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【日本史の医学】徳川家は胃がんで無くなっている将軍が多いですが、江戸時代の国民も胃がんで亡くなる人が平民でも多かったのでしょうか?胃がんお金持ちだけに多かった死因だったのか、なにが原因で江戸っ子は胃がんになりやすかったのか教えてください。

A 回答 (5件)

胃がんの原因の多くがピロリ菌感染によるものだとされています


ピロリ菌は、川の水や井戸水から感染する可能性が高いです
江戸時代の衛生状態では
将軍も、武士も、お金持ちも庶民と同じように
井戸水や江戸上水(=川の水)を飲んでいたと思われますので
現在と比べると、胃がんになりやすかったのかもしれませんね
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2023/02/20 19:04

No.4です。

 江戸時代の死因で圧倒的に多かったは、麻疹(はしか)や天然痘などの感染症です。 当時は抗生物質などといった医薬品もなく、衛生状態や栄養状態の悪さからひとたび流行すると大勢の人が亡くなりました。 歴代将軍のうち何人かも感染症で亡くなっています。

江戸時代は平均寿命も短く、癌になる前に亡くなってしまうというケースがほとんどで、長く生きられるようになり、がんになる確率も増えたのです。 江戸っ子は胃がんになりやすかったなんてことはあり得ません。

やはり江戸時代に胃がんになった人は、清潔な環境で生活して長生きできたごくわずかの権力者や金持ちだけだったでしょう。
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何を根拠にそんな質問をしているのかわかりませんが、徳川家で胃がんで亡くなった将軍は、初代家康と2代秀忠だけです。

 それ以外の将軍は、胃がんを含めてがんで亡くなったものは一人もいません。 3代以降の将軍の死因などは以下の通りです。

代数    将軍名 没年(西暦)      享年  死因
三代    徳川家光 慶安四年(1651年) 48  脳卒中 
四代   徳川家綱 延宝八年(1680年) 40  急性心不全などの心臓疾患
五代   徳川綱吉 宝永六年(1709年) 64 成人麻疹・窒息死
六代  徳川家宣 正徳二年(1712年) 51 流行性感冒(インフルエンザ)
七代  徳川家継 正徳六年(1716年) 8 風邪・急性肺炎
八代  徳川吉宗 寛延四年(1751年) 68 中風(脳卒中)
九代  徳川家重 宝暦十一年(1761年) 50 尿毒症
十代  徳川家治 天明六年(1786年) 50 脚気
十一代 徳川家斉 天保十二年(1841年) 69 腹膜炎
十二代 徳川家慶 嘉永六年(1853年) 61 熱中症
十三代 徳川家定 安政五年(1858年) 35 コレラ・脚気
十四代 徳川家茂 慶応二年(1866年) 21 脚気・リウマチ
十五代 徳川家慶喜 大正二年(1913年) 77 急性肺炎
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将軍に癌死が多かったのは、百姓より感染症が少なかったからじゃないの?


仕事上、感染機会も少なかったし、栄養状態も良かったし、
役に立ったかは微妙としても医者にもかかれた。
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まずひとつには、当時はレントゲンや内視鏡もなくきちんと死因が判明してたかというのはわからない



庶民は流感や傷からなど、感染症なんかでもよく死にますしね
堆肥使った泥田にはいったりするから傷でもあれば感染するし
抗生物質がない時代、弱ってれば敗血症にもなる
風邪を引いて肺炎になれば死ぬ
今なら予防接種があるような病気でも死ぬ

時代劇である持病の癪が~てのは胸やみぞおちに走る激痛だから
そのなかには胃癌も含まれていたかと思う
あと外側からさわってわかる岩のように固いものがあれば「がん」と認識される

ただそれでも昔のほうが胃癌で死ぬことは多かったのでは

胃癌の原因のひとつに塩分が多いものをとる、というのがあります
昔は保存に塩を使ってました
途上国に冷蔵庫が普及すると、胃癌が減る、という話があります

それを踏まえると現代人よりは胃癌のリスクがあったと思います
ただ癌などになる前に亡くなる方も多かったのでは
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