No.5ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
『神の存在』・・・これは古今東西、様々な形で議論されていますね。
皆さん仰っているように、『定義付け』に問題が生じる要因が
あるのではないでしょうか・・・?
有神論、無神論、各種信仰、各宗教を採っても
『存在する事』が前提になっているように思えます。
私の持論で申し訳ありませんが、
『神=人格化(人間の様態に似た超越した存在)してしまっている点』と、
それを『言語、表現(像、絵画、シンボル化)』によって現そうとしている事に
その問題点があると思います。
『言語、表現』は『人間の思考の産物』ですから、
『思考を超える事は出来ない』のです。
『思考』は各々差異は有っても、思考と言う特性上、
『各々の記憶、体験、経験に基づいて』います。
言うならば、『記憶、体験、経験に基づかない思考は如何なる表現、説明もできない』のです。
増してや『万人共通の記憶、体験、経験などありえない』のですから・・・。
ですから、『表現不能、説明不能』の事象を『議論する事は意味をなさない』と思います。
ミクロとマクロの世界で言えば、
『素粒子、量子より小さな物質』も存在の否定は出来ないが証明も出来ない、
また『宇宙の端、またその向こう側』についても同様です。
神とは『言語、如何なる表現』でも『それを適切に表せない』・・・
そういうものと思います。
強いて単語で表現するなら、『それ』です。
「それ」は何かと問われれば、その答えは『それである』となるかも知れません。
ちなみに私は『It is that It is.』、
『I am that I am,』と思っています。
それでは。
ありがとうございます。
信仰については確かに前提として、神が存在することが必要条件だと思います。
やはり思考の範疇(カテゴリー)を超えてしまうことかも・・・しれませんね。
It is that It is.
自分にとって新しいフレーズ?です。
もう一度考えてみます。
参考になりました。
No.15
- 回答日時:
神は意識の根底で人間を圧迫しています。
それは良きに付け、悪しきにつけです。良い場合はホット一安心と云う事で。悪い場合は「漠然とした不安や、分らない無い者からの』圧迫として、この事を罪悪感と言っています。その者は人間の感情を湧かす者として、一人の人間には必ず一人います。感情が湧く者とは左脳に存在する意識、自我意識です、顕在意識です。
感情を湧かせる者とは、右脳に存在する意識です。この意識は「無意識として」に封印されています。右脳の意識を神や仏と言っています。悟りを開くとか、神と和解するとは、脳の中に回路構成が出来て、不安になる原因究明が終わる事を意味しています。
仏教では「生死の問題が解決する」と云う言い方です。キリスト教では「神と和解する」です。心的な意味では同じです。
神を信じられない人は、未だ会っていないからです。会う時には、心の病や、神経症や、自律神経失調症は完治します。それらの原因が「識られざる内なる神」に拠っているからです。
生死を超える=悟りに近きもの・・・
正岡子規は悟りとはいかなるときも平気で生きることだと言ったといいます。
罪悪感を感じるとき、安堵感を感じるとき、確かに心の動きにある作用が働き、一人一人をセーブしている。そうかもしれません。
ありがとうございました。
参考にします。
No.14
- 回答日時:
神の存在証明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE% …
上のサイトは、参照されましたか?
