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ほとんどの他人を価値の無いゴミのように認識してしまっています。長い時間をかけてそのような価値観が醸成されてしまったようで、深層心理の深い所にそのような価値観が出来上がってしまっているようです。

一部の他人はゴミではなくちゃんと人間と認識しているみたいです。
具体的には、弁護士、公認会計士、医師、官僚、大学教授、政治家、一流企業の役員や会社員、一流アスリート、その他その分野で一流と見なされている人。このような人は大丈夫なようです。あとは、難関大学出身者もぎりぎり人間として認識していると思います。

このようになってしまったのは自分の意識の高さが原因だと思います。思い返すと小さい頃からエリート思考が強く、自分を鼓舞したり律するために他人を見下す言葉を心の中で呟いてきました。

「これくらいできないとお前はゴミだぞ」
「無価値な人間になりたくないならやるしかないんだぞ」
「無価値なゴミが出来ないこともお前なら出来る。お前は価値のある人間なんだから。」
「ゴミ達が10やるならお前は20やらなきゃいけない。ゴミになりたくないだろ?」

こういった言葉を自分に言い聞かせて頑張る原動力にしてきました。それが深層心理まで入り込み、価値観となって無意識領域にまで浸透しています。

これではいけないと分かっています。
この価値観は矯正しないといけないと自分でも分かっているんです。
でも価値観の修正は簡単ではありません。
自分を否定し、根本から正す必要がありますが、既に年齢も30代。
今から治せるのかどうか。

改めて質問します。
ほとんどの他人をゴミのように認識してしまいます。治りますか?
心療内科やカウンセリング等で価値観を矯正できないでしょうか?

A 回答 (31件中1~10件)

人間は自分の人生の脚本を自分自身で好き勝手に書き、そのリアルなRPGの主役になってこの地上に降り立ち、魂磨きの為の学習や修行や経験値を積むのだと。


いわば、地球は教習所のようなもので、魂磨きのアトラクションなのだと思うようになりました。

私は宗教は大きらいなので(詳しくは如何なる宗教団体も大嫌い。なのかもです)なので、無宗教者ですが、輪廻転生説、神様の存在、スピリチュアルなこと、この世の不思議……等は信じています。

人は自分自身が納得いくまで、ピンからキリ迄のありとあらゆ人間として何度も何万回も生まれ変わりながら汚れた自分の魂を綺麗に磨きにやってきます。それがどうもこの地球のようです。

アナタは今回、その驕り高ぶった、最も人に嫌われる要素を持ついやらしい人間として生きてゆく事で、自分の人生がどんな風に生きにくくなるのかを学びたく、そんなシナリオを自分で書いて、身をもって学んでいる最中なのだと思いますよ?
だから、このまま順調に自分の課題を学ばれているので、何の問題もないのだと思います。

清廉潔白な人や聖人君子のような人から、超絶極悪非道な猟奇的殺人者みたいな人。
産まれて間もなく戦火に命を奪われる赤ちゃんなどの最も不幸な人から、産まれて死ぬまで順風満帆な、最も幸せな人まで、ありとあらゆる種類の人生シナリオを好きに書き、一通り飽きるまで体験しながら、皆さん、遊びがてら、学びたくて来ているのが、この地球なのだと。

なので、本人がこの人生は良くなかったと思えば、次回修正したシナリオを書いてくれば良いのだと。

最悪な人生から最高の人生まで色んな人生を一通り経験して、体験する事で、ひとの痛みや悲しみや苦しみや喜びや楽しさや愛や感動や感謝を知り、汚れた魂が徐々にクリアになっていくのだと。
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私は現在40代で、同じ事で昔困っていた事があります。


誰にも頼らず1人で無人島とかで生涯生きて行けば死ぬまでには何かヒントが掴めるとアドバイスいただいた事があります。
ご参考になれば幸いです。
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大丈夫ですよ。


そういう人間は他人からごみのように扱われますから。
以上 参考になれば
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あなたも士業のかたですか?


