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だうして蜜柑は蜜柑なのでせう
だうして蜜柑の実がひつそりとつつましく
中にかわいい部屋を揃へてゐるのでせう
だうして蜜柑は葡萄でなく
葡萄は蜜柑でないのでせう

だうして目の前に蜜柑が有るのでせう
だうして林檎ではなく蜜柑なのでせう

だうして蜜柑は甘いのでせう
だうして大根は辛く、梅は酸っぱいのでせう

だうして私は私なのでせう
だうして心臓が音を立て休むことなく
私の胸の中で動いているのでせう
だうして私は他人ではなく
他人は私でないのでせう

この世は全て見た通り、聞いた通りの世界だからです
この世に有るものは現に有るのであり
禅問答など無や空について考えても無駄だからです
 

A 回答 (1件)

脳の中にブドウやみかんの雛形を持っているから。



例えばリンゴ。
いろんなリンゴの形や色がありますが、我々はリンゴをみてミカンだといわないのは、リンゴという原型が脳にあるから。

子供の頃にリンゴとミカンの特徴をインプットされているので、間違わないわけです。


私が他人だと思う症候群みたいなのはある。
現実感を感じられず、自分が生きているのか死んでいるのか不明な人もいる。
自分は死んだと信じている人もいる。
「では私の目の前にいるあなたはどうして死んだはずなのにこうやって喋っていられるのですか?」と聞くと、「わからない」と答える。
または「今は生き返っているが、また死ぬ」と言う。

んーーーーーー です。
解離ですね。


チェーホフに「かわいい女」というのがある。
この女は自分と他人を統合する。
自分というものを認めず、他人になろうとする。
だから、他人の好きなものが自分のものだし、他人の考え方そっくりの考え方をし、自分を抹消する。
他人と自分の違いをどうしても認めない。

カルトの教祖は他人と自分の間に違いがあるのが許せず、他人を洗脳して自分の考えと同じにしたがる。
だけど、かわいい女の、、、なんだっけコイツの名前、ちょっとネットで検索。
オーレンカ、こいつは他人を自分と同じにする代わりに、自分が他人と一緒にしてしまった。

だから、他人は自分と同じ考えのオーレンカを「無邪気でかわいい」と称する。
ところがコイツは乗っ取り魔で、他人を乗っ取ってしまうので、恐ろしい女なわけです。

乗っ取られた相手は死ぬ。
自分とオーレンカの違いがわからなくなり、自分の個を喪失するわけです。
果たして自分は自分なのか オーレンカなのかわからなくなる。


で、他人の見えている世界と、自分の見えている世界は違う。
例えば、「今日 妻の誕生日に薔薇を贈った、妻はものすごく喜んでいた。」と夫は思っている。
薔薇を贈られた妻は「もういい加減 私が薔薇アレルギーだって覚えてよ 私を殺す気」と思っている。

二つの世界が存在しているわけです。

その二つの世界が一つになることは無い。
そして自分が見えている世界が、唯一の世界で他の世界はありっこないと思っている。

実はいくつも人によって世界が存在しているってことを、我々は気づかない。

この多重宇宙の中に我々はおり、それぞれが作り出す世界がそれぞれにとっての唯一の世界なわけです。
だから、自分の世界が偽りというわけじゃあない。
だって世界を創造しているのはあなたですから。そして私でみなさんですから。


それぞれが世界を作っているが、ある程度重なっているので、その重なる領域では意思疎通ができるわけです。

例えば リンゴとミカンという雛形はそれぞれが共通して持っている。
この部分では相互理解ができる。

しかし、好みになると違ってくるわけです。
好みの場合は、どれが真実だと決定することはできない。
「果物は身体にいい」と言ってパクパク食べる人がいる。
私は果物は砂糖と水だし、汁が出て口の周りが汚れるので嫌い と思っている。

「どうして身体にいい果物を食べないの」と理解してもらえない。
私は「ビタミンなどビビたるもの。酸素に触れると破壊される。それより糖の方が害になる」と言い返したくなる。

そんなんで果物に対しての雛形は違うわけです。

果物大好きな人と一緒にいると疲れる。
が、「私のミカンあげる」って言うことで、認識・価値観のギャップによる摩擦を回避しています。
好きなものをもらって、怒る人いないでしょ~。
私はいらないから上げるのがちっとも苦じゃない。
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