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大人って何ですか?

A 回答 (9件)

切り口や表現は多岐に及ぶことでしょうが、こういう表現はどうでしょう。


「自らの責任と努力によって、幾多の困難や試練を乗り越えながら、人格を完成していく人」
表現を換えれば、「自由意志に基づいて規範(法や道徳やルールや秩序)を主体的に守りながら、人格の完成者即ち愛の体得者まで成長できた人」
従って、幼少期にそれができる大人もいれば、老齢期になっても子供なままの人がいるというわけです。
しかし、どちらも誰のせいでもありません。
自分で自分を創ることの責任は、自分にあるのですから・・・
しかし、最初の定義には大前提がありますね。それは、
人格を完成するにも、愛の体得者となるにも、独身では、不可能だということです。
また、子供が生まれず、従って、子供を育てることのできなかった人も人格完成は無理です。
兄弟愛や夫婦愛や家族愛を通過するのは、愛の完成の絶対要件になるからです。
何故なら、社会や世界の縮小体が家庭だからです。
同時に、家庭の延長、家庭の応用、家庭の拡大展開が社会であり、国家であり、世界だからです。
全ての基本は家庭にあり・・・基本で失敗や不備があれば、人格や愛は完成できないことになりますね。
さて、では人格を完成した人を表現すれば、どんな人になるのでしょうか?
これも多岐に及びます。内容が素晴らしすぎて、真剣に表現しようとしたら、大学教授の論文ぐらいにはなるでしょう。
しかし、表現に不足があると知りつつもあえて、表現すれば、こういうのはどうでしょうか?
「第一に、人格の核心は、愛と心情である。愛と心情が乏しければ、いくら知識をたくさんもっていても、いくら健康であっても、いくら権力があっても、人格者(=大人)とはなりえない。
理想的な人格者は、愛(心情)を基盤として知情意の機能が均衡的に発達した全人的品格を完成した人を言う。人格者は何よりも愛の実践者であるため、兄弟姉妹を愛し、父母に孝行し、社会に奉仕し、国家に忠誠を尽くし、四海同胞、全人類を愛する人間である。家族を愛することができるなら、そのまま、我が家族を愛するように世界の人々も愛することができるのである。」
「第二に、規範(=道徳や法やルールや秩序)を守る人間の理想象は、善民である。そのための規範教育は、学校でも行われるが、その基盤はやはり家庭にあるわけです。家庭は宇宙秩序の縮小体であるが、社会、国家、世界は家庭の秩序体系を拡大したものとなっています。従って、家庭において規範教育を受けた人は、そのまま社会、国家、世界における規範をよく守ることができるのである。
したがって、彼は善なる家庭人でありながら、善なる社会人であり、善なる国家人であり、善なる世界人となるのである。すなわち、家庭においてよくしつけができていれば、社会、国家、世界においても自然と規範に適うように行動できるのである。また、規範はいやいや守るものではなく、それを守ることが喜びであるために主体的に守ろうとするのである。」
「第三に、人格者は天才である。天才とは創造性の豊かな人をいうが、人間は本来、みな天才的素質を持っているのです。創造性は、生まれた時、可能性として与えられたものであるため、先天的に心理的欠陥をもっている人を除けば、全ての人は、与えられた創造性を百パーセント発揮すれば天才となるのである。しかし、創造性を実現するためには教育が必要なのである。しかし、その教育は、あくまで愛(心情)教育と規範教育を土台としたものでなければならない。つまり、それだけに偏らない均衡教育が行われる必要があるのです。そうなった時、初めて真の創造性が現れるのです。心情教育とか規範教育が不十分であるか、あるいは全く行われないなら、創造性は十分に発揮されない。たとえば、音楽的な創造性をもった子供がいて、ピアノを学んでいたとしよう。ところが父母がいつもけんかしたり、子供を殴ったり、叱ったりする場合には、その子は心情に傷を受けながら、学校に通うことになる。それで、ピアノを弾いても、手が思うように動かない。感情が混乱した状態でピアノを弾くからである。そういう子供は立派な創造性を持ちながら、創造性が萎れてしまうのである。
人間には個性があるから、創造性にも特性があるのです。ある人には音楽的な創造性が、ある人には数学的な創造性が、またある人には事業的な創造性が与えられているのです。そして、各人が自分に与えられた創造性を十分に発揮すれば、音楽の天才となり、数学の天才になり、政治の天才になり、企業の天才になるのです。すなわち各人は、個性に応じた特有の天才になりうるのです。
しかし、現実には家庭という基盤から崩壊してしまったため、そういう教育すら施されなくなってしまい、結果的に、数十万に一人が天才になるかならないかであって、凡人化したのは、教育故
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この回答へのお礼

天才も少なからず存在するようですので安心しました。愛ある者が大人になれる。私には愛が足りなかったのかな。すばらしい回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:44

人のせいにしない人

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この回答へのお礼

人のせいにしてますね。「みんなあいつが悪いんだ、死ねばいいのに」なんてしょっちゅう思っています。なんて邪悪なんだ俺って。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:34

自分の行いに対して、全て責任を取れる人を大人と言います。



法律的な区分による大人は、満20歳を向かえた段階で大人としての義務が課せられますが、人間的に大人だとは限りません。

また、「未成年」とされる人でも、大人と呼べるほど精神的にも生活的にも自立できている人もいらっしゃいます。

海外では満18歳で「成人」と同じ扱いをされる国もあります。

どんなに自分勝手で我侭でも、それによって引き起こされた全ての問題をスマートにきっちり解決できればギリギリ大人の範疇に入るでしょう。
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この回答へのお礼

責任のとれない大人もどきがなんて多いことでしょう、私もその一人です。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:28

どう定義するかで千差万別ですね。

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この回答へのお礼

そうですね、まったくその通りです。人の数だけ定義が存在するような気がします。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:24

自分の言動を自分で判断し、責任が持てる人。

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この回答へのお礼

嘘ばっかりついて責任を回避しているのはだ~れだ。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:16

社会において、ある年齢を区切りとして、社会の構成員として一人前と見なされる人。


現代社会においては単純に「年をとれば、自ずとなるもの」であり、日本においては様々な法の規定を根拠として、満20歳以上の人と考えるケースが多いです。
昔と比べて大人になる年齢が大きく引き上げられたことから、子どもと大人の中間的な位置にある期間が長くなったため、「大人とは何か?」という疑問が発生する事態になったものかと推察します。
この中間的位置では、長年かけて権利が増大してきましたが義務は少ないままだったため、あたかも「大人になる」とは義務が生じるだけであるかのような錯覚が生じているのが現代日本の大きな問題点かと思います。
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この回答へのお礼

正当な権利とは義務を果たしている者に与えられるべきだと感じます。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 13:13

我慢できる人。

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この回答へのお礼

我慢・・・できません。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 12:53

妥協です。

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この回答へのお礼

妥協・・・できません。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 12:51

20歳以上の男女の総称でしょう。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。いちおう20歳以上ではあります。

お礼日時:2010/05/10 12:50

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