そんな見方で商売できますか?
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今の日本社会は平等だなんだと言っても結局は競争社会であり、我々は幼少からその原理を叩きこまれています。


けっして貴方個人だけの問題ではありません。

現代の問題点は人間を価値があるか否かで決めてしまう所にあります。
それが強すぎる承認欲求を生み、それに縛られる不自由な人達を作り出したいます。

我々は社会の為に生きなければなりませんが社会に認められるために生きているのではありません。

また年齢は気にしなくていいです、貴方はまだ若いですしやり直せる機会は十分にあります。
マイナスの競争よりも周囲を気にしないプラスの競争を目指して頑張って下ださい。
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人権について勉強されますと良いのではないでしょうか。



目前の人の足を洗う下僕と自らなれる心を学べるのではないでしょうか。
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改善すると思います。



今辛いならば心療内科やカウンセリングを使って痛みを減らすべきですが、結局は自分の心に逆の暗示をかけて行かないと緩和されないと思います。これまでの自分を捨てるのでなく、やや方向を変えたり、別の自分を付け足す方向で対応するのが普通だと思います。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

私の経験からマジレスします。

そう言うやり方の全てが間違いであったというのには肯定出来ません。むしろ殆どは貴方の役にたったと思いますよ。多くのエリートが減点法で自分を評価し、向上するために(自分が)軽蔑する人物像をイメージして自分の恐怖心を煽ります。この方法を他の人にも教えるべきであ「自分を自分で褒めて現実を忘れようとするやり方」の方を教えるべきでは無いと思います。

「周囲が自分を甘えさせようとする。負けそうになる。
 だけど、大人だって嘘をつく。本音と建て前はあるはず。
 どうしたら負けないように出来るんだろう?」

私が悩んだのはこれです。大人の殆どが「俺より上に行くなよな?」と言っているように見えました。実際そういうところはありますからね。うちの母方の祖父ですが「医者に成りたい」と言ったら、それが面白くなかったのかしばらくいびられました。大人の心が大人になっているとは限らない。幼少の頃に感じた気付きです。実際にそうですよね?

「もう医者なんて目指さない」

本当に私はこう思いました。かなりの期間トラウマでしたよ。母は自分の父によって自分の息子の夢が潰されたことに気が付きませんでした。

この様に子供と言うのは繊細であり、周囲の大人の(表に見えない)悪意によって強く影響されてしまうんです。その悪意は他の子供を経由して届くかもしれません。例えば、私の場合。トラウマを抱えたまま進学したとしましょう。そこでもし「医者に成りたい」という同級生に出会ったら? 私はその人に意地悪をすると思いますよ。「気に入らない」と言うでしょう。けっして応援などしないでしょう(そう言う事は幸いにしてありませんでしたが)

「こう言う事が起こりえると知っている賢い大人は、
 大人の責任を重く捉えているのだ」

もしも「俺より上に行くなよな?」と語り掛けられた子供は大人に気に入られるために自らダメに成ろうとします。当然ながらそう決意したときの記憶は持っていません。本人は「自分はダメな奴だ」と思って悩んでいるでしょう。しかしそうではないんですよ。

「虫歯は親が子供に口移しで食べ物を与えるからうつる」

これは今となっては良く知られている事です。子供が凡庸に成るのは、周囲の大人が子供の才能を見て嫉妬をし、冷たく突き放した瞬間があったということです。それが学校の先生であったかもしれません。親戚のおばさんだったかもしれません。しかし、たったそれだけで子供は自分の未来を捨てるんです。愛がほしくて大人の機嫌を取ろうとします。

親が「自分より上に行くな。これ以上わたしを惨めにさせるな」というオーラを出していたら、子供は自分を抑えてしまいます。

本当にこう言う事が起きるのだとしたら「嫌悪のイメージ」を作る事で大人達や子供達を色分けして、影響を受けないように拒否するべきでしょう。夢を持つ子供は本能的にそうするものです。

では本来はどうあるべきだったのか?

