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- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>江戸時代、庶民の旅人は下着などの衣類をどこで洗ったのでしょうか。
男でも女でもそうですが、必ず、下着は2~3着を用意して旅にでました。男も女も長距離になる場合は、荷篭を手に持つか背中にハスに結わえて旅をしました。
しかし、東海道で江戸から京都までは、通常、男足で15日くらい、女足でも17日くらいでしたので、それくらいの距離であれば、「着たきりスズメ」でした。
まあ、お伊勢参りなどになると、途中で着替えたりしましたが、洗濯は通り道の小川や池の水で洗いました。
では、乾かすのは・・・と、言うと、これは、濡れたままたたんで持ち歩きました。そして、夏であれば、荷物篭の中で自然に乾きましたし、冬ですと、濡れたまま持ち歩きました。
余り着替えをしない状態でした。
>>風呂場では狭いし、それにお客が次々に入浴するでしょうし…。
そうですね。旅籠の風呂では、洗うことは「厳禁」でした。
それは、お湯を使うことと、当時の薪は非常に高かったためでした。
でも、中には「コッソリト」と言うようなちゃっかり者もいました。
>>また、旅籠には浴衣(寝巻き)は用意されていたのでしょうか。
もちろん、これはありませんでした。着たきりスズメのまま横になりました。
また、混雑する宿では、布団なども出してはくれず、相部屋で屏風1枚で仕切りをし、布団も出してはくれませんので、自分の着ていた上の着物を脱いで上掛けの代わりとしました。あるいは、女性などの場合は、そのまま横になって一夜を過ごしました。
この回答へのお礼
お礼日時:2010/10/08 20:44
いつも詳しく教えてくださってありがとうございます。
東海道くらいの旅であれば「着たきりスズメ」ですか…。
確かに、下着を洗うとしても街道筋近くの池は村の財産であるし、川の洗い場もそうでしょうね。
実は、近現代史の専門家の著作で、下着は風呂場で洗うとか、旅籠には浴衣手拭が用意されていると書いてあったものですから、まさかと思って質問しました。
Bungetsuさんのご回答で納得しました。
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