ここのサイトでも、過去何度も提起され、検証されています。
http://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?PT=& …
No.13
- 回答日時:
神がいる、と言う人がいるならそれは概念として存在するのは間違いない。
しかし、それが物理世界で影響を及ぼすことはないので、いないと言う人にはいないのと同じ。
まあ、つまらん回答ですね。
私は、神でも仏でもいいのですが、第三者的な観測者を常に想定しています。
将来の自分の身代りとでもいいますかね。
将来の自分が見て、恥ずかしい行ないをしていないか考えるようにしています。
そういう観点から行くと、心の中にある善意を「神」として形成するのは
なかなか便利な気がします。
いると主張してふわっとした表現しかできないよりは、
いないと主張しているが、行動が神に通じてる方がかっこいいですね。
>まあ、つまらん回答ですね。
いいえ、本質的な核心をついていると思います。
神を想定するときにどうしても ~人格化~ している自分がいて、それが良くないかもしれません。
自分を客観視するために、自己を自己から離す場合に第三者的観測者は確かに必要ですね。
参考になりました。
ありがとうございます。
No.12
- 回答日時:
神は善、悪魔は悪、と捉えることに抵抗はありますか。
そう捉えることを受け入れられるなら、人の心には“善”も“悪”もあるので、神は居ると云えるのではないでしょうか。
>神は善、悪魔は悪、と捉えることに・・・
ごめんなさい、やや抵抗があります。(笑)
ただし自分はそう思えないだけであって、必要な思考なのかもしれません。
>人の心には善も悪もあるので・・・
その通りですね。神と悪魔を想定すればスムーズなのかもしれないですね。
ご回答ありがとございました。
参考に致します。
No.11
- 回答日時:
「神」という言葉が存在する以上、「神」は存在します。
くどいかもしれませんが、
「神」が存在しなければ、「神」という言葉は存在しません。
その「存在」の意味が、物理的なのか観念的なのかを無理に確定させる必要はありません。
なぜならば、その土地々々によって、気候も風土も植生も、言葉も、肌の色も・・・、そこ此処の土地に順応した「物理的なモノ」や「観念」が存在し、それらに応じて、そこに住む人々はそれぞれの「神」の存在を認め(あるいは感じ)てきたのだから、
一様に比較検討し、「ひとつの回答を導く事」
は不可能であり、無意味です。
(詳しく言うのは面倒なので述べませんが、西洋の神と、日本のかみさまは何処か違うでしょ?)
ありがとうございます。
太古の頃より、人類は神とともに生きてきた歴史があります。
その人々は程度の差はあれ、神を感じていたのでしょうね。
存在を解き明かすことがそれほど重要ではないのかもしれないですね。
参考にいたします。
No.10
- 回答日時:
(1)物理宇宙には”神”は存在しない。
(2)精神的な宇宙(人間の想念)には”神”は存在する。
存在論については、これでいいのかなと思います。
私としては2行で済むんですけどね。
(2)に内容として、どのように存在するのかという存在の仕方については、あれこれ議論があって然るべきかと思いますけど。存在の仕方によって、ヒンドゥー教になったり、キリスト教になったり、そこから細かい派生したりして、形態が分かれるのでしょう。
個人的には、「”神”は精神世界には存在し、影響を与えるが、”神”そのものが物理的には存在せず、また人を物理的に助けることはしないし、そのような機能もない」と思っています。
だからといって、無神論者(神がいないと思う人)ではなくて、精神世界における”神”の重要性もわかりますし、歴史的に重要な機能を果たしてきて、今なお果たし続けているということもわかります。
重要なご指摘だと思います。
精神世界において神の存在を否定できるかと問われれば否定できません。
宗教、信仰はやはり人々を救う力をもっていると思うからです。
ある種、平等でない世界で(個人の能力差も含め)精神世界のなかの神の役割の重要性も理解できます。
いろいろなご回答を頂く過程で少し自分の考え方を変える必要がある気もしてきました。
参考に致します。
ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
プロテスタントのクリスチャンです。
モルモン教、エホバの証人、統一教会とは関係ありません。神がいるのかいないのか私どもの五感では認識することができないというのが聖書の見解と思います。しかし聖書は求めるものには与えられるとも述べています。逆に言えば知性や理論や感情の高ぶりなどではだ神を知ることはできないということを述べています。自分の全存在を賭けて求めなければ見つけられません。
あなたの全存在とは何でしょうか。それは心も体も含めたあなたの命ではないでしょうか。神を知るためにおはあなたの命をかける必要があるということです。
聖書が述べる神の姿はイエスキリストを見ることで理解できると述べています。彼は「私は道である」といみじくも述べております。見えない神を具体的にわれわれに見せようとしたその表れがイエスと言えるかもしれません。
