天使と悪魔選手権

フーコーの言うパレーシアの行為とはレトリックと言えますか?

A 回答 (1件)

 パレーシアというのは、レトリックを身につけた人が、あえてそれを使わないで語ることを指します。

単なる馬鹿正直をパレーシアとは言いません。
 レトリックを熟知した人間が、あえてそれを使わないのだとすれば、そこには選択が生じます。選択できるということは、そこには作為があると言えるでしょう。つまりパレーシアは、レトリックの一手法であると言うことができます。

 一見矛盾していますが、何かを否定することにより「何か」の定義が拡張されて、否定したこと自体が取り込まれる現象は珍しくありません。
 戦術家があえて小細工を捨てて勝負をしたら、それは単なる無為無策ではなく、ひとつの「戦術」ということになりますよね。戦術を捨てるという選択をした瞬間、戦術の意味が拡張され「戦術を捨てる」こと自体が戦術になるのです。
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この回答へのお礼

お忙しいところわざわざご回答いただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/06/16 20:16

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