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NZ地震に関するあるアンケート質問で、ある回答者の方が「他人の不幸は蜜の味」で、日本人には特にその傾向が強い、と回答されていました。

あれ?
このことわざ自体、元々がドイツ発祥だった気がするし、世界中で訳されている有名なことわざですよね?
お隣韓国などではもっと露骨に「他人の家の火事見物しない君子はいない。」「他人の牛が逃げ走るのは見ものだ。」なんてことわざさえあるようでして。
いわば世界共通の感覚な気がします。

そこで皆さんに
「皆さんにとって他人の不幸って蜜の味ですか?」と質問させていただきます。

本当に日本人にその傾向は強いんだろうか??

私自身といえば、たとえば自分が大っきらいなやつとかがヒドイ目に会っていたりしたら「ざまあ見ろ。天罰じゃ」くらいは思うこともあるけど、テレビで他人の身に降りかかった不幸を喜ぶなんて感覚は全然ないのですが。
ましてや脚の切断とか、命に関わるようなことだったりしたら、たとえイヤな奴でもそこまでは思えないなあ

A 回答 (7件)

>皆さんにとって他人の不幸って蜜の味ですか?



んー、YESでもありNOでもあります。

>私自身といえば、(中略)たとえイヤな奴でもそこまでは思えないなあ

質問者様のこの感覚に共感できるかということであればYESです。私は他人の不幸を積極的に「喜ぶ」ような感受性はもちあわせていないし、おそらく他の大多数の方も同意見だと思います。

しかし「他人の不幸は蜜の味」とは、このような直接的なことを必ずしも意味しないのだと思います。

例えば「衝撃映像100連発!」などといったテレビ番組は頻回に放送されますし、頻回に放送されるということは、そこそこの視聴率を上げているのでしょう。見知らぬ他人が交通事故にあったり、スキー事故にあったり、とにかく災難の瞬間ばかりを特集しているような番組です。こういった番組を好む人たちは、それらの「不幸」を「喜ぶ」為に観ているわけではないでしょう。しかし、実際にやっていることはわざわざ人の災難を集めて観賞していることに他なりません。

こんな番組嫌い! 絶対に観ない! という人も中にはいるかもしれません。でも、例えば「○○家で一家4人が殺される事件がありました」というニュースと「○○家で四つ児の赤ちゃんが生まれました」という二つのニュースがあった時に、人がチャンネルをあわせるのは多くは前者でしょう。

こういった「怖いものみたさ」というのか「野次馬根性」というのか、あるいは「危機管理の為の本能」であるのかもしれませんが、理由はともかく、人には他人の「幸福」より「不幸」の情報により惹きつけられる心理があるとは思いますし、自分だけがそういった心理と無関係であるとはとても言えません。

>本当に日本人にその傾向は強いんだろうか??

これは、特に「日本人に強い」とは思いません。質問者様のおっしゃるように「世界共通の感覚」でしょう。
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この回答へのお礼

あ、なるほど。

積極的に他人の不幸を喜ばないまでも、どこか対岸の火事のように野次馬根性をもってしまうというのは、たしかに自分にもありました。

私は人間には善悪が同時に備わっていて当然だと思っているのですが、自分では気が付いていなかった側面を気付かせていただき本当にありがとうございました

お礼日時:2011/03/04 00:03

私も、その人によるかな。

犯罪者などは罰はあたりまえだと思うし、
私が羨望の目で見ている人にもその感情は正直わきます。嫉妬からくるものでしょうね。
でも生き死にに係わることだったらそうは思えないです。
気の毒だと思うし、嫌いだったとしても亡くなるということは、その時自分が抱いていた感情に対して後悔するでしょうね。
日本人だって人によると思いますよ。
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この回答へのお礼

犯罪者への正義感からの反発心。
羨望からの嫉妬心。
それでもあまりに悲惨な状況ならつい感じてしまう惻隠の情と自己嫌悪。

そう。人間って善悪色んな側面を持っているのが当然なんですよね。

とても人の心の機微を理解されている方だなと思えました。
ありがとうございました

お礼日時:2011/03/04 00:00

本当に日本人に強いのでしょうかね?



本当にそうだったら、犯罪加害者に対する厳罰化の傾向って増さない筈ですよね。

確かに他人の不幸を見た時、心の片隅に自分が当事者でなくて良かったと安堵する心は多くの方が持っているのではないかと思いますが、だからと言って「蜜の味」と舌なめずりするような人がどの位いるのでしょう。

質問者様が言われるとおり、自分の嫌いな相手に起こる一寸した不幸なら「ざまあ見ろ」と思いますが、大きな不幸であればやはり、「気の毒に」と思う気持ちも起こると思います。

自分より幸せな人に対する嫉妬心のような物を持つ人は、その幸せな人がトラブルに巻き込まれたら「他人の不幸は蜜の味」と言う感覚で興味津々となるでしょうが、その結果が最悪の事態になったとしたら、やはり「蜜の味」なんて嬉々としていられないと思います。
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この回答へのお礼

