激凹みから立ち直る方法

【社会】 「震災から半年…銃器携行したパレードは必要ない!」 自衛隊パレードに対し、市民団体約150人が叫ぶ…長崎・佐世保

★陸自相浦駐屯地:小銃を携行しパレード--佐世保 /長崎

・佐世保市の中心部アーケードで10日、陸上自衛隊西部方面普通科連隊など
 約200人による市中パレードがあった。陸自相浦駐屯地(同市大潟町)の
 創立記念行事の一環。

 駐屯地によると、自衛隊の真の姿を市民に見てもらうことで、隊員の使命の自
 覚と士気高揚などが目的。東日本大震災での派遣に伴う市民からの感謝をうたう
 横断幕を先頭に、音楽隊や小銃を携行した隊員らが続いた。

 行進前、近くの島瀬公園で、佐世保地区労や佐世保原水協など市民団体約150人が
 武装パレードに反対して集会を開いた。震災での自衛隊の活動に感謝、敬意を示した
 上で「震災から半年を前に、銃器を携行したパレードをする必要はない」として
 シュプレヒコールを上げた。

 11日には駐屯地で記念式典がある。

 http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20110911dd …

はぁ!?その銃でお前ら国民は守られてるのになに言ってるんだこいつらって思わない?
こういうことほざいてるやつらはもし敵に攻撃されても自衛隊の武器で守ってもらわなくていいよね?
皆はどう思うかな?

A 回答 (11件中1~10件)

市民団体の中身は極左過激派です。

昔、山中で軍事訓練していた連合赤軍と同じです。日本共産党は戦前、共産革命を夢見て武装闘争を目指していました。ところが戦後の六全協で日本共産党は武装闘争路線を放棄して議会主義に転換しました。それに不満を持った青年が日本共産党から離脱して、共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟を結成した。ところが路線対立で組織は四分五裂に陥った。その成れの果てが市民団体なのです。彼らは自分たちが自衛隊の手足を縛れば、その隙に人民解放軍が上陸してくれるだろうと信じているのです。それが彼らなりの闘争なのです。たわけた幻想というしかないが、それでも彼らは自分自身で武装闘争をするよりは現実性があると信じているのです。共産革命を夢見る彼らにとっては自衛隊は敵です。しかし正面から武力で打倒できるとは彼らも考えていない。だから自衛隊の手足を縛ろうとする。他力本願です。共産主義は宗教と同じです。仏教宗派は数え切れないぐらい多くの宗派があります。仏教宗派はなにほどの違いもないのだけど重視する経典が異なったり、活動方針が違ったり、方法論が違ったりします。極左過激派は仏教宗派と似ています。共産革命を夢見ることでは共通しているが、重視する経典が異なったり、活動方針が違ったり、方法論が違ったりします。極左過激派の数多くの宗派の中には市民団体を偽装し自衛隊の手足を縛るという方法論の一派がいるというだけの話なのです。
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市街地で小銃を携行してパレードしなくてもいいでしょう。


武器を捨てろと言っているわけじゃない。
あなたの態度や言葉使いのほうがよっぽど不愉快です。
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日本人に多い平和ボケでしょうね。


「国防」についてまずしっかり学ぶ必要があります。
国を守るとは、どういうことなのか・・・ね!

そういう何様で勘違いをした人々たちは、頭をかちわってやる必要があります。

自衛隊がいくら頑張って民を守ろうとしても、そういう批判されては悲しいですね。
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まあ、どんな内容であれ意見を言うのは自由ですよ。


暴力装置に対する印象というものは難しい一面があります。

国家の安全や安寧はある意味で社会を構成するすべての人間が支えるものであり、軍隊というのはあくまで緊急避難的な手段でしかありません。

その緊急避難的手段は国家と国民に多大な出血や支出を強いますので、本来は忌むべき手段と考えるべきです。
特に、シビリアンコントロールの我が国ではそういった認識を国民が持ち続ける必要があります。

そういった意味で、こういった軍事的なパレードに対して良い印象を持たない市民が多いというのはある意味で正常であり、市民からやめてくれ、という声が出るのはある意味健全なことだと思いますよ。

