A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
江戸時代、たびたび混浴禁止令が出されましたが、
実はこの混浴禁止令を積極的に破ったのは主に女性側でした。
江戸時代と言っても構造は時代や地域でやや異なります。
当時の一般的な風呂屋の構造としては、お湯が冷めるのを防ぐため
浴槽を屋根で覆って入口(ざくろ口)で身をかがめて入っていました。
浴室の中も男女で別になっていても、せいぜい仕切りの棒を何本か
立てたもので小さい子どもなら通れるほどのものでした。
例えば寛政の改革においても風俗を改めるために混浴禁止令が
出されました。
女性の場合、家事の時間などの都合でどうしても集中してしまって
利用時はいつも混んでいるとか、知り合い同士で話すことで
時間がかかったり、イヤミを言われることに嫌気がさすなど
気が休まらないことから男性用に入る人が後を絶ちませんでした。
ちなみに、浮世絵や草子にかかれるお風呂での喧嘩は
女湯の方が多い傾向にあります。
現在のSAで女性トイレが大混雑の場合に男性トイレに入ろうとする
女性がいるということが江戸時代からあったんです。
ちなみに、当時の大都市、特に江戸では水が自由に手に入る
というわけにはいかなかったので、お湯はあまりきれいでなく
主に体ヲ温めるために使われ、出るときにざくろ口に控えた
湯くみ番から上がり湯をもらっていました。
脱衣所が男女別だったり一緒だったり、番台で仕切られたり、
男女の別も男性専用、女性専用、時間帯で分ける、間仕切りがある
そして最初から混浴(入り込み湯)などの種類があります。
名称も関西では「風呂」関東では「湯屋」と違ったりします。
一般的な浴槽の屋根の形も江戸は鳥居型、上方は破風型と
それなりに異なる点が多々あります。
なので、「こうだった」と明確に回答はできませんので
あしからず。
No.9
- 回答日時:
裸に関する感覚は今とはかなり異なります。
夏の暑い時期には、銭湯帰りの夫婦と子供が全員素っ裸で帰ることも珍しくなかったようです。
そもそも女性は化粧をする際は、上半身裸でした。首筋、胸元、襟首など和服を着ても見えそうな部分は白粉を塗っていたからで、それが嗜みだったからでしょう。夏場は窓も襖も玄関も開けっぱなしですから外から丸見えですし、知り合いの男性が来てもそのまま化粧を続けることも珍しくなかったようです。乳房は子供のためのモノであって、性的な意味合いは薄かったのでしょう。
銭湯は混浴ですが、洗い場と着替え場所は区分けしている場合が多かったようです。ただ幕末に近い水野忠邦による天保の改革の頃になると、男女を別々に入浴させるように幕府の指導が入っています。
No.8
- 回答日時:
詳しくはないのですが、銭湯の着替えは別でも風呂は一緒だったと聞いたことがあります。
明治になって外国人が来て、庭で行水をしたり、人前でおっぱいペロンと出して赤ちゃんに乳をあげたりするのを見て、ここはユートピアかと言ったとか言わなかったとかw
他にもありますが、日本では昔から胸をさらすのを、それほど恥ずかしいことと捉えていなかったようです。というか女性が胸を隠すのは西洋の文化などと言われていて、これが技術と共に世界中に拡散したらしいです。
そういえば昭和の50年代くらいまでは、電車やバスで乳やりでおっぱいペロンしてる人も居たような気がします。
No.7
- 回答日時:
江戸時代の浮世絵を見てみると
セックスの場面というのはありますが
ヌードの浮世絵というのがありませんね
それに
胸だけを描いた絵というのもありません
有名などこどこのお店の娘の絵はあっても
それを裸にした絵というのもありませんね
どうやら
江戸時代というのは
極端にいうと裸の時代で
今の感覚とでは
違っていたようです
裸や胸などというものは
男女とも日常のもので
性器だけに興味があったようで
ですから
ちょいと前を隠せば
これですむ
胸は気にしない
銭湯では
脱衣所は別でしたが
入浴は一緒です
しかし
当時はもちろん電気などはありませんから
朝から夕方くらいまでで
あかりはろうそくだけの明かりで
湯気が逃げないように
ざくろ口と言って
かがんで湯に入りますから
中は暗く
本当に湯に浸かるだけが目的です
また浮世絵の話に戻りますが
男性が女性の胸を揉み揉みという絵も
見たことがありませんし
胸に口をつけている絵もありません
やはり
当時と今とでは
常識だと思っていることでも
今とは違っていたとしか言えませんね
No.5
- 回答日時:
銭湯のお湯は継ぎ足しなので垢などの汚れが濃縮されたばい菌の培養液です。
来日した外国人は、江戸の市民の殆どが皮膚病と眼病に罹患しているのに驚くのと共に、その原因が銭湯である事を看破しました。
明治政府は、不衛生な日本式の銭湯を禁止して、西洋の共同浴場形式に変えさせました。これが今日の銭湯です。
No.4
- 回答日時:
入口と体を洗うのは別部屋で、湯舟だけは一緒だったようです。
と言っても、銭湯内は湯気抜きの窓から入る明かりだけの薄暗さでしたから
誰が一緒に入っていようと大した違いはなかったみたいです。
湯を汚されたくなかったので
湯船に入る前の体の洗いはけっこううるさかったようです。
その際の湯は銭湯の賄い(三助)が桶で運んできてくれて
それはふんだんに使えたようです。
それから湯に浸かるので湯舟の湯はそれほど汚れなかったんでしょう。
少し前に問題になった老舗旅館のように湯を何日も変えないんじゃなくて
毎日変えていたようですから。
見ていた訳じゃありませんから、昔の風俗描写からですが。
No.3
- 回答日時:
「三度の飯より江戸が好き」ほーりーこと堀口架純さんの動画を見てるけど。
着替え場、洗い場は男女別々湯舟は一緒と言っても明かりもないし湯気で何も見えなかったみたい。洗い場のお湯は桶一杯と決まってて、会員料金は大きいサイズの桶で普通料金は小さな桶(浮世絵の銭湯の様子を見るとよく分かりますから。浴槽は汚くないよお湯を沸かして入れ替えてますから。No.2
- 回答日時:
当初は混浴でしたけど
風紀上問題ありとして度々禁制が出ていますが完全には分離できていなかったようですね
また、江戸に限らず今のように浴槽に大量のお湯を沸かして入浴するのはごく最近のことで
基本は蒸し風呂です
ある意味ミストサウナのようなもの
そこで汗をかき汚れを浮かして身体を洗うこれ全部浴槽の外です
かけ湯もしくはかけ水をして退出になります
江戸の頃は大らかですから、股間の諸々が見えたところで皆さん気にしません
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