おっしゃってる内容にとても共感を覚えます。

一般的な日本人の感覚って、まさにそれくらいな感じが私にはするのです。

イヤな相手だと、多少の攻撃心も持ったりするけど、でもそれも限度があって、あまりに悲惨なことなら、ついつい「まあそこまでは・・・」と思ってしまう。

これが一般的市民感覚ではないかと思います。

自分の感覚に同意していただいたような気持ちで、とても嬉しいです

お礼日時:2011/03/03 23:56

No.1です。

お礼ありがとうございました。
わざわざ書くまでもないのかも知れませんが、一応ご質問があったようなので自分なりの考えを述べさせて頂こうとと思います。

ことわざなどは古くからあるものなので、たぶん探せばいろいろと似たようなものは出てくるのではないでしょうか。
結局、英語にも存在するかどうかよりも、今も使われているかだったり、どのような時に使われているのか、までわからないと、ただ英語にもあるからだけでは何とも言えないと思います。(あくまで私にはわからないと言っているだけです)

また、正直私は外国の諸事情には詳しくないので、あくまでも私は日本人として感じることを書いたまでで海外との比較ではありません。
(「日本の特色」と書いたのは、正確には「日本の悪しき特色」、あるいは「直す必要があるべきもの」との意味で特色という言葉を用いただけです)

また、所詮は主観でしかありませんし、多い・少ないと言っても実数でどうこう言えるほど明確なものでないことは、ここの一般人が答えている以上はしょうがないことです。

なにも日本にはたくさんいるのに、海外ではほとんど見受けられないだろうという極論を言っているのではないですから。

ですから、多いかどうかをさらに突き詰めても、それは質問者さん自身にも思うところがあるのでしょうから、意味があるとは思えません。
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この回答へのお礼

ご丁寧に再回答いただき、ありがとうございます。

貫禄のある猫さんの顔、可愛いです

お礼日時:2011/03/03 23:52

他人の不幸は、自分との関わりで度数が変わると思いますが。



つぶれた家が自分の家なら100%。(あれー、助けて)
親類知人の家なら90%。(すぐ助けに行く。かわいそうだけど、自分の家でなくてよかった)
知らない街なら70%。(大変だねえ、かわいそうだねえ)
川の脇に立てられた掘ったて小屋なら50%。(あれくらいなら、一回くらい流されても立て直すの簡単そう)
崖下にひっそりとした銀行強盗の隠れ小屋で札束を勘定してた所、屋根が外れて中身丸見えで逮捕された。(ザマあみろ)

足の切断や命に関わるのは、程度を越しています。イヤな奴が駐車違反切符を切られたり、財布をなくしたりした時です。イシシ、と出るのは。

自然災害はいずれ自分にも降り掛かるかもしれないとの含みがあるので、結構みんな自分の事のように取れると思います。全く思えない場合は、売り上げ10億以上の会社社長に増税とか。自分には関係ないので不幸を感じません。梨園でのバカ息子の放蕩も、親の気持ちが今イチ同情しきれません。気持ちがわかったら突き上げインタビュー即刻止めます。
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この回答へのお礼

たしかに相手と自分との関係によって、おおいに思いも違いが出るのは当然ですね。
まあ自然災害であろうとなんであろうと、当人は大変なんでしょうが。

回答ありがとうございました

お礼日時:2011/03/03 23:50

こんにちは。


私もその質問に回答させていただきました。

>「皆さんにとって他人の不幸って蜜の味ですか?」
時と場合によりますね。極端に言えば先日飲酒事故の質問をしたのですが、加害者には死刑を望む回答が多かったのです。
理不尽な行為や、残虐な行為などをしているヤ○ザなんかは、本当にあの世に早く行ってくれって思います。

また幼くして、子供を殺害された方の遺族がいたとしたら、当然同じ目に合わせてやりたいという感情はあると思います。
ただ、いつも思うのは「皆さんにとって他人の不幸って蜜の味ですか?」
こういう風に思うようにはなりたくない自分もいますし、一概に日本人がそういう傾向が強いとか思いたくもありません。
すべてその時の状況で気持ちが変わったりしているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

その交通事故のケースでいえば、交通事故の被害者側の不幸のほうに蜜の味に感じるものが「他人の不幸」ですよね?

もちろん加害者に過酷な刑罰が科されることで一種のカタルシスを味わうという側面も人間にはあると思います。

お礼日時:2011/03/03 14:22

日本人の場合は「誰かが得をすれば誰かが損をする」(または逆)の考えが強いため、その傾向は強いような気がします。


今回のNZ地震でそんなことを言うのは「稚拙」以外の何者でもないとして、かなりの数で存在していると思います。

またこのように「他人の不幸は蜜の味と言われているから(つまり、みんなが言っていること)」と他人事のように言えば、自分の意見でさえ責任回避できてしまうのも日本の特色です。

そもそも経済成長とは、みんなが裕福になりお金が回るようになるからこそ、実現できるものなのですが、そんな考えを持てる心に余裕のある人はそんなにいません。
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この回答へのお礼

すいません、私は浅学な若輩なので分からないのですが、「誰かが得をすれば誰かが損をする」という考えは日本で強い傾向のものなのですか?
英語にも、It's an ill wind that blows nobody any good. なんてことわざがあるようですが。

他人事のように言えば、自分の意見でさえ責任回避できてしまうとかも日本だけの独特なものなのですしょうか?
外国の心理学とかでも自己責任回避として当然挙げられるようなものの気がするんですが。

回答者さまは、やはり日本では他人の不幸は・・・の傾向は強いと言うご意見ですね。了解しました。
ご回答いただきありがとうございました

お礼日時:2011/03/03 14:18

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