「卑怯な事をやってはいけないよ。
 強いって事は誰かの面倒を見ると言う事だよ」

これらは当たり前に言い伝えられてきた事です。嫌悪する内容を行為として捉えるべきであり、人物やカテゴリとして捉えては行けなかったんです。

貴方がやった防衛的な儀式は必要ではあったのですが、嫌う理由が漠然としており信念や信条まで昇華しづらかった。

私が嫌悪するイメージは「卑怯な事をする人」です。これは自分を戒める場合にも必要ですよ。どうすると自分を卑怯と感じられないのか? 悩みますからね。

例えば、

「相手をゴミと感じたら、親切にする事をサボって良いのか?
 相手をゴミと感じたら、丁寧に接しないで良いのか?
 楽をするための卑怯な言い訳にしていないか?」

となります。

自分の信条を使って「手抜きをする言い訳に使えばそれは卑怯である」となりますよね。卑怯を憎む。今からでも遅く無いですから付け足してみてはいかがでしょうか。脳に良いと思います。

次に「他の人より強く効いてしまった」理由を考えましょう。

貴方の問題は軽蔑するイメージに形(人物)を与えてしまった事です。ゴミと言う流行り言葉を採用した事でしょう。こういう侮蔑を現す言葉を使うのは昔から宜しくないとされていたはずです。イメージに名前を与えてしまうと形が出来てしまい、より強く心に残ります。

「ゴミと言う言葉を使ったのが問題。そうしていなければ、
 どこかで自然と薄れて行ったかもしれない」

私の場合は漠然と「アレ」みたいな感じにしていました。言葉をあててはいけないと本能的に思っていました。思い出す時は、どちらかと言うと映像でしたね。父の仕事の知り合いで昼から博打をやって仕事に行かない人が沢山いたんです。この人達は優しかったですし嫌いじゃなかったんですが、同じに成りたくないと思いました。そのイメージを思い出しては「ああなるかもしれない」と怯えて踏ん張りましたよ。

まずはゴミと言う言葉を自然に使ってしまう自分を抑え込むことです。それが心の中であってもです。

「いけない、いけない。この言葉はもう使わないと決めたんだ」

この様に「ダメ出し」を必ずする。これをやっておくと大分違うはずです。ダメ出しを無意識が覚えていて処理するからです。一定の期間たつと突然変わると思います(処理待機時間が長いだけであって改善は進んでいる)

長くなりましたので纏めます。

・貴方の過去は自分を大人達や子供達から守る方法としては可笑しくない
・卑怯な行為を嫌うという別の嫌悪のイメージを自分に追加するべき
・ただし嫌悪のイメージには名前を与えてはいけない
・直近は(質問者さん特有の障害)「ゴミ」と言うワードを嫌うべき
・しばらくの間は「失敗した後のダメ出し」を意識するとよい

他人を気遣って丁寧位に接する事です。失礼を働いて良い理由にしてはいけません。手抜きをした後に言い訳をする癖がついていませんか? 本当はこちらの方が現実的な問題になっているはずですよ。

「どんな理由があろうとも失礼を働いたり、
 手抜きをして良いわけがない」

私がここ最近意識しているのは上の様な内容です。良い人になる必要はありませんし、優しい人と言われる必要もありません。しかし卑怯な人に成ってはいけませんし、少し踏ん張って何とかなる部分(失礼を働こうとする自分を抑え込む。少しくらいなら良いかと思って丁寧にやってみる)で負けてはいけません。

