No.4ベストアンサー
- 回答日時:
「庶民的な家」ということで、「町屋普請」「家屋敷の値段」をキーワードで検索しました。
(1)洛中における「家屋敷」の売買例
16世紀末から17世紀末にかけて洛中で売買された家屋敷の事例163件を調べた論文があります。
売買に関する証文から、その家屋敷の場所、間口寸法、裏行寸法、値段、年月は分かりますが、建物の状態(傷み具合)については一切分かりません。
現代でいうところの「中古物件」ですから、とにかく安い物件を選びました。
年 間口寸法 裏行寸法 値段
1664年 2間 9間 代銀20枚(銀1枚=京目43匁)
1676年 2間3尺5寸 8間6尺2寸 銀20枚 (同上)
1682年 3間 16間0尺7寸 代金10両(金1両=銀60匁)
1697年 2間4尺6寸 7間3尺3寸 金子20両(同上 1693年大坂相場)
注:単位の換算 1間=6尺5寸 (この注の意味は不明です。回答者)
「17世紀京都における家屋敷の値段」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006657362
(2)大坂・三津寺町(一般的な商業地)における「家屋敷」の売買例
文化9年(1812)から文政12年(1829)までの売買例20件から最安値。
1815年(文化12) 間口5間 代銀 7貫
安いと言っても大坂の商業地ですから、庶民にとっては、小商いを始めるのも大変だったでしょう。
「家屋敷売買に見る近世大坂 町の空間」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004133773
(3)天明大火(1788年)直後の京都における町屋普請(建て替え)の場合。
18例中、安い事例。間口2間3尺1寸5分、梁行5間で外に約2尺の縁あり。柱は松4寸角。主屋の建坪12.4坪(縁含まず)。付属屋を含む建坪16坪。屋根は瓦。工費(材木,大工手間,屋根,左官,建具など)銀1貫800匁。
「天明大火直後の京都における町屋普請 : 寛政 2, 3 年『注文帳』を中心に」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003882956
抄録:天明8年(1788年)宮河町から発した火により,京都の市中はその大部分を焼失。その時期に大工近江屋吉兵衛の作成した「注文書」には,約20軒の町屋普請の実態,1)規模(間口,はり行,軒高,天井高などの各部の寸法),2)木寄(所要木材を部位別にその材質,寸法,数量,価格を列挙したもの),3)工費(材木,大工手間,屋根,左官,建具など費目別内訳)が記録され,大変貴重。
この資料(とても面白い)、によれば、
工費に大きな比重を占めるのは、材木費と大工手間で両者で60-70%、大工の手間は30%前後です。
見積り・積算に際して坪当たり工費(標準工費)という指標も用いられていたことが推測されています。
この『注文帳』による普請例では、2階屋に限ると坪当たり工費は、75-150匁/坪に分布しています。
3都以外の地方で、「庶民」が手に入れることができる程度の家を探したのですが、見つけることができませんでした。
No.3
- 回答日時:
江戸の町方行政の末端で日常の事務を扱う、
五人組という地主、家主の組織があった。
家を売る時は名主と五人組の加判が必要で
その礼金を払う。
寛政ころの文京区の白山あたりの取り決めでは
家を五十両以上で売る場合は、名主へ一両二分
五人組へは一貫文ずつ、書き役へ同額など払う。
四十九両以下はその半分とのこと。
これから見て家(一戸建てと思われる)の売値は
五十~百両位が多かったと推定される。
広さが不明なのは残念だが、一両が20万円として
1000~2000万円となりまあまですか。
No.2
- 回答日時:
>江戸の長屋の家賃は格安だったそうですが、
まぁ、長屋の立地場所とか状態・所有者によって一概には言えません。
八丁堀同心の場合、副業で拝領した100坪の土地に長屋を建てて家賃収入を得ていました。
この長屋(堀口六左衛門の場合)の家賃ですが、10部屋で月に2両でした。
一両が(米価を元にすれれば)約8万円ですから、家賃は月16000円となります。
大工の日当が、約1000円。(棟梁クラスで、日当3000円)
収入の半分が、家賃となりますよね。
「おう。寒いので、蕎麦でも食うか!」と屋台で蕎麦を食う。一杯16文ですから、約320円。
この場合は、庶民でも高額所得者でないと入居できない一種の高級長屋ですね。
今で言うと、六本木ヒルズでしようか?(笑)
>江戸時代に家一軒を買うとなるとどれくらいのお金がかかったのでしょうか?
弘化4年(1847)。拝領地面に長屋を建てた北町の同心高部安次郎。
俸禄は30俵2人扶持の年収では、生活できないので屋敷内に長屋を立てた。
土地は、幕府からの拝領ですから(所有権は無いが、使用権があり)土地代は無料。
残念ながら、建築費を踏み倒してしまった様です。
甚左衛門町の大工幸助が、南町奉行所「建築費60両と銀5匁を払え!」に訴えをだしてます。
町の大家が長屋を建てる場合は、この費用に「土地代」が必要です。
一戸建ての場合だと、最低100両程度だったようですね。
江戸では、庶民は「一戸建て」は望みません。時代劇でも、庶民は長屋ですよね。
ですから、大店の旦那の離れ(母屋は、店と同じ場所)だと100両以上となります。
地方の場合でも、同様でしよう。
大工・棟梁の日当と建築期間で、質問者さまが計算して下さい。
No.1
- 回答日時:
家を買うと言うイメージはほとんど無かった様です
江戸で持ち家は大商人だけ
一般の人が家を買うことなど皆無でしょう、家を建てるものがほんのわずかいたかもしれません
家は建てるものです、買うというイメージはここ数十年のもの
現在のイメージは全く当てはまらないでしょう
家賃が安いと言っても長屋です 一戸分九尺二間・三坪、1畳半が土間、土間には水瓶と竈だけ
想像できますか
想像できそうなら、検索してください
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