電子書籍の厳選無料作品が豊富!

回答おねがいします。

質問1 

不動明王、観世音菩薩、弥勒菩薩、七福神 といった偶像(?)は、いつ頃に作られたのでしょうか。お釈迦さまは、こういう超常現象的なものを信じてる感じがしないのですが(輪廻転生を除いて)


質問2 

これらの偶像(?)は、大乗仏教だけのものでしょうか。上座部仏教でも同様に存在していますか。

A 回答 (4件)

1、毒矢経に神の話をしないのが仏教であると釈尊は説いていますが、今全ての仏教宗派は全部神を拝んだり、祀ったりしているという無茶苦茶な状態です。



2,すべての仏教宗派が全滅で、日本以外の国でも地元の神やインドのシヴァ神などを祀っているのです。写真でも分かるでしょうが、ある上座仏教のアジアの寺院のものでたくさんの神や菩薩などが写っているでしょう。

何ども言いますが、この寺院だけでなくすべての寺院が神を祀っているのです。法話で神を否定しながら。

このような中で神を議論せず、輪廻と完全完璧=仏と同化することを望むのが真の仏法者です。仏と同化する法が仏法で、神を礼賛する仏教とは一線を画して生きると成仏できます。
「仏教に詳しいかた」の回答画像2
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>今全ての仏教宗派は全部神を拝んだり、祀ったりしているという無茶苦茶な状態です。

たしかに無茶苦茶ですし、残念なことです。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/22 02:32

;上座部仏教系 → 釈尊はそんなこと教えていない、邪教だ



釈尊はさとりに至る道だけを説いたと言われている
上座部は釈尊の言葉から逸脱することなく、さとりに至る道を踏襲してるということに存在意義があるとして
同じ事を聞いていた弟子達であっても、それぞれ違った状態であるように
そうしていれば、みんなさとりに至れるということでもないということ
上座部は、さとりに至る道を内包しているかという事が基準になっているのではなく、ただ釈尊が言ったことから逸脱していないかどうかということだけが他仏教を判断する基準になっているに過ぎないとも言えなくはない

大乗仏教系  → 何を言ってるんだ、釈尊は菩薩を説いていた

菩薩というのは、さとりに至ったもの、もしくはさとりに至るための修行をしているものという意味ではなかったかな。。
だから、超常的なという意味を含んでいるのが本来的な意味というわけではないのではないか
釈尊は超常的なものをさとりに至る前の魔境として否定した
自らの中で意識を正しく統率し
さとりに至った後
例えばその後の命題として、世の中に様々な問題が顕在化していることから
世の中を住みよくさせるためにはどうしたらいいかといったことに取り組んだとして
例えば、ユークリッド幾何において点から始まり、線、面と展開していくことで、より複雑そうに見える問題も解法させていけるようになるように
今ある社会を受け入れ、思考の連続性を保ちながら、より上位に来る命題を一つひとつ堅持していくことで
様々に抱える問題を総合的に解決させうる可能性のある具体的な姿とそこに至る具体的な道筋を自らのイデア界に結像する時
時の為政者と対峙する大慾に至るということになる
ということかな

それそれの取り組んだことに従って大慾に至る時
それぞれの特徴性を持ってそれぞれの名前がついているってことなだけ
 とか
さとりは通過点に過ぎないのであるから

    • good
    • 0
この回答へのお礼

>菩薩というのは、さとりに至ったもの、もしくはさとりに至るための修行をしているものという意味ではなかったかな。。

仰るとおりです。ただ現在の日本においては菩薩といえば、観世音菩薩にしても弥勒菩薩にしても人間以上の存在、神のような存在なので、大乗仏教の人はそういう神や超常現象の存在をお釈迦様が語ったといっているのでしょうか、という意味です。

>釈尊は超常的なものをさとりに至る前の魔境として否定した

そうなんですか。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/24 08:11

以下、頼富本宏師のマンダラの講義文の抜粋です。


ご参考になさってください。

 紀元前五、四世紀頃からゴータマ・ブッダによって興起した仏教は、硬直化した祭祀至上主義を唱えるバラモン教に対するアンチテーゼの意味もあって、個々人の魂の救済を第一義とし、護摩や真言など従来のバラモン教の要素を極力無視してきた。
けれども、現実の僧院生活における蛇の害の予防などの現実の必要性がある場合には、呪術的なマントラの威力を信じて唱えることを黙認していたようである。
 紀元前後の頃から生じてきた大乗仏教は、インド以外の要素も含めて複数の要素を並行して持つ総合的な宗教であった。
その中にあって、仏教の真理を聞法してそれを保持することが重視されたが、そこに古来の言葉に対する神聖観がオーヴァラップし、陀羅尼という新たな信仰が表面に登場してくることになったのである。