あなたの子供時代からのやり方は間違っていませんし、私にも経験がありますし、恐らくそういう方法で耐えるのが普通だと思います。

嫌悪のイメージを行為(例えば卑怯を嫌うとか)として明確にしていなかったのに加えて、名前を与えた(ゴミやクズ、毒親など)ことで強すぎたという事です。自分の全部を否定するのではなく、軌道を外れた部分のみ対処し、他の人より少し努力をしてみましょう。苦しいならば医者を頼りましょう。しかしそれは元気を出して自分にやる気を取り戻すためです。過去の自分を苛めるのではなく、改造したり、増設したりして対応しましょう。

以上、ご参考になれば。
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他人の価値認識の改善




ユーザー
ほとんど他人を価値の無いゴミのように認識してしまっています。

ChatGPT
他人を価値のないゴミのように認識する感情は、否定的な感情や自己価値感の低下の表れかもしれません。これは一般的には健康的な心理状態とは言えません。の関係を築く上で問題を考えると可能性はありますが、自分自身の幸福感にも悪夢はないかもしれません。

このような感情を抱いている場合、いくつかのアプローチを試してみることが重要です。 以下にいくつかのアドバイスを示しますが、重要なのは専門家のサポートを受けることです。は、あなたがおかしい問題に正しいサポートを提供して差し上げます。

自己探求を行う:自分自身に目を向けて、なぜ他人がそう見えるようになったのかを探ることは重要です。過去の経験や確信、自己価値感に影響を与えた要素を考えてみましょう。

共感を意識する:他人の立場や感情に共感することは、相手に価値ある存在として認識するための一歩です。相手の視点や感情に想像力を出せることで、より深い理解が生まれるかもしれません。

自己価値感の向上:自己価値感の向上は、他人に価値があるとして受け入れる上で重要な要素です。自分自身の強みや成果を認識し、自己肯定感を高めるために、自己啓発活動や自己肯定の練習を取り入れることができます。

他人との関わりを増やす:他人との関わりを大切に、他人の価値や多様性を理解することができます。コミュニティ活動やボランティア活動に参加したり、新しい人との交流を求めることで、視点を広げることができます。

心理療法やカウンセリングのサポートを受ける:専門家のアドバイスやガイダンスは、問題を解決するために非常に有効です。
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人間の価値はスキルの高さや処理能力の高さになるというのは


確かだと思います。
それは通じるのは今までであると思います。

30代になって部下ができた年頃になれば
人を育てなくてはならないし
それには愛をもって人を見なくてはならない年頃になったと思います。

これからは人を愛したかで価値がきまる
人のために何をしたか
人をどう思うかで価値がきまってくると考えることはできませんか?

親から目上の人から
一人ずつ私にしてもらったことを箇条書きに書いてみてはどうでしょうか?
そうすれば愛に敏感になってくると思います。
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なかなか偏った思想をお持ちですね。

生きるのが辛いでしょう。まあ一部の人にとってはあなたもゴミみたいなものだからお互い様だけどね。このままじゃいけない、と自ら気づけただけまだ見込みがあります。
 あらためまして、私は人間を欠点の塊だと思っています。だからおっしゃている通り自分に正面から向き合い自分自身の欠点にとことん向きあい「自己否定」することから始めて下さい。本当に正直に自分に向き合えば特に意識しなくても大抵の人は「欠点」ばかり目につきマジに死にたくなります。ですが極端に落ち込む必要はありません。先述した通り「人間に欠点があるのは当たり前」「欠点があるから人間」なのです。そうして「欠点を含めた全人格」を受け入れることで初めて人間は他人の欠点にも寛容になり他人を愛することができるようになり、世界と繋がることができます。一番肝心なのは、勿論最初の工程で、どこまで自己否定できるかです。ちなみに「自分自身」を基準におけば周りはみんな変人だらけ、だと私も思います。だから自分を如何に壊すかによって自分と違う他人の個性と如何に繋がれるか、が変わってきます。
それができれば、今までの景色がガラリと変わり世界は魅力に満ちて輝いて見えると思いますよ。頑張って(^_^)v
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