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明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか
明治の女性の名前を見ると、セツとかトセとかコノとかチカとか、カタカタ二文字の名前が多いですが、
何か意味があってカタカナ二文字なのでしょうか。
明治時代に漢字の名前だった女性もいると思いますが、例えばどんな名前でしょうか。

A 回答 (3件)

江戸時代から続いた男尊女卑の影響と漢字の読み書きが出来なかった事情があったと思います。


江戸時代の武家は、篤子や雪子のように女の子に漢字を使ってましたが、民百姓(一般人)に苗字はなく、漢字の読み書きすら教育されてませんので、カタカナぐらいしか読み書き出来なかったのです。
男の子には〇左衛門や〇之助のような漢字を苦心して名付けたようですが、女の子の名に漢字は恐れ多いと思う一般人が多かったのだと考えられます。
キンさんギンさんのような名前は、おキンさんやおギンさんのような呼ばれ方をしてました。
しかし、江戸時代に武家に育った親は漢字の読み書きが出来たので、節子や竹子のような名前を付けてました。
医師でもあり文豪でも有名な森鴎外は、長女に茉莉(まり)次女は杏奴(あんぬ)と名付けてます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:17

明治時代は「男尊女卑」の傾向が顕著でありました。

それと並行して平安時代の国風文化により「カタカナ」が誕生しますが、これは主として女性が用いる文字として使用されています。その流れがずっと明治に至るまで続き、女性でも読める「カタカナ」の使用が多くなった、という説があります。都市部より農村部が多かった様です。実際、津田塾大学の創始者は『津田梅子』、幕末に人身御供の様な形で外国人の世話をさせられた女性の名は『福』と『吉』(唐人お吉で有名)、伊藤博文の妻は『梅』、坂本竜馬の妻は『竜』と漢字表記されています。ですから、カタカナ二文字の名前が多い様な印象がありますが、この様に身分がある程度高い女性、福や吉の様に特別扱いされた女性は「漢字表記」されているのです。またこの時代の傾向として女性の名前の前に「お」を付けて呼ぶ習慣がありました。出所は不明ですが、先に挙げた福と吉がいい例で、二人とも「お福」「お吉」で通っています。「ウメ」「ヨウ」「セツ」にしても始めに「お」を付けて「おウメ」「おヨウ」「おセツ」と呼ばれていた様です。多分、物と人の名前を区別する為に「お」を付けたと思われますが、定かではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:18

大体前の方の回答が的を得ているかなと思います。


私の父方は武家の流れを汲んでいるので、女性も漢字で名前がついています。
明治45年生まれ(本人は大正元年と主張する)のおばは「節」、明治20年生まれの祖母は「静」、江戸時代の生まれの曾祖母は「鹿乃」といいます。
母方は地方の大地主で、祖母の名前は「ハナ」、祖母の両親が「花」にしようか、「華」にしようかと相談しているうちに、祖母の祖父が役所に届けてしまったそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:18

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