・・・・・・・・・

 ところが、大乗仏教の後期になると、従来のインド正統の宗教であるバラモン教が、ヴィシュヌ神やシヴァ神などの有力神の信仰や民間儀礼の要素を吸収した新たな民族宗教として再び文化の表面に現れてくることになったのである。
これをヒンドゥー教と総称している。
 こうした聖なる神々を重視する傾向の中で、仏教も新しい要素を積極的に受容せざるを得なかった。
一例として、四世紀の頃に成立したとされる「金光明経」では、弁才天、功徳天(吉祥天)など新興ヒンドゥー教の女神たちをも仏教のほとけとして取り入れているのである。
 変化は新しい尊格の受容にとどまらず、ヴェーダ以来の護摩や真言(最初期は神呪という)を仏教の中に取り込み、むしろ聖なる存在に供養や聖語をささげて、積極的に働きかけ、病気の平癒や寿命の増長など様々な願望を祈願する呪術的要素の強い仏教の一形態が現れてきたのが、四~五世紀の頃と思われる。
このような、いまだ必ずしも体系的でない密教を「初期密教」、もしくは日本では「雑密」と呼んでいる。

・・・・・・・・・・

 広義の密教のほとけたちには、大別して以下のような性格の異なるグループがある。
1 大乗仏教のほとけたちをそのまま継承したもの ・・・薬師如来など
2 大乗仏教のほとけに新しい密教的意味を与えたもの ・・・阿弥陀如来、観音、文殊、虚空蔵など
3 ヒンドゥー教の神格の要素を導入したもの  ・・・大黒天、弁才天、吉祥天、聖天など
4 密教独自の性格の強いもの ・・・大日如来、不動明王、降三世明王、孔雀明王など

 「明王」と呼ばれる一群の尊格たちは、ほとけの怒りを積極的に活かすという密教的発想と役割において成立したものであって、それ以前の仏教ではまだ確立していない。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

密教の特徴点を列挙すると、次のようである。
1 総合性
2 宇宙性
3 芸術性
4 体験性

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

以上の講義文から推測されることは、密教の成立に伴って多くの、諸仏、諸菩薩、諸天神が取り入れられたという事です。
上座部仏教では、あくまで釈迦をはじめとする、菩薩や過去仏などの限られた範囲にとどまっているものと思われます。

>お釈迦さまは、こういう超常現象的なものを信じてる感じがしないのですが
お釈迦さまは、人間だけではなく神々にも教えを説いたとされています。
空海の般若心経秘鍵には、釈迦が菩薩や天人に密教的説法をされたという事すら書かれています。
その真偽はともかくとしても、釈迦の教えにしても元々は、人間以外の存在をも対象とした宇宙的な広がりをもった教えであったのかもしれません。

お釈迦さまが体験なさったという瞑想の世界には、沢山の神々の世界が含まれているとされています。
それらは、私達が推し量ることができないものですが
お釈迦様が、人間の世界だけではなく、神々の世界にも尊い足跡を残されたとしても何ら不自然な事ではなかったと思われます。
以上ご参考になさってください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ところが、大乗仏教の後期になると、従来のインド正統の宗教であるバラモン教が、ヴィシュヌ神やシ>ヴァ神などの有力神の信仰や民間儀礼の要素を吸収した新たな民族宗教として再び文化の表面に現れくることになったのである。
>これをヒンドゥー教と総称している。
>こうした聖なる神々を重視する傾向の中で、仏教も新しい要素を積極的に受容せざるを得なかった。
>一例として、四世紀の頃に成立したとされる「金光明経」では、弁才天、功徳天(吉祥天)など新興ヒンドゥー教の女神たちをも仏教のほとけとして取り入れているのである。
>変化は新しい尊格の受容にとどまらず、ヴェーダ以来の護摩や真言(最初期は神呪という)を仏教の中に取り込み、むしろ聖なる存在に供養や聖語をささげて、積極的に働きかけ、病気の平癒や寿命の増長など様々な願望を祈願する呪術的要素の強い仏教の一形態が現れてきたのが、四~五世紀の頃と思われる。


なるほど。
自分的にはこの頼富本宏師さんの解説が納得できます。

自分は超常現象の類はすべてペテンにしか思えないので、輪廻転生思想も
お釈迦様が衆生の精神的な苦しみを無くすためにバラモン教の輪廻思想を「方便」として使ったとおもってます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/22 03:01

不動明王は密教でしょう。

シヴァ神と闘ったりしたらしいですが、大乗仏教末期のもので、ヒンドゥー教と
ぐちゃぐちゃになっています。
菩薩は大乗仏教に特有のもので、あえて涅槃にいたらず衆生を救うために現世にとどまる方々です。
菩薩への帰依は大乗仏教の基本的思想ですが、宗派ごとに帰依する菩薩は異なります。
七福神はヒンドゥー教と中国の道教と日本古来の宗教のごった煮ですから、仏教とはいえません。
上座部仏教は全部邪教扱いにしていると思います。一方、大乗系は自分たちこそ釈尊の真意を伝え
ていると考えていると思います。釈尊滅後数百年の間、その教えは文章に記録されませんでしたので
真相は解りません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

釈尊が死んでから数百年、文章に教えが明記されてないために

上座部仏教系 → 釈尊はそんなこと教えていない、邪教だ
大乗仏教系  → 何を言ってるんだ、釈尊は菩薩を説いていた

ということでしょうか。
個人的にはお釈迦様が偶像を教えていたとは思えません。
なので釈尊の死後、大乗仏教系の人が創作した気がします。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/20 22:12

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す