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明治時代から日本が戦争をしまくったのはなぜでしょうか。

日本は日清戦争~第二次世界大戦で沢山の戦争をしました。

戦争のためには莫大な軍事費が必要です。国家にマイナスになることはものすごく多かったはずなのにこんな戦争を繰り返したのは、国のためにどのようなメリットがあると考えたからなのでしょうか?

出典(Wikipedia以外)もあればお願いします。
どんな小さな情報でもいいのでできるだけ多くの回答をお待ちしています。

(知恵袋にある同じ質問は私が質問したものですので問題ありません)

A 回答 (9件)

もともと日本は戦争をするつもりはありませんでした。



にも関わらず19世紀半ば頃から世界中に勢力圏を広げようとするヨーロッパ勢力に屈し、
生き残るために開国し、明治時代を迎えました。

この時代に生き残るためには強国になる道以外にはなく、
列強と呼ばれたアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、
そしてこれらに少し遅れながらもイタリア、オーストリアといった国は、
民族・海洋を越えた帝国を築いて勢力圏を競っていました。

これに対抗するためにもまず第一段階として自国を防衛するに足る軍隊・産業を作り、
次に自己勢力圏の拡大を図りました。
特に満州・朝鮮半島へのロシア南下を許せば次の目標は日本でした。
日本としては朝鮮半島に日本と同じく近代的な国家が出来ることを期待していましたが、
朝鮮半島には結果的に近代的な国家というものは形成されませんでした。

つまり、明治時代の日本は戦いたかったのではありません。
元から外に広がりたいのであれば江戸時代に鎖国していた理由がありません。
日本を開国させたのは欧米列強であり、
日本に強国になる以外の道を与えなかったのも欧米列強です。

そして、大正を経て昭和に時代が移ろうにつれて、
日本の立場は西欧列強に並び立つものとなったわけです。

※URLは1898年の地図です。
時代が少しずれていますが、この地図で色で塗られているところは全て列強国か、その植民地です。
色が塗られていない南米も実質的には非公式帝国という形でイギリスの経済的従属国となり、
アメリカがパン・アメリカ主義を推し進めてからはアメリカの勢力化に置かれます。
他にも独立を維持した国ではタイがありますが、
タイは英仏どちらに大しても極めて不利な国際条約を結んでいました。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …
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戦争しまくりですか?


日本
日清戦争・日露戦争・第一次大戦(シベリア出兵)・第二次大戦(日中戦争ー太平洋戦争)
アメリカ
米西戦争・米比戦争・第一次・二次大戦
イギリス
ボーア戦争・第一次・二次大戦
ドイツ
普仏戦争・第一次・二次大戦
フランス
普仏戦争・第一次・二次大戦
ロシア(ソ連)
露土戦争・日露戦争・第一次・二次大戦

ざっと思いつくだけでもどこの国も3,4の戦争してますよ。
細かいのは他にもあるかな?
しかもこれは日本が特異的に戦争が多かった時代で、他国は明治以前、戦後もたくさん戦争してます。
単に戦争して領土や賠償金を得ていかないと生き残れない時代だったのであって、日本が戦争が多いとはいえないしょう。

細かく見ていけば、日清戦争・日露戦争は、ロシアの南進(侵略)に対抗するためです。
ロシアに侵略される前に日本の周りを抑えておいたわけです。
そろばんはじくような余裕のあるものではなく、ロシアの侵略に対する生き残りをかけたものです。

第一次大戦は中国利権の獲得なので、明確にメリットを求めたものです。
この時代、日本の貿易を支えた商品は主に綿布で、それを売る独占市場として中国を求めたものです。
日中戦争も市場確保で、これは中国のなかに日本の独占市場を築こうとしたものです。
この時代昭和恐慌で、各強国が自国とその植民地から他国の商品を締め出しました。
輸出先から締め出された日本は、中国に独占市場を求めました。
そして同じく中国を市場としたいアメリカに、強引に戦争を仕掛けられたのが太平洋戦争です。
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No6です。

