました。彼らは、何かが麻痺していたのでしょう。レイプが終わった後、母親がいつまでも泣いていてうるさいので、なんと彼らはその母親を殺して井戸に投げ捨ててしまったそうです。
すると、小さいその子は母親の後を追って自ら井戸の中に飛び込んだそうです。自殺などということではいでしょう。ただ単に母親がその中に入れられたのを見たから後についていったのです。井戸の中から子供の泣き声が止まないので「おい、可哀相だから楽にしてやれ」と誰かがいって井戸の中に手榴弾を放り込んだそうです。
その兵隊さんは戦後復員して日本で家庭を持ちました。ある日、まだ幼い我が子が夜中に熱を出し、今と違って救急病院もマイカーなんてのもありませんから、子供をおぶって病院を探し回ったそうです。そのとき、自分がかつて行った残虐行為を思い出し、深い後悔を抱えいつかこのことは告白し懺悔せねばならないと思ったそうです。しかし、どうしてもそれを話すことができず自分の命が長くないことを悟った70を過ぎてようやくその人は自分が行った行為を人々に講演して回ったのです。

今夏WOWOWがイチオシする話題のドラマ「ザ・パシフィック」で描かれるペリリュー島の戦いは非常に激しかったのですが、そこである米兵の死体の両手と首が何者か(といっても米軍以外には日本軍しかいない)に切られて身体の上に乗せられていたそうです。そしてチンチンも切られてその生首の口の中に押し込められていたそうです。日本軍は、負傷兵を介護する衛生兵にも容赦なく弾丸を浴びせたので、米軍も決して容赦しませんでした。あえて日本兵を擁護するなら、絶海の孤島で自分が助かる可能性は万に一つもなくどんなに戦っても「いずれ米軍に殺される」ので、もう何をやっても自由だったということでしょうか。日本軍に降伏の二文字はないのですから。そして米兵の間では、日本兵の金歯をお土産として持ち帰ることが流行ったそうです。中には、まだ息のある兵隊からナイフでくり抜いたこともあったようです。

古代や中世の戦争では、城砦に立てこもっていた人々が女子供を問わず全員殺されたなんてのはゴロゴロ出てきます。敵軍の女はお持ち帰り自由でした。つまり戦争というのはそういうものだということです。
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戦争の歴史として関係がありそうなので


自分なりの解釈を記させてもらいます。

文明発生の最初期、戦争は生産活動の一環として行われてきました。
農耕技術が発展する以前、他者の食料を奪うことが
確実な収入として考えられていたわけです。

時代が少し進み、農作物の収穫が安定してくると、
土地を持つ者と持たない者で身分の差が生じ、
統治する者と戦う者で戦いの意味合いが異なってきます。
統治する者にとって、メンツや当座の食料も重要ですが、
戦争は土地を獲得することが主な目的になります。
住民としてはメンツより命の方が大事、侵略するほうも虐殺が目的ではないので
降伏すればそのまま取りこまれます。
しかしそれでは、実際に戦う者は得るものがありません。

いざ戦いとなったとき、現地で得られるものは
戦う者の正当な報酬として認められていました。

統治する者にとって住人は土地に付属するものでしかなく、
それを報酬として与えることは当たり前な感覚だったのです。
戦う者たちへの直接的な動機づけとしても有効だったのかもしれません。
つまり、我々からみれば虐殺的に思える行為も、
戦争をする当事者にとっては正当な権利として認識されていたわけです。
これは特定の地域における感覚ではなく、人類の普遍的な性のようです。

近代・現代に入り、軍隊が組織化されたものになると、
戦争の意味もまた変わっていきます。
しかし、直接戦う人間が変わったわけではありません。
戦い勝ったのなら、その場にあるものは戦利品として自由にしてもよい。
人間にはそんな感情が基本的に備わっているのかもしれません。
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民間人を殺す理由の一つに目撃者を殺すという点が在ります。



沖縄戦に関して。

降伏し投降した日本軍兵士の捕虜を笑いながら殺して大たい骨
や頭蓋骨をけずりペンナイフを作るのを見ていた民間人を米軍人
が生かしてはおきません。沖縄では先祖の墓に逃げ込んだ多数

の民間人が焼き殺されました。武器を持たず抵抗の出来ない
女性と子供達です。米軍は当然知っていながら殺したのです。
米軍による強姦は多数在りました。戦後すぐに混血児問題が

