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対立を恐れて自分の意見が言えない。反論ができないというところがありますよね。
なんか真剣な会話したい時に「ごめんなさい」とか言われるといらっとする。ちゃんと反論しろよ!!!って言いたくなる。

質問者からの補足コメント

  • 議論は勝ち負けの試合じゃない。真実を発見するための意見交換です。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/09/11 22:13
  • でも何故、話し相手を敵に、議論を戦いとして受け入れるんですか?議論は勝ち負けの試合じゃない。真実を発見するための意見交換です。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/09/11 22:21
  • でも何故意見交換は諍いとみられる?意見交換で素直に物事を話し合わないと、社会として成長はできないと思います。諍いせずにお互いを尊重し合いながら意見を交換ができるはずだと思います。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/09/11 23:09
  • つまり貴方が言っているのは日本人は未開すぎて理性的で品位のある議論ができないということですか?自分の意見に反対したら、大人や文明人のように反論ができずに、すぐに暴力で戦いたくなるということですか?それなら、それは「和」なんか関係ないじゃないですか?どこが「和」ですかね?「和」を大事にするなら、「和」人のように喧嘩にならずに理性的に意見を交換できるはず。貴方の言うことは日本人は 否定されたら怒りやすいから「和」より、「和」のイメージを大事にすることでは?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/09/12 08:35
  • とても面白い投稿です。
    つまり、親や先生などに、些細な間違いでもすぐに指摘し直させられるから、子供は自分自信を失って自分の意見を言うのが怖くなるのです。そして、大人になっても、また 叱られて間違いを指摘されたくないから、常に行動が正しいかということを確認するために、他人の目を気にする。自分が思うことより、叱られないために他人の意見に従いたいだけだということですね?だから、自分の意見が言えなくなりますよね。間違ってしまったらまた叱られるという考え方があるから、間違いを指摘されたくないから、意見を言わない方がいいということですね?なるほど。やはり学校や教育制度が問題だと思います。間違った意見をすぐに指摘し恥を感じさせるより、子供はなるべく多くの異なる意見を主張し交換するように励ますべきだと思います。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/09/15 23:13

A 回答 (5件)

相手と意見が対立した時、私は


相手に嫌われるかもしれない、怒られるかもしれない、
自分の意見は間違っているのかも知れない、等の恐怖心を抱きます。

これは日本人全体としてその傾向が強いと思います。
(もちろん、私はそんな事ないぞ!という人もいますが(笑))

それらの畏怖を感じる根本には恐らく自己肯定心の低さがあるからでしょう。

日本人は、恥の文化と言われているように常に世間の目、他人の目を気にして
行動を決めるという精神があります。
結果として自分という軸、自分の持っている意見が希薄な傾向があるのだと思います。

また、日本では謙遜が美徳として扱われています。
自信ありげに堂々とふるまう態度(時に傲慢と取られてしまいます)よりも
「私など・・・」と謙遜する態度のほうが好感を持つと言われています。
こうして自分の粗を探しているうちに
(本来謙遜する事と自分を卑下する事は違うのですがよく混同しがちですね)
自己肯定心がどんどん低くなってしまうのです。

さらに言えば、学校の教育に関しても問題があります。
先生方が、子供の良い所、ユニークな所をほめて喜んであげるよりも
怖い顔をしてダメなところを指摘し直させるという事が全体として多い傾向があります。
(最近では大分改善されているとは思いますが)
こうされる事によって子供の時から自己肯定感が
下がっていってしまう傾向があるのです。

長らく自己肯定感の話になってしまいましたね(笑)
話を対立の話に戻しましょう。

こうして自己肯定感が低くくなっていくと主張性や挑戦心よりも
様々な恐怖心(失敗を恐れたりなど)のほうが勝ってしまいます。
結果として反論が出来なくなってしまったり
自分の意見を持たないようになってしまうのです。
「ごめんなさい」と言われた方もこういった恐怖心の結果そう言ったのでしょう。

意見の対立とは本来、あなたのおっしゃる通り真実の発見であったり
お互いにとって納得のいく答えを出すために生じるものだと私も思います。
対立を恐れる事なく、むしろ楽しんで話せるようになるといいですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この回答への補足あり
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なぜ日本人はそんなに対立を恐れるのですか?


  ↑
日本人は「和」を大事にするからです。
これは、狭い国土で農耕にいそしんで培われた
国民性でしょう。

人間は独りでは非力です。
しかし、集団化した人間は神も驚く力を
発揮します。
集団に最重要なのは和です。
資源もない日本がここまでやってこられたのは
和の力があったからです。




話し相手を敵に、議論を戦いとして受け入れるんですか?
議論は勝ち負けの試合じゃない。真実を発見するための意見交換です。 
   ↑
理念的にはその通りですが、実際にそれが
できるひとは極少数です。
ほとんどはケンカになり、最後は人格攻撃になって
終わるのが常です。

そういう現実からいえば、議論などは
時間の無駄、ケンカの原因になるだけ
という考えも出てくるわけです。
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>ちゃんと反論しろよ!!!



自分から不毛な議論を降りることで、貴方が「議論に勝てなく」する、という日本人特有の交渉術です。
あくまでも議論に勝って相手をねじ伏せたい人は、さぞかし困る戦術でしょうね。
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聖徳太子が言った、和を以って貴しとなす


が、日本人の根源となっているのかもしれません。

何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということです。

これは、孔子の論語を参考にしています。

そして孔子はこのようにも言っています。

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。
つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということ。

何でもかんでも反論するのは確かに問題ですが、
自分というものをしっかりと持って他人と接するべきなのは、今も昔も大事なんですね。
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農耕民族の血がそうさせるのでしょう。

狩猟は周りは全て敵。しかし、皆で力を合わせないと農作物は出来ない。槍でひと突き、では終わらない。

争っていたのでは出来る物も出来ない。元々競争と名の付く物には向いていないのです。良くも悪くも。
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