続きです。
第一次大戦後、国際法で侵略戦争は禁止されましたが、「侵略」の定義自体が不明瞭で、他国の都合で一方的に「侵略国」とされたり、当事国が認めなければ、指定を免れたりできるようなザル法でした。

実はアメリカは、かなり前から、将来アジアを巡って日本と争うことを考えて、オレンジプランやレインボー計画などの、対日政策を行っていました。

日中・太平洋戦争はこんなときに起こりました。

日本は、清国崩壊後の軍閥政権と紛争を続けていました。そこにアメリカが介入します。
アメリカは、植民地競争に出遅れており、最後の市場としての中国を狙っていました。
その為に邪魔な日本に対して、「門戸開放」を主張し、諸外国にも市場を平等に開放しろと言いましたが、これは苦労して日本がつかんだ市場へ、タダで参加させろという虫の良い要求でした。
更に、蒋介石を裏で支援し、戦争を長期化させます。(アメリカが支援しなければ、日本は勝っていました。)
国際法では、この時点でアメリカは日本と戦争状態にあるとみなされます。つまり、仕掛けたのはアメリカです。

それに加えて、アメリカはイギリスから対ドイツ戦にも参加して欲しいと要請を受けていましたが、世論が許しませんでした。しかし、ドイツの同盟国の日本が先に手を出させば、それも可能になります。
そのための手段がABCD包囲網とハルノートによる最後通牒です。

これは、獲得した全ての領土を放棄したら、石油禁輸の解除の交渉を「しても良い」(保証ではない)というものでした。これは当時の常識から見ても無茶な要求です。
「こんな条件出されて戦争をしない国などいない」と、東京裁判の判事であり、日本の無罪を主張したパール氏は言っています。

日本を守る為には、朝鮮の独立が必要で、その為にロシアと戦争し、
その後の中国の挑発から逃れる為に、満州を建国し、更に防衛の為に、中国奥地まで行かなければなりませんでした。アメリカは自国の都合で、介入し泥沼化させた挙句に、日本から戦争を仕掛けさせました。
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ここで無関係な他人の好意を当てにして質問する以上、最低限のことは自分で調べ、知識はあるものという前提でお答えします。

(これは礼儀でもあると思いますので。)

まず、知っておいていただきたいことは、当時も今も、国際法では戦争自体は犯罪ではありません。
その後、侵略戦争は国際法で禁止されましたが、それも第一次世界大戦以降です。

回答:日本が行った戦争は、安全保障(国防)の為です。
領土は結果としての二次的なもので、直接の目的ではありません。
(また、戦争=領土の為 & 領土=利益というのは、短絡的な思考です。)

日本は朝鮮を清国から独立させるために清国と戦い、守る為にロシアと戦い、止む終えず併合しました。(侵略ではありません)それは、あの帝国主義の時代に朝鮮をロシアに取られることは日本にとって死を意味したからです。満州事変以降の満州国の建国も、元は中国・ソ連の挑発が発端です。軍部の独走はありましたが、それも満州を守る為です。中国を侵略する意図はありません。その後、清国は崩壊し内乱状態になりました。とりあえず条約は守ってくれる「国家」と違い、軍閥・馬賊崩れの集団が満州を脅かします。日本は満州を守る為、彼等の本拠地を叩く為に、中国の奥地まで出て行かなければならなくなりました。これが日中戦争です。
太平洋戦争は、それにアメリカが自分の都合で介入した為起こったことです。

明治維新当時のアジア
アジア:欧米の植民地
清国:阿片戦争の敗北で半植民地状態
朝鮮:清国の属国として盲従し、搾取され続け世界でも最貧国だった(内政も乱れていた)
ロシア:朝鮮を狙っている。朝鮮が取られた後は、次は日本が狙われる(そして多分勝てない)

上記の状態で、日本は清・朝鮮と協力して近代化し、欧米に対抗しようと提案しましたが、彼等は、欧米にかぶれてアジアの秩序を乱す愚者の妄言として聞き入れませんでした。
(この場合のアジアの秩序とは中国を盟主とし、他国が臣下として仕えている状態のことです。あの時代でも彼等の意識はその程度でした。)

