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離島で生活経験のある方!
具体的な苦労を教えて下さい!

A 回答 (3件)

離島の規模にもよると思いますが、私は人口7千人、島の外周が43キロほどの


比較的小規模な南の島に住んでいます。

●台風の被害による停電時間が長い
 去年まる1日くらいか電気が止まって、まだ暖かい時期だったので冷凍庫の食材が殆ど溶けてしまい
 慌てて食べた(またはダメになった)記憶があります。

●物資の配送が天候に左右されやすい
 やはり台風などの時期に船が出なかったりする時は物資配送がストップするので、
 スーパーで牛乳や豆腐他の生もの食材が売り切れてしまい、なかなか並ばなかったりします。

●宅配便が遅い(天候関係なしに)
 通販で購入した品物がすぐに届かないのは思いのほか不便に感じます。
 
●物価が高い

●働きたいのに職場が無い(僻地全般に言えることですが)

●ガソリンスタンドが日曜日に開いていない
 GSは数店舗ありますが、なぜ当番店制にしないのかといつも思います。
 これ、慣れないうちは結構困ります。

●1人になりたくても、どこに行っても知り合いに会ってしまい、逃げ場がない。
 コストもかかるので気軽に島外にも出られないし。

今思いつくのはこれだけかな。
しかし不便さを楽しむのも、離島のひとつの楽しみ方かと。
それらの不便さを補って余りある長所もあるのだから。
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離島といえるかどうか・・・微妙ですが私が育った島は昭和40年代半ばまで電気が通ってませんでしたね。



だから灯りはランプが主、あのガラス管に付着した煤をキレイにするのは私達子どもの仕事でした。

水道も無く、手動くみ上げ式の井戸で五右衛門風呂に水を運ぶのも子どもの仕事。
(台風の後や時化の後には塩が混じって辛い)

ガスも無かったので薪を割るのも子どもの仕事。

こう考えると子どもの仕事が多かった気がしますが、TVも無かったので暇してたから丁度よかったカモ。

電話は本家(笑)に共同電話がありました。

この程度の苦労です。
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 我が実家の南隣は廃屋になっていました。

その隣は、かろうじて70代の夫婦が生きていました。北隣は、70代の女性が一人で住んでいましたが、本家は倒壊して残った釜屋で細々と生きていました。その隣も70代の男性が一人。肺がんを患っているとのこと。東隣は、60代の夫婦ですが、ちょうど帰った時に奥さんが脳溢血で倒れられてドクターヘリで島外の病院へ。その隣は、随分と前から廃屋になっていました。さて、そういうの真ん中では85歳になる我が両親が暮らしています。正に、島のは限界集落そのもの。
 これでもかっては34人が暮らしていました。今や、残っているのは7人に過ぎません。こういう島の現状ですから、仕事がねー、映画館もねー、病気したら島には医者もいねー!いるのは爺と婆ばかり!こういう中で暮らす苦労は、一体、いかばかりか?

「あんなところに帰ってどうするのよ!」
「そうは言っても帰らなければ!」

 只今、嫁さんと頭を抱えています。

「どうしょう!」
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この回答へのお礼

悲しい現実ですよね。住んでる人は何て寂しいだろうか。

お礼日時:2010/10/15 22:51

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