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医学部を目指しているのですが、入試の面接でエホバの証人の信者の方の
輸血拒否について問われた場合、なんと答えるのが最も理想的なのでしょうか??

私は「医療従事者の立場として患者の命を救うことを最優先すべきだと
思うので、反対されても輸血をして命を助けたいと思います」
と答えようと思っていたのですがこれはインフォームドコンセントができていない
から一番だめな回答だといわれて、途方にくれました。

教えてください

A 回答 (6件)

以前他者の質問に答えた回答を繰り返します。

   

   エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題について彼らの信仰を批判したとしても、信仰の自由が保障されている以上彼らの考えは変化し得ないでしょう。ですから、彼らに対する批判によっては現状は何も変わらず、誰をも救うことにはなりません。ですから、患者を救うという観点からすると、これは「下策」と言わなければなりません。また、現在、未成年の子供たちに対する輸血に関して親権を停止し医療を優先させるなどの方策が検討されていますが、これによってたとえ命が救われるとしても、患者やその家族の尊厳、価値観、信仰に悪影響が及ぶことはやむを得ず、これは「中策」と言わざるを得ません。では、「上策」があるのでしょうか。あります。すでに欧米では無輸血医療が発達しているとのことです。エホバの証人は現代医学を否定・拒否しているわけではなく、むしろ積極的に活用したいと願っているようですので、彼らでも受け入れられる無輸血医療が開発されたことにより、彼らの命と信仰・尊厳が両方とも同時に救うことができるようになりました。

   エホバの証人はいわば「輸血の(宗教的な)アレルギー患者」ということができるでしょう。彼らは日本だけでも20万人以上います。医学界は医学的な仕方でそのような患者たちのニーズに応えるべきではないでしょうか。そのような無輸血手術という近未来的な先進医療は輸血に伴うリスク回避にも貢献し、エホバの証人だけでなく一般の人々にも恩恵をもたらすものです。かのエホバの証人の子供さんが亡くなった「大ちゃん事件」からすでに27年も経ちました。その間、医学界は何をしていましたか。繰り返しますが、医学界は医学的な仕方でこの問題に応えるべきです。現状の医療技術で満足していては現代医学の進歩はありません。日本においても無輸血手術が基本的な医療技術の一つになるなら、エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題は完全に解決することでしょう。(以前の回答終わり)


   ですから、医療従事者としてさらなる医療技術の進歩に努め、無輸血による医療ができるようになれば何の衝突も起きないと思います。「(患者の)命かそれとも信仰か」という二者択一の究極の選択に対してバカ正直にどちらか一方を選ぶ必要はないと思いますよ。是非、医学従事者のお一人として患者の命も信仰もどちらも救うという選択をどうか実現できるよう尽力されることを願います。実際、それはすでに実用可能な段階にまで達しているはずですので。試験には直接役立たないかもしれませんが、今後の参考までにと思い私の考えをお伝えいたしました。
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まだ回答を締め切っておられないので回答いたします。



輸血拒否の意向を示す方は増えつつあります。
信条的な理由の方もいますが、輸血の安全性に対する
見方の変化が関係しているでしょう。
輸血に伴う医療ミスや感染などが深刻化しているからです。

それでインフォームド・コンセントや確立された自己決定権の
観点から、医師は自分の意思に基づいてではなく、患者の意思に
基づいて、治療方法を決定しなければなりません。
優先順位を決めるとするなら、患者の意思が最優先です。
もちろんこれは理性的な判断がなされている場合なので、
自殺願望のある人や精神的な疾患を患っていて
判断力に重大な欠陥があると言わざるを得ない人、
判断力が培われていない子どもが関係すると複雑になります。

医師としてのポリシーや信念は持つべきですが、
患者の意思を尊重した上で最善の治療を行なうべきであって、
たとえ命を救うためでも患者の意向に反することを強要するのは
間違っています。それは権利の乱用でしょう。

医師は患者の身体だけを診ていてはいけません。
精神科や心療内科が確立された医療であることからわかるように、
身体も心もケアしながら診るべきです。
もし身体のためだといって患者の意思に反することを強要したり、
無意識状態のときに患者の明白な意思に反することを行なうなら、
患者は身体の回復後にどう思うでしょうか。感謝するでしょうか。
愕然として心の病に陥るなら、医師はどのように責任を取るのでしょうか。

輸血拒否は今や尊重すべき患者の権利です。
ある同じ症状に対して、外科的手法がなされる場合がありますし、
投薬や他の外科的手法を伴わない治療法が取られることがあります。
担当医は患者の年齢やアレルギーやライフスタイルや信条を考慮に入れて
注意深く最善の治療法を選択し、患者に説明し、同意を得た上で
治療を進めます。輸血拒否の場合だけ、このプロセスを例外視する理由は
何もないでしょう。代替療法は確立されており、概して輸血よりも安価で
副作用が少なく経過も良好であることが実証されつつあります。

問題は輸血は安易な方法で広く一般化してきた経緯があるために、
設備や優れた技術が必要な代替療法へと治療の主体を変えている病院や
医師がまだまだ少ないことでしょう。