その後の日清戦争により、日本は朝鮮を独立させ保護国とし、ロシアに対抗できるように発展してもらおうとしました。(結果として領土は得ていません。)

しかし朝鮮内部は腐敗しており、失政や権力闘争により、国の乱れは直りませんでした。
これらのことが、ロシアや清国の介入を招き国は乱れました。

これが原因で、日露戦争が起こります。(日本はなんとか勝ちましたが、大赤字です。)

これによってロシアの干渉を排除しましたが、それでも朝鮮は日本を裏切った工作活動を行い、ハーグ密使事件や、伊藤博文暗殺事件などを起こしたので、日本は朝鮮を別の国として扱っていては、導くことは不可能と判断し、朝鮮併合を決断します。(この併合は両国の合意により平和的に行われたもので、武力による侵略ではありません)
併合自体は朝鮮が願い出てきたことでした。日本の方はこんな貧乏国を併合するメリットがないので、反対意見も多かったのですが、放置するとロシアに取られるので受け入れました。(当時は立場をわきまえず対等合併を望んでいましたが、伊藤博文が暗殺された為にそれも言えなくなりました。)
国際社会も紛争の火種として憂慮しており、どこかが併合することによる解決が望まれていました。

台湾関連(当時、台湾は清国の領土だった)
台湾に漂着した日本人が台湾人に殺戮される。これ対する日本の責任追及に対して、清国は台湾は支配が及ばない土地だと返答(この発言は、領土権の放棄を意味します。)
日本はこれを受けて、島民への懲罰を兼ねて攻撃を行い、日本の植民地としました。
これに対して、当時の清国は抗議をしていません。(これは日本の領有を認めたことになります。)

その後の日本による台湾・朝鮮の治世ですが、当時としては彼らを差別せず、指導により国を発展させたとして、世界から高い評価を得ています。
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 民族移動、十字軍から大航海から続く欧米の東洋侵略主義、地球制覇主義の中で自己を保持する為です。


 防衛と攻撃は同じ現れ方をします。
 全くの赤ん坊や子どもが仕掛けてくるなら、ちょいちょいと相手して躱す(かわす)だけで住みますが、物量も戦力も圧倒的な国々の、しかも知力も、情報操作力も情報収集力も絶大な国々との戦いで、翻弄されたというのが実情です。
 正義は我にありという、欧米の国際世論そうさと歴史構成に今も負けています。
 日本がしまくったのでなく、欧米が数千年以上もしまくってきているのです。
 
 思想は梵漢和の東洋思想。行動は1956年からラディカル革新党派。の者です。
 アメリカ軍の残虐な殺戮を経験してきております。プロフィールのコメントをご参考にしてください。
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色々な説がありますが、一番有力だなと思うのは・・・



◎日本は小さな島国です。江戸時代末期まで鎖国政策を続け、オランダ、ポルトガル以外の国以外、貿易はしていませんでした。しかしペリー提督率いる黒船の来航により、幕府は「日米和親条約」に調印。鎖国時代に終焉を告げたわけです。さて、明治新政府が誕生し、実際欧米列強国の情報が入ってくるにつれて、小国である日本は大いに刺激を受けたと思われます。日本に不平等な条約が次々と結ばれ、日本も欧米列強の中に名を連らねたい、小国と思われたくない、という「世界に追いつけ追い越せ」の考え方が芽生え始めます。そこで武力による中国や朝鮮半島、アジア各国の侵略・占領が始まっていきます。清を占領、朝鮮半島を占領、絶対不利といわれたロシアとの戦争での勝利、傀儡国家満州国建国、日本は強国・大国を相手に次々と勝利を収め、名実共に列強の仲間入りを果たしました。そして無謀にもアメリカに対し宣戦布告をしたのです。いわば「真珠湾攻撃」です。太平洋戦争勃発です。当初は日本優勢でしたが、徐々に武力に勝るアメリカに戦況は傾き、遂に沖縄での地上戦、広島・長崎へ原爆を投下されるという最悪の結末を迎えます。1945年8月15日終戦。そして日本は戦争を永久放棄しました。

