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配慮の出来ない人を責める人は変では?
自分が配慮が出来るなら配慮が出来ないことを理由に人をむやみに責めたりしないと思いませんか。

A 回答 (9件)

思います。


サイテーです。

むやみに責めるだけなら、猿でもできます。

何のために、「世界にひとつだけの花」という歌を歌うのでしょう。

人には、得手不得手があるんです。
カバーしてあげたらいいじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 06:00

変・・というより、全て自分が基準なんでしょうね。


ジャイアンみたいな感じの・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:59

具体例が示されていないので、明確には申し上げられませんが、仕事の上では「私は配慮できないタイプの人なんです」では済まされないと思います。


それは、責められて当然と考えます。

仕事でなければ、全くかまわないと思います。
配慮できる人がすれば良いのですから。
そういう場合、配慮できない人を、配慮できる人が責めるのは間違いだと思います。
ただ、責めるのではなく、より良い方法を進言するのは間違いではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仕事などでは求められるのは結果ですからね。

お礼日時:2010/07/10 05:59

配慮ができても度量の狭い人だったら相手をそういう理由で責めることもあるんじゃないでしょうか。

人間的器というか..度量が狭くても「他人への配慮」はしようと思えばできるわけで.... 配慮って言うのは気配りだったり、そういうことなので、けっこう無理して自分を抑えて他人への「配慮」を心掛けている人もいると思うんです。そういう人は案外相手からの配慮も求めていたりするので、自分と同じように配慮ができない人に対して腹が立って責めるってことはあると思います。

配慮云々で人を責めたりしないのは、「配慮ができる人」ではなく、「人間的度量の大きい、なかなかできた人」だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:57

どのような背景で質問されているかは判りませんが,


書かれた文章の上では質問者様に同意です。

他人に「配慮が出来ない」と責める人は,
余裕が足りなかったり,「自分自身と他人」の切り分けや確立が出来ていなかったり,
乱暴な思考か,もしくは自身が何かの問題に囚われている事が多いのかな?と思います。

そのような人は,自他共に「人の考え方はそれぞれ違う」という事を考えられないのか,
「自分がこう思うからこう配慮るするべき」という過剰な要求をしている気がします。

私は,身内レベルに近しい者同士の話し合いは別として,
自分がいつも側にいてフォローする事を覚悟できない相手ならば,
「人の言動をむやみに責めない」事が本当の配慮や寛容と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:56

配慮だとか気遣いだとかそういう抽象的な話は、場合によっても人によっても社会によってもそれぞれ考え方は違ってきます。

一般的な話は難しいでしょう。

変かどうかなどの評価はその場にいた皆さんや、質問者さん各々が自由に判断すれば十分な話でしょう。

判断材料として、ただ責めること、叱ること自体はその人を良い方向へ導くための手段という意味で、場合によっては配慮ある行動にもなり得ますので、そこら辺を考慮すれば、おそらく論点は質問者さんの言うところの「むやみに」というところに絞らざるを得ないでしょう。

それが本当にむやみやたらで、配慮の欠片も見受けられないひどいものだったようなら変だと断じてもよいのでは?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:56

変、と言うか、多分その人自身にそれ以上の余裕がないのではないでしょうか。


そこまでの人として見るか、その人をそこまで追いつめた相手が悪いと見るかはケースバイケースかな?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:55

 時と場合次第、考え方次第でしょうかねえ。



 たとえばこうした遊び感覚のカテゴリーでなら、他人の配慮の足りなさを表立って厳しく責めるのも大人気ないと言えるかもしれません。責めるぐらいなら、むしろ、一度はきちんと指摘してあげるぐらいでいいのではないかと思います。

 ですが、部下を指導する、新人に教育を施すなどといったシーンでは、自分に自信がある限り、配慮に欠けた者に対して厳しく指摘し、あるいは強い口調で責め、相手が「なにくそ・・・」と立ち上がるのを待つ・・・、それもまたひとつの指導の方法だと思うのです。

 今日の教育は、概して責めたり叱ったりでなく、静かに理解を促すといった方向にあるようですが、時と場合によっては、そんな生ぬるい指導では間に合わないことも多々あるのです。配慮が足りなければ、いずれ社会から軽蔑され笑いものにされることになります。ある時厳しく責められるなら、それも有難いこと。それこそ自らの姿勢を正す良いチャンスだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/10 05:55

「責める」は適切ではありませんが相手のことを考えた上での「苦言を呈する」「諌める」であれば適切だと思います。



親の説教と同じで苦言は受け止め方次第で「腹が立つ」にも「感謝する」にも変わります。

私は私の事を配慮した結果の苦言も多く聞いてきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんとなくすっきりしました。

お礼日時:2010/07/10 05:54

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