このような現実、つまり代替医療の飛躍的な進歩や輸血に伴う実害、
考え方や価値観の多様性を尊重すべきこと、患者の自己決定権の確立、
医師の治療はインフォームド・コンセントを経て柔軟になされるべきことを
考えると、医師は固定的な考えで治療をすべきではなく、
自分の経験や知識の範囲内の治療にこだわることもなく、
患者の意思を尊重しつつ、他の病院や医師と連携して最善の治療を見出し、
それを施せる医師が治療を担当するように柔軟に対応してゆくことが
できるでしょう。

決して医師の権威を絶対だと思わないでください。
自分の信念やポリシーや知識や技術を、患者の権利や意向を尊重しつ
つ発揮すべき立場にあることをわきまえてください。
身体と心を含む人の全体を扱うのが良い医師だと肝に銘じてください。

難しい医学の道に進まれる質問者さんにエールを送ります。
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正しい解答は「ない」が正解です。

現場では困っているところです。困った困ったでは話にならないので輸血学会が中心にガイドラインを策定しました。このガイドラインも現場の混乱を少しでも回避しようとしかたなしに作られたという色彩が強いと思います。普通ガイドラインは現時点での最良の医療を提供しようとするものです。たとえば蘇生のガイドラインなどがありますね。これらとは性格が異なります。

国会答弁的には「学会のガイドラインに沿って粛々と対処します」ですかね。
意識清明で精神状態が正常の方に十分な説明し、それでも輸血を拒否するならしないというのが正解です。

なお輸血を拒否する患者に無理やり輸血するというのはすでに確定した判例もありだめです。医療が合法的であるのには、医療を行うものが適切な資格を持つ、現代の水準にからみて妥当である、受ける側の同意が必要というのが基本的条件です。憲法には明記されていませんが人には自己決定権があって医療を拒否するのもひとつの人権です。

・・と机の上ではいえるのですが、じゃあエホバの証人とは無関係の自殺未遂の患者が大量出血で救急センターにかつぎ込まれて「このまま輸血せずに死なせてくれ」と言った場合は輸血しないかというと、これは輸血します。自殺未遂患者が医療拒否してもこれは無視して治療してよいのです。というかすべきですとなっています。自己決定権はどうなるんだとということなりますが、これにかんしては医事法制の本を見ると治療してよい理由がいろいろ記載してあります。このあたりは詭弁と紙一重の論理が展開されています。(自殺未遂直後や、自殺するよう精神状態は正常とはいいかねるので、このようなときの意思表示は法的に有効ではないから救命義務が優先するといったのがひとつの論理)

外科系の雑誌でも特集が組まれることのある難問であり簡単な答えは存在しないでしょう。

参考URL:http://www.jstmct.or.jp/jstmct/Document/Guidelin …
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私もかつて医学部受験のために面接対策をしましたが、何をこたえるかって迷いますよね。


でも、面接官が何を求めているのか考えれば、少なくとも「答え」ではありません。

エホバの証人の輸血問題はどういう意見があるか、くらいは知っている必要はあるでしょうけれど、
面接官としては「しっかり考えられる人なのか」を知りたいわけです。
つまり、多面的に考える能力。「医療者としての“理想“」はもちろん必要なのでしょうけれど、「輸血されたら死んだ方がマシ」と考える人にとっては輸血されて魂が汚れて命を長らえるより、今出血多量で死んだ方が良い、と考えるわけです。

私が面接官なら、質問者さんが輸血する、と答えたらインフォームドコンセントの件もそうですが、それよりは「上記のような考えの人もいるけど、それについてはどう思う?」とか聞いてみたいですね。
逆に、「拒否されたから輸血はしない」と答える受験生には「医療者として患者に説得する義務があるんだけど、どうする?」とか聞いてみたいです。

要は、その場で多面的に考えられるか、て事です。

今から対策するのであればとにかく複数の新聞を読んで「スタンダードな考え方」を知ること。で、それに対して「自分ならどう考えるか」を常に考えることです。
面接で答えを用意してくる人いますが、「確実に」面接官にはばれます。
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正直なところ、その面接の答えがよっぽど非人道的でない限り、不正解とはなりません。


まだ医学生にすらなっていない人に、それの正解を導き出せと言うのは酷です。
正解を探すのではなく、「自分は今こう思っているけど、実際に医学を学び、患者さんに触れていく中で自分なりの答えを探していきたい」とか、「その患者さんが置かれている状況や病状などによっても変わってくるので、幅広い知識と柔軟な姿勢を身につけられるように医学を真摯に学んでいきたい」などというふうに答えておくといいのではないかと思います。
医者の中でも意見が分かれることなので、正解というのは無いと思います。
途方にくれたとのことですが、それが今の答えなので、正直にそれを述べるのがいいと思います。
医師にとって良くないのは、自分の知識や考えを押し通して、それを患者さんに押し付けることです。
知識もない状態で自分の意見を押し付けることほど、危険なことはありません。
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「わかりました。

」でいいでしょう。
まあ、医療と言えども接客業なので
相手が「結構です」と言われたらそこまで止めるしかないです。
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