もし、日本が第二次大戦に勝利していたら、アジア最大の核保有国になっていたでしょう。今でも軍隊は存在してたでしょう。私はそうゆう意味で、先の大戦で日本が負けて良かったと思うのです。空襲で犠牲になった方々、戦地で散っていった若い命、神風特攻隊で散った十代の命、大和の悲劇・・・それらの事を考えれば、安易に戦争に負けて良かったと言うべきではないと思います。しかし、あえてもう1度繰り返します。

『戦争は何ももたらさない。大戦で負け、日本は多くの犠牲と引き換えに平和という尊さを得た』
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戦争には莫大な戦費が必要ですが、勝てばそれを補う分だけの利益を上げることが可能です。



日清・日露戦争の辺りは、もちろん領土拡張、海外権益獲得等の目的がありましたが、同時に、日本の
国力示威の側面も少なからずありました。事実、日清戦争、日露戦争の勝利は不平等条約の改正に
一役買っていますし、当時の欧米列強にとって、清とロシアに勝利した(共に斜陽の大国でしたが)と
いうことは、大きな衝撃を与えました。
もちろん、日清戦争後には、台湾割譲及び朝鮮半島における日本の権益優先、更には賠償金2億両を
受け取るなど多大な利益を得ています。一方、日露戦争では賠償金がなかったため、国民は不満を示した
という事実もあります。

第一次世界大戦では、日本は直接主戦場であるヨーロッパに行くことは殆どありませんでしたので、
被害も少なく、また輸送船(商船)の不足から「造船成金」と呼ばれる人々が生まれるほどの好況ぶり
でした。更に日英同盟に従ってドイツに宣戦布告し、戦勝国の一員に列することができました。
そして、太平洋におけるドイツの権益や、中国における権益を得たことで、日本は、第一次世界大戦で
一番得をした国の一つと言えるでしょう。

しかし、第一次世界大戦以降、大恐慌など経済的に打撃を受けた日本は、自国経済安定のため、
更なる領土拡大を行います。これが、結局自らの首を絞めることになってしまいました。
領土拡大を中国大陸に求めた結果、アジアに出遅れたアメリカと衝突し、太平洋戦争へと突入して
行くことになってしまいます。そして、その結果敗戦を迎え、海外領土を全て失ってしまったのです。
この部分の印象が強烈ですが、実は、戦争は勝てばそれなりの見返りがあるものだったのです。
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戦争に勝てば相手国の領土の一部が貰えます。

そして相手国からお金が支払われます。
また、日本は資源が乏しいので、資源の産地を日本の支配下に置くことができれば、資源を外国から輸入しなくてすみます。
さらに、日本の領土が増えれば日本製の商品をそこで売ることができます。
(外国製品は関税をかけることによって値段高くすることができます。外国製品より日本製の方が安ければ、みんな日本製を買います)

戦争に勝てれば、マイナスどころか国家にとっては非常にプラスです。
国家にとってマイナスになるのは戦争に負けた時だけです。
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当時は、戦争をして領土を拡大し、その領土からの収益で国が栄えるのが禅世界的にゲームのルールだった。


だから、富国強兵が日本の成長の目標だった。
日本は目標に忠実に領土を広げたが、その後の植民地経営でイギリス人ほどずる賢くなかったので、朝鮮併合などでは、大学を設立したり鉄道を建設するなど投資ばかりしたが、領土からの収益をあげることなく時代が変わってしまい、ゲームのルールも変わってしまった。

イギリス人の賢さは隣国のフランスやイタリアを植民地にするのではなく、はるかかなたのインドやオーストラリアを植民地にして、はるか遠い英国に対する憧れ(英語や女王様、そしてキリスト教など)を作ったことではないでしょうか。
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