心から神を知りたい方はお近くの本屋さんで聖書をお求めになって読まれることをお勧めします。また近くの教会の牧師に議論を挑んでみてください。命がけで求めるならば、「人にはできないが、神にはできる」との宣言のごとく神を知ることできるでしょう。
聖書は読んだことがあります。部分であって全体ではないのですが・・・
自分の感覚ですが、キリスト教その他、長きに渡り続いている所謂教えは、やはりそのなかに人々をあるときは救い、あるときは道しるべとなって、時代の変遷を経た今となっても色褪せることがなく存在していることはよく理解しているつもりです。紛い物であるなら、とうの昔に廃れていったはずですから。
頭のなかで理解しようとしても、得られるものではないのかもしれません。ご指摘のように。
ただ理解できないかなって思うのも本音です。
無理でしょうが・・・
貴重なご指摘ありがとうございます。
参考に致します。
No.8
- 回答日時:
最近「あーーーー」って気づいた というか わかった というか そんなひらめきがあったんです。
発狂したと思われたニーチェ。
どういうことを言ったから そう勘違いされたかというと
『「私はカイアファを拘束させてしまいました。昨年には私自身もドイツの医師たちによって延々と磔(はりつけ)にされました。ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」
”
“ 「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」』
確かに、「あーーーー」という気づきが無いと、「わーけわからんことを」と思うしかないかも。
>ただ居ることは間違いないと言うばかりでした。
うん、、、、そう、、、いる。 確かにいる。
それに近い概念が日本の八百万の神々。
その概念には、人間にとって良いことをする神のみ登場せず、人間にとって災いとなるものを与える神も登場する。
リトルピープル。
生命の誕生についての一つの仮説。
地球にどうやって人間のような生命体が誕生したのか。
物質が生命と呼ばれるものになったわけです。
それはリトルピープルが存在したから。
DNAがあるかどうかで物質と生命体とに分類しますよね。
DNAは生命か物質か?
物質でできているのでハードウエア。
しかし自らのプログラムを書き換える。
ということは生きている? つまり生命?
うーーーん。
2010年宇宙の旅みたいなもの。
古代の地球だった頃の環境にして、そこに放電をしたところDNAを作る物質のうちの一つの物質が形成されたのだとか。
どの段階がリトルピープルかはわからない。
だけど、リトルピープルが存在していて、それらは物質の中に入っていて、一つは他の物質を形成していき、一つは生命となるものへと寄生していったんじゃないかと思える。
ウイルスとなり、さらに進化していき、その一つが人間であり、一つがガン細胞でもある。
がん細胞は生命に進化と同じ手順を辿って発生していってるのだそうです。
人間の体が小宇宙で、酸素が無い場所に生命体 つまりがん細胞が誕生し、分裂していく。
人間の中にもリトルピープルはいるし、がん細胞の中にもリトルピープルはいるし、人間が組織を作っている中にもいる。
人が集団を作るのも、リトルピープルがさなぎを作っているようなもの。
集団と集団がぶつかりあうのも、リトルピープル同士の干渉。
干渉しあうことで、別の可能性を発生させている。
リトルピープルって言語化不可能なもの。
だから、、、、ここでは言語化してそれを他者にわかるように表現はできない。
1Q84で物語を作ることで、その概念を説明しようと試みているみたいです。
ニーチェについてはわかる部分とわからない部分が自分のなかで同居しています。
ある意味、偉大であることには疑う余地はありませんが。
突き詰めれば、回答者様の言われるようにある種の摂理も解読可能な分野が沢山あるのでしょうね。
参考に致します。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
唯一神なのか、八百万の神と位置づけるのか、まずはそこからですね。
ただ、万能の神というのは存在しません。
何故ならば、「神に従わない人間」を神が創ったとしましょう。
これを神に従わせたとしても、従わせられなかったとしても、どちらにも矛盾が生じます。
即ち、万能なんて存在しないのです。
寧ろ、一神教は政治のためのツールに等しいですね。神の名の下に人を従わせる
社会を形成するのに、最適な詭弁ではないでしょうか?
人より優れた高次の存在を設定せず、一人一人の命を、精神をこそ大事にする
仏教とは、ここが違うのです。だからこそ、唯一神は存在しない。
八百万というのであれば、逆に人の数だけ存在するのでしょう。
この考え方は、仏教の基本的理念に通じます。しかし、質問者は唯一神について
述べているようなので、俺の考えにおいては「神はいない」という結論になります。
示唆に富んだご回答ありがとうございます。
質問の前提が曖昧だったかもしれません。失礼しました。
八百万の神という概念はありませんでした。参考になります。
確かに宗教、宗派により神の概念も変わりますね。
神を考えるときに、西洋的なものをイメージしていたことに気がつきました。
自分は日本人なのに・・・
やはり深いですね。神という概念は・・・
またひとつ勉強になりました。
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