(そうはいっても戦時になれば逆にそういった発言をする人間を粛正することが必要になったりしますので、こういった問題は一概に言えない、というのが多くの人の見解だとは思いますが…)


以下、質問回答ではありませんが…
よくこういった自衛隊の活動に対して反対意見を有する人に「有事になったら自衛隊に守ってもらうくせに」と罵声を浴びせる人がいますが、そりゃ無茶苦茶な話です。

我が国はシビリアンコントロールの国ですので、安全保障に関するあらゆる行動の最終的な責任は国民一人一人にあり、その責任は財産の喪失や身命の損失という形で国民自身が購わなければなりません。

行動と責任に自由意思がないというのは奴隷も同然ですので、我々は少なくともこれらの問題にたいして自由な意見を持ち、それを表現することが保障されていなければなりません。

繰り返しますが我が国はシビリアンコントロールですので、国民のあいまいな認識や決定が重大な結果を引き起こす可能性があります。
より良い結果をもたらすために、また、最悪の結果であってもそれを受け入れるために、国民の中での自由な発言と議論というものは必要だと思いますよ。
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>佐世保地区労や佐世保原水協など市民団体約150人が武装パレードに反対して集会を開いた。



有事の際は、私たちが人の楯になるから武器なんか要らないよなぁ、、、
とでも言っているでしょうか?

反日グループや社会的な不良人間は排除したいものですね。
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早い話が、いくら軍隊の必要性がわかっても、金正日に付き従っては、戦いたくない、ということでしょう。



政治不信がある以上、武器もって戦うという気も失せるということで。大震災が起きても、自らの歳費を半年だけしか減額しないような、自民党や民主党の下で、命をかけられますか?ってことですね。

命が、いくつあっても足りないです。
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暴対法と言う法律があります。

私は決して暴力団の存在を良とする人間ではありませんが、未だにこの法案が日本国憲法の精神に沿っているのかどうかと言う疑問を感じています。

要は、この法案は初めに指定暴力団のレッテルを貼り、その指定暴力団の構成員又は準構成員と接した第3者が暴力団員から何らの威圧を受けたと感じただけでその暴力団員が罪になると言う極めて異例な法案です。勿論、こうでもしないと当時世間を賑やかせた民事介入暴力等を取り締まれ無かったと言う事情も理解していますし、又ある意味法案成立も仕方の無い処置である事も理解しています。只当時から、日本国憲法第21条に規定する「結社の自由」に抵触するのではないかとの意見もあり、私も未だにそう感じています。

で、毎度お馴染みのバカ左翼の件なのですが、要は彼らは守ってなどいらないと言っている訳ですよね。
日本が丸腰の状態で、武装した相手が攻めてくればどうなるか分りそうなものなのに、それでも武器は要らないと言うのであれば結局は守ってなどいらないと言う事にしかなりません。

ならば1度守られない怖さを味わってもらえばどうでしょう。暴対法ならぬ左対法を作るのです。暴力団に対してレッテル張りが出来るのあれば、極左団体に対してもそれは可能な筈です。そして極左団体の構成員及び準構成員に対しては、どのような被害を被ろうとも警察は一切関与しないとする訳です。

当然、警察が関与しない=罪にならないとなれば泥棒は入り放題、暴力は振るわれ放題となります。しかしバカ左翼の目を覚ますにはこれくらいやらないと恐らく無理なんじゃないかなと思うのですが、どんなもんでしょうか。
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日本の領土なのに他国に占有されている地域があるのを知らないのでしょうかね


自衛隊などは日常的になかった実戦射撃練習を近年は頻繁にしていますよ
いつでも迎撃できる態勢にしておかないと侵略されてしまいます

他国の奴隷になりたい人がいるのかな どこかの地域で戦争をしている現実
日本ではないといえる人は誰もいないと思いますよ。
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自衛隊に武器を持たせないなんて事で喜ぶのは近隣軍事諸国だけで日本人の多くは望んでいません。

一部の平和ボケ帆船論者の扇動には誰も乗りませんからbankil104さんご安心下さい。
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まあ、+100の意見に対して