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終わりましたね。
民主党も、野田?しらない。
何をした人?
総辞職して、これで自民党の復活間違いない。
また、派閥政治か?

A 回答 (7件)

総辞職も、解散もしませんよ。

無職になったら困るので、任期いっぱいまでは、どじょうは、粘るらしいです。
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 小沢派を重用すると吉。

 自公と組むと凶。 谷垣はメッセージを送り、対決すると言う。 消費税増税を封印すれば或いは…… 
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早大卒業後、松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に入塾(第1期生)。

1985年に松下政経塾を卒塾し、その後は家庭教師や都市ガスの点検員、私設教育相談所長、青年政治機構副幹事長等、様々な職業を経験する。

1987年、千葉県議会議員選挙に立候補。なお、新聞社の選挙予想では泡沫候補の扱いを受けていたが、当時最年少の29歳で初当選を果たした。千葉県議は2期務める。

1992年、松下政経塾の評議員の1人だった元熊本県知事の細川護煕の下で日本新党の結党に参加。翌1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧千葉県第1区から出馬し、当選を果たした。この総選挙では日本新党ほか新生党、新党さきがけが党勢を拡大して自由民主党を過半数割れに追い込み、8党派の細川連立政権が誕生する。日本新党所属の野田も細川内閣を支えるが、国民福祉税構想の頓挫や佐川急便からの1億円借り入れ疑惑で窮地に陥った細川首相は1994年4月に突如辞意を表明し、8ヶ月で退陣。続く羽田内閣も日本社会党の連立離脱により少数与党に転落し、非自民連立政権はわずか10ヶ月で幕を下ろした。同年末、新進党結党に参加する。

落選後新進党を離党し、民主党に入党。

2000年の第42回衆議院議員総選挙では民主党公認で千葉4区から出馬し当選。4年ぶりに国政復帰を果たした。同年、民主党総務局長に就任。翌2001年、民主党次の内閣でネクスト行政改革・規制改革担当大臣に就任する。

2002年の民主党代表選挙に際しては、菅直人・鳩山由紀夫の二枚看板)に危機感を覚える前原誠司、松沢成文、河村たかしら中堅・若手議員で「第二期民主党をつくる有志の会」を結成。9月の代表選に前原、野田のどちらを擁立するかで調整が難航したが、中堅・若手議員を代表する形で野田の出馬に落ち着いた。鳩山代表の3選は阻止できず落選したが、選挙戦を通じて党内での知名度を高めた。その後、鳩山代表から政策調査会長就任を要請されるが、鳩山を支持するために代表選出馬を取り止めた中野寛成の幹事長就任を「論功行賞」と批判し、就任を固辞した。鳩山はこの人事でのつまずきをきっかけに、わずか3ヶ月で民主党代表を辞任した。

2005年の第44回衆議院議員総選挙では千葉4区で自民党の藤田幹雄の猛追を受けるが、944票差で藤田を破り、4期目の当選を果たす。なおこの選挙で、千葉県内の小選挙区で当選を果たした民主党議員は野田ただ1人であった。
2005年、総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した岡田克也代表の後任に前原誠司を選出し、野田は前原執行部で再度国会対策委員長に就任する。しかし2006年2月、永田寿康が引き起こした堀江メール問題では、当初このメールの信憑性を疑わず永田を擁護する対応を取ったため、国対委員長を引責辞任した(追って前原も民主党代表を辞任国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、防衛目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非侵略での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針を示した。更に、「宇宙庁」の設置を主張している。

2008年8月、「本当の二大政党なら政策論争をしないと意味がない」と主張し、民主党代表選への出馬を表明したが、幹部の松本剛明に強く自制を求められるなど自らのグループを纏め切れず、更にいわゆるメール問題の張本人の一人である野田の立候補には全党的に反発が強く、推薦人(20人)確保の目処が立たず、出馬を断念した。これにより、小沢一郎代表体制の継続が事実上決まった。これについて2008年9月7日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で立候補を断念した経緯を語った。