沖縄で多数発生していました。白人や黒人の子供が日本人の
娘達から大勢生まれたのです・・・

娘達は強姦され、殺された兵士の遺骨は記念品として持ちさられた。
殺されずに済んだ人達も苦悩しながら生き抜いたのです・・・
米軍は戦後も情報統制を続け宣伝により米軍の残虐性をごまかして

きたので日本人でさえ沖縄戦を軽く受け止める者達が多い。
沖縄では米軍の悪口をいえないので日本軍の悪口を言って
鬱憤を晴らしているのです。米軍には現代でも残虐性が残る程です。

残虐性はインディアンの頭皮をはいで記念とした時代から
続くアメリカ軍の伝統であり特徴です。原爆投下も残虐性
の伝統が在るのでアメリカでは問題にされません。

日本軍を別にしてほとんどの軍は残虐性の伝統が在ります。
通州事件もウィキの記事は控えめです。軍による事件直後の
詳細な記録を読むと日本軍が大虐殺で応じなかったのが

不思議なぐらいです。当時として最も統制の取れていた軍隊
が日本軍。南京虐殺と宣伝されますが通州事件でも虐殺を
しなかった日本軍には、する必要性は無かったのです。

残虐な世界の軍隊にとって統制の取れていた日本軍という
存在は都合が悪いので声をそろえて日本軍悪玉説を広めて来た。

残虐性を伝統に持つ軍隊が民間人をも虐殺する。
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近代戦争では、本来戦ってはいけない筈の一般人がレジスタンスやゲリラとして敵になりえます。



ジュネーブ条約により正規兵が非武装の民間人を殺せば殺人罪が適用されるし、正規兵が一般人のふりをして(軍服やひと目で兵士と分かる戦闘服を着ないで)戦う事も戦争犯罪として裁かれる対象となりえます。
一般人が、一般人のままの姿・資格で戦争行為を行うことも戦争犯罪であり、この場合定められた形式に従えば現場で裁判を開いてそのまま判決、即時死刑執行ということも可能になるとされてます。

これが現実にはゲリラやレジスタンスが戦争が終わった後に戦犯として裁かれる事は殆んどないのに対し、兵士の方は時に母国のジャーナリストに告発されて、本来糾弾される筈のないゲリラの掃討を虐殺行為といわれて裁判にかけられる事があるのです。
特にこうした武装した非戦闘員(矛盾してます)相手の戦闘では、どこまでが戦争でどこからが虐殺になるのかその線引きはし難いので、生き残ったゲリラが自分の戦争犯罪には口をつぐんで相手の虐殺だと言えば通ってしまうようなところがあります。

無抵抗の女性や子供に対するレイプや略奪行為は論外ですが、虐殺に関しては相対的な関連性を抜きにしては語れない部分があるのは事実でしょう。
例えば、沖縄戦は日本側にとってはとんでもない激戦であり、日本軍の将兵にとって戦場心理が働く余地がありましたが、米軍にとっては虐殺やレイプの加害者になるほどの過酷な戦場ではなかったという事です。
こう書くと語弊がありそうですが、例えば洞窟や濠に籠っていて米軍の投降に応じないで手榴弾や火炎放射器で殺された民間人がいたとします。この場合、戦場では敵兵であってもその正当性のある要求に背いていたり味方の兵士と行動を共にしていれば攻撃されても文句は言えない物です。
沖縄の方たちはそうした戦場のルールを知らされていなかった事は確実ですが、それをいい分けにはできません。
ましてこれが竹槍であっても武器を持っていたら(そうした事実があるかは別にして)、殺されても虐殺とは言えませんよね。
戦後、日本のジャーナリズムもこれを虐殺だとは強く訴えたりはしなかったのですが、ベトナムではアメリカのジャーナリズムが自国兵士の同種の行為を虐殺だと声高に叫んだわけです。
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味方以外は敵、そういう考えになるのでしょう。


実際、子どもを使ったテロもありますからね。外見では分かりません。

逆に、民間人が死ななかった戦争は無かったと思いますよ。
戦争そのものが異常なのだという認識が必要ですね。
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便衣兵、テロリストに対する報復もあることを忘れてはならない。

戦略的な要で民間人殺戮の命令もあるのが戦争だということも。そして、帰還兵には精神障害が待っていることも。湾岸戦争時にも多数の精神障害者が出ました。色気違いじゃないけど、レイプなんてかわいいものだ。
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精神的に追い詰められた人間は何でもするという事か?


それとも見せしめか?
それとも・・・。

いずれにせよ、戦争は嫌なものですね・・・。
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