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日本人は、集団主義ですか?個人主義ですか?それとも、どちらでもないと思いますか?
みなさんの考えを聞かせてください。また、なぜそう思うのか、理由も合わせて頂けるとありがたいです。

A 回答 (10件)

みなさん、いろいろなコメントで興味深く拝見しました。



「日本人は…」と確信をもって答えられるような一次情報をもっておらず、マスコミ・書籍等の間接情報
からの想像と、ごく限られた日常の観察からですが次のように考えます。

(1)まず集団主義・個人主義の定義があいまいなのですが、いちおう下記のように整理します。

集団主義=協調性・価値の共有・連帯・ふれあい・右顧左眄・滅私奉公・感情・安心
個人主義=自分勝手・個性/自立・孤独・自己責任・理性・自由・原理主義・
こんなもんですかね。

(2)いかがですか?これで充分とは思えませんがどちらの語群に共感をおぼえる人が多いでしょう?
もちろん個々の語は対立語ではありませんから、“個性/自立の連帯”をいうこともできます。
しかし、“個人々々が“自己の原理に基づいて、連帯を選んでいる”のなら個人主義の部類ですが、
ひとりぼっちが怖ければ集団主義です。

(3)個人主義においては個々の自由が最大の価値です。
個々を守る社会の維持のために必要な分だけは制限しますが、その他は知ったことではありません。
そのため、社会の維持に必要な事柄については自覚的で法律がルールです。
また、社会が自分たちのためにあるという認識なので法律に関しても自分たちで改編可能、と
考えます。育児・躾においてもルール違反が重要視されます(とのことです)。

集団主義においては価値の共有が最大の目標です。
当然,、異質なものは排除されますから安心して暮らすことができます。
こまかい法律論議には無関心でも価値観が共有されている(とされる)ならば、社会の一員として
保護されます。法律自体も共有される価値観が基盤になりますのでおいそれとは変更できません。
また、育児・躾においてはルール違反に対する処罰より、導いて一緒に正解にたどり着く
(=思考方法を共有化させる)ことが重要視されます(とのことです)。

(4)以上のことをいっこうに減らない「いじめ」にあてはめると『集団主義』と結論することができそうです。
大人の社会では棲み分けができますが、子どもは一緒くたですから顕著にあらわれます。

(5)蛇足ですが、ここで気をつけたいのは個人主義と集団主義の優劣を考えるべきではなく、
よりよい個人主義・集団主義をえらぶには?という問いかけをしなくてはならない点です。
よりよい個人主義では個人が自らを鍛え、より精緻なルールを厳密に守ることが求められます。
よりよい集団主義ではみんなで歴史を学び、より高い水準の価値を共有するようにすることが
求められます。
経済的価値だけが共有されている、なんてサイテーですからね。
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どちらでもないと思います。



いえるとすれば「世間主義」(こんな言葉はありません)。世間の価値観に合わせて、そこからはみ出さないように生きていくことが多いために、客観的にみると「集団主義」に見えるのではないでしょうか。

「連帯」「協力」を装いつつ、皆の本心はバラバラのような気がします。
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完全な集団主義、個人主義という人は(どこの国の人でも)いないでしょう。



集団に紛れて個人のアイデンティティーを隠蔽する場合もあります(記名選挙よりも無記名選挙を歓迎する場合など)。
集団を代表する個人になりたい場合もあります(選挙に出馬する場合など)。
また、集団の中(=社会の中)で自分を主張して、他と差別化を図りたい場合もあります。

「個人の集合としての集団」を歓迎するか、「集団の中の個人という立場」を尊重するかの違いでしょう。

いわゆる「島国根性」は集団に重きを置く考え方ですね。
「国際化」は国/地域という集団から世界という集団に視点をシフトしてゆく事。

結局、集団の利便性から抜け出すことは出来ないのですからおおざっぱな意味では全ての人が集団主義でしょう。

先に書いた「集団の中の個人」を集団主義、「個人の集団」を個人主義と定義するなら、個人主義にシフトして行っている過程か?と思われます。
国家(=政治/経済)企業など、よりどころになっていた集団の信頼性が落ちてきていますので。
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個人主義に向かっている感じがします。


競争社会が助け合う精神を失わせているのだと思います。

昔は集団主義でなければ生きていけなかったということもありますよね。
今は24時間営業の店も増え、携帯電話もしかり、インターネットもしかり、ひとりでも生きていける社会構造になり、西洋的な個人主義が根付きつつあるような気がします。

田舎にいけば集団主義といえるところもいっぱい残っていると思いますが、確実に個人主義にむかっているのでしょうね。
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「主義」という事から考えれば、どちらでもないでしょうね。

だって「主義」なんて無いし。

「集団主義」を一つの理念や思想を同じくする者の集まりとするなら、一部にはいるでしょうね。
「個人主義」を我を通す、自分の嫌な事はしないと訳すれば、それこそ掃いて捨てるほどいます。

でも、これは「主義」というには、あまりにお粗末です。日本人は敗戦以来「個人の主義」を持たない事で、類稀な急成長をしてきたのでしょう。
それが崩壊しつつある今、身近にある「寄りすがら」として「集団主義」や、どこにも相容れないから「個人主義」を唱えているだけに思います。

なすがままに翻弄されて来て、いまだにぬるま湯に浸かっている日本人に「主義」と言う言葉ほど似合わないものはないでしょう。

回答は、三択なら「どちらでもない」です。
本当は「そんなものはない」と言いたいけど・・・
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現在の日本はどちらでも無いと思います。



集団主義…
外国の紛争やテロは集団主義があるからこそ起きるのだと思います。
日本人は所属集団を守るために命をかける様な人は少ないです。
デモやストライキが少ない国になりました。
集団の為に犠牲になることは嫌い
誰もが同じ権利を主張します。

個人主義(自分も他人も尊重)は少なく
利己主義(自分のみを尊重)が多いと思います。

これらの状況は
「リストラ=人員削減」
という考え方の企業が多いので
拍車がかかったと思います。
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大半の学校が一斉授業方式です。


教室には黒板があり教卓があり、それに向かって児童生徒が整然と並んで、教員の板書を書き取ったり、説明を聞き入ったりしています。児童生徒の理解度には関係なく一斉に進められ、理解の遅い子を救うでもなく、理解の早い子を伸ばすわけでもありません。落ちこぼれ・浮きこぼれが出るわけです。均質を求めているわけです。

こういう環境で育った子は、とにかく「普通」を大切にします。だから、ちょっと「普通」でない子に牙が向けられます。世に云う「イジメ」です。

日本人は、以前以上に、集団主義です。
しかし#3さんのおっしゃるように、時々ご都合で個人主義になることがあります。
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自分の都合に合わせてこれらの「主義」を使い分けていると思います。



要は、個人の「信念」、企業で言うなら「企業設立の理念」が無いのです。

これをよく言えば「臨機応変」と言えますが、
私には単なる「現実からの逃避」にしか見えません。

客観的に説明できる理由はありません。私の直感です。
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 高度経済成長前までは集団主義ですが、成長期から個人主義に移行していったように思います。

理由は、高度経済成長によって、経済的自立が可能になったからです。
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男性は 個人主義の人が 多く、女性は 集団主義の人が多いような感じがします。

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