出馬断念の代償は大きく、民主党の次代を担う七奉行と呼ばれた野田は大きな打撃を受ける。結束力を誇った野田グループは出馬断念派と積極派に分裂して解散論も飛び出すほど脆弱な組織となり、馬渕澄夫の退会に至った。2009年5月の小沢代表辞任に伴う後継選挙では岡田克也を支援したが、岡田は鳩山由紀夫に敗北。ただ、岡田が鳩山代表の下で幹事長に就任すると、幹事長代理として執行部入りし、復権を果たした。
同年9月の鳩山由紀夫内閣の成立に伴い防衛大臣就任が取り沙汰されたが、近著で集団的自衛権の行使を主張していることから、党内や連立政権での意見対立を刺激することが懸念されたため野田の防衛相就任は見送られたものの、その手腕を高く評価していた藤井裕久財務相の意向により、財務副大臣に就任。2010年1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると、後任候補の1人として名前が上がり、藤井も野田を後任に推薦する意向だったが、菅直人副総理が国家戦略担当大臣から横滑りする形で副総理兼財務相に就任し、野田の財務相昇格案は見送られた。

2011年4月15日、アメリカ合衆国財務省にて財務長官ティモシー・フランツ・ガイトナーとともに2010年6月、鳩山が代表・首相辞任を表明し、6月8日に鳩山内閣は総辞職した。後継代表・首相には菅副総理兼財務相が就任し、菅内閣の財務相には野田が副大臣から昇格する形で就任することとなった。初入閣での財務相就任は初めての例であり、戦後の大蔵大臣時代を含めても比較的異例である。

同年8月20日、為替動向について記者会見で「重大な関心をもって注意深くみていく」と述べる一方、為替介入についてはコメントを避けた。9月8日、円高について衆院財務金融委員会での答弁で「明らかに一方的に偏っている」とし、「必要なときには為替介入をふくむ断固たる措置をとる」「産業の空洞化にもつながりかねないということで、強い懸念をもっている」と述べた。9月15日、政府・日本銀行が「円売りドル買い」の為替介入に踏み切ったことを発表。この介入により1ドル=82円台から1ドル=85円台に急落した[9]。10月8日、1ドル=81円台に上昇したことを受け「より一層重大な関心を持ってマーケットの動向を注視し、必要なときには介入を含めて断固たる措置をとるという姿勢に変わりはない」と述べた[10]。また同日ワシントンで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では為替介入について「批判的な意見は出なかった」と説明した。

菅首相が将来的な退陣を表明して以降、たびたび「ポスト菅」に名前が挙がり、本人も民主党代表選挙への出馬にかねてから意欲を示していた。しかし、代表選での支持を期待していた凌雲会は前原誠司を擁立し、ポスト菅の一番手の呼び声が高かった野田は一転、窮地に立たされる。その後「反小沢」系候補の一本化も模索されるが不調に終わり、代表選には史上最多となる野田・前原・海江田万里経済産業大臣・鹿野道彦農林水産大臣・馬淵澄夫の5人が立候補する。

第1回目の投票では102票を獲得し、74票の獲得に止まった前原を上回るも、首位は143票を獲得した海江田に奪われ、野田は2位となる。しかし位・2位いずれも過半数の得票を獲得するに至らなかったため、決選投票では215票を獲得して177票を獲得した海江田を逆転し、第9代民主党代表に選出された。

1980年:早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。松下政経塾に入塾(第1期生)。
1987年:千葉県議会議員に無所属で立候補。当選。
1992年:千葉県議会議員に無所属で立候補。再選。
1993年:第40回衆議院議員選挙に日本新党公認で出馬。初当選(1期目)。
1996年:第41回衆議院議員選挙に新進党公認で出馬。105票差で落選。
2000年:第42回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬。当選(2期目)。
2002年:民主党代表選挙に若手議員の統一候補として出馬。落選。
2002年:民主党の党国会対策委員長に就任。
2003年:第43回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬。当選(3期目)。
2005年:第44回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬。当選(4期目)。
2005年:党国会対策委員長に2度目の就任
2006年:党国会対策委員長を引責辞任
2007年:党広報委員長に就任。
2009年:第45回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬。当選(5期目)。
2009年:鳩山由紀夫内閣で財務副大臣に就任。
2010年:菅直人内閣で財務大臣に昇格就任。初入閣。
2011年:民主党代表に就任。
2011年:第95代内閣総理大臣に就任。
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初めまして、


財務省のいいなりの人です。
増税絶対すると思います。
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私も前原さんの方が良いかなと思っていましたが、演説は上手いし、中々骨のある人の見たいですよ。

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 私もよく分からん。

マスコミもあまり取り上げないから。 経歴は新聞とかに出ているから分かるけどね。

 で、何を言い出すのだろうか。


 しかし、自民党が復活してもなぁ。一旦離党したひとやら、他の党から集まるような政党になるだろうから、民主党となんらかわらないわ。志の低い人ばっかり集まってもねぇ。
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え?いつの間にそんなことが

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