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(1)なぜ太平洋戦争で日本は、大陸で権益の衝突する欧州列強とではなく、アメリカと開戦する運びとなってしまったのですか?
(2)日本が開戦に踏み切らざるを得なくなったのは、権益の衝突や外交の失敗など純粋な政治力学以外に、欧米人の人種差別という視点も微妙な要因として関わっていた、という事も考えられるでしょうか?

無教養なもので、質問が凄く大雑把になっている点は御容赦下さい…。

A 回答 (5件)

まず(2)から、結論を言えば間違いなくありました。

いわゆる黄禍論と呼ばれるものです。

(1)については、みなさんがおっしゃっているようにアメリカは中国大陸に対する権益を日本の開国以来欲しています。ただ、決定的な対立に至った考え方と分岐点については私見があります。

考え方というのは、近代日本(明治維新)の建国ビジョンです。「西欧文明を吸収し、富国強兵のもとアジアの大同団結を図り、欧米のアジア侵略を排除する。」というものです。富国強兵がなるまでは欧米列強との対立は避けています。イギリスとは同盟まで結んでいます。

分岐点というのは日露戦争とその後の戦後処理です。

講和条約はアメリカのポーツマスで行われ、アメリカ(ルーズベルト)は日本に随分、好意を示しますが、それは確かに彼の人柄や同窓の金子に対する思いからの親日的な部分もあったでしょうが、彼も大統領ですから、そうした人情話ばかりではなく、しっかりした国家戦略がありました。

講和後、日本が取得したロシアの布設した南満州鉄道の経営についてアメリカから共同経営の申し入れがありますが、日本政府はこれを拒否しています。日本にすればあれほどの損害を考えれば「人のふんどしで相撲とるのか」って感じでしょうし、アメリカにすれば「あんなに講和で便宜をはかったのにけちんぼ」ってとこでしょうか^^。これ以後、アメリカの仮想敵国は日本になります。

想像するに、欧米列強の排除(=日本一国によるアジアの権益の独占)である以上、アメリカとは必然的にああなるということです。アメリカと共同まではせずとも、対立せずにアジア経営を考えれば、結果は違ったモノになったかもしれません。ただし、その結果は今よりもアジアの人たちに嫌われることになるかもしれませんが^^;
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。素晴らしい解説に感謝しております。今回は本当にいい勉強になりました。無教養な私にとっては素朴な疑問だったのですが、詳しい解説を得ることができて本当に良かったと思っています。

お礼日時:2010/05/28 17:12

当時のアメリカは、中国市場への進出というのを狙っていました。

というか、当時アメリカが狙えそうな海外市場ってもう中国くらいしかなかったのです。アメリカはフィリピンを植民地にしていましたから、そのルートで中国にも食指を伸ばしていたのです。
そうなると、日本と利害の対立が生じるのは当然となります。

(2)に近い考え方として、蒋介石夫人であった宋美齢の存在の影響もあるかもしれません。宋美齢はアメリカに留学の経験があり、非常に流暢な英語を喋ったそうです。さらに、上流階級出身で礼儀作法も知っており、美人で愛想も良くてアメリカ人に非常に人気があったそうです。英語が堪能で美人で愛想がいいのでマスコミ受けが良く、よく新聞や雑誌などに好意的に紹介されたようです。


日本にとって「死刑宣告」になったのは石油とくず鉄の禁輸でした。当時の日本は石油はほとんどがアメリカからの輸入でした。だから、石油の元栓をひねられると日本はたちまち干上がったのです。なにしろ、もし石油が手に入らなかったら日本海軍は何もしなくても1年後には燃料がなくなってしまったのです。
また、くず鉄についてはあまり注目されていないのですが、実は当時の日本は高炉がほとんどなかったのです。理由は技術が低かったのと、アメリカやドイツやソ連のような大重工業地帯が作れなかった(理由は主に質のいい石炭が手に入らなかったため。北九州の炭鉱の石炭はドイツや英国やロシアの石炭に比べると著しく質に劣ったのです)ためです。それがどうなるのかというと、日本は町工場が主流ですからそういう工場だと平炉になります。平炉だと鋼鉄を作るにはくず鉄からじゃないと作れないのです。だから、くず鉄がないと大砲はもちろん砲弾も作れないのです。

アメリカは、くず鉄と石油を断ち切れば日本は立ち行かないことをちゃんと分かっていました。だから、くず鉄と石油を禁輸したのです。そうなると、日本は兵糧攻めで座して死を待つか、イチかバチかの戦争かの二者択一を迫られたのです。
つまり、そこから考えると、アメリカは「そうなれば日本は開戦を選択する」と分かっていて手を打った、転じて戦争を望んでいたのは他ならぬアメリカであったということが分かるわけです。アメリカは窮鼠猫を噛むところまで日本を追い詰めたのですよ。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。大いに参考になりました。歴史から学ばなければいけないこと、そして私が今まで無知だったことを大いに恥じております。本当に御意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/28 17:02

米国は大陸進出が遅れ、イギリス、フランス、ドイツに先を越されていました。



初期の中国マーケットはイギリスの綿布に押されていましたが、
日露戦争軍票回収の際、銀流出を嫌がる政府に綿布を代替させます。

この結果、日本製綿布は中国シェアを独占して行きます。

WW1でドイツが戦線を離脱し、世界恐慌によるブロック経済でドイツはハイパーインフレに悩みます。
日本も世界恐慌と震災手形を抱かえ経済破綻寸前でした。

ここで満州国建設をもくろみます。

日本軍が仏印に進駐するとフィリピン島と国境同士になってしまいます。
サイパン、グアムは日本の統治する島々に包囲されています。

日本に脅威を感じた米国は、中国戦線からの撤退と仏印進駐軍の退却を求めて石油とくず鉄の輸出禁止を決定します。

仏印進駐軍の退却の条件で3ヶ月の暫定輸出再開案までこぎつけます。(外務省暗号傍受。)
しかし、日本軍の大船団が南下中と言う大誤報が大統領の元に届きます。

最期通告が出されたのはその翌日でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。とても勉強になりました。大局的に見れば世界恐慌(によるブロック経済化)が戦争の遠因になっていった事実を、よく噛みしめて考えなければならないと痛感しています。御意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/26 19:41

>なぜ太平洋戦争で日本は、大陸で権益の衝突する欧州列強とではなく、アメリカと開戦する運びとなってしまったのですか?



× 大陸で権益の衝突する欧州列強
○ 大陸で権益の衝突する欧米列強

こう考えれば何の疑問もないかと。
むしろ欧州よりむしろアメリカの方が支那の権益に絡んでいます。


>欧米人の人種差別という視点も微妙な要因として関わっていた、という事も考えられるでしょうか?
差別という点で日本は少なからず欧米に反感・不信感を持ってはいますし開戦要因にも絡んではいるでしょう。
ですが大雑把に言えば、あの時期あのように開戦してあのように戦ったのは単に日本都合というだけでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。私は何となく、史実として表には現れにくい(2)の要因も結構絡んでいるのかなあと、漠然と考えていましたが、やはり回答のように考えるのが常道ですよね。御意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/26 17:48

浅学ですが、


個人的にはアメリカ主導で行った経済制裁(ABCD包囲網)
により、石油・器械・鉄鋼の輸入が出来なくなったため
資源があると信じたマレー半島に進軍したのかな、と思っています。

よって開戦の直接原因を経済制裁とするなら、アメリカへの宣戦布告は
納得できると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。アメリカ主導の経済制裁→よってアメリカに宣戦布告。非常に明快で私にも納得できました。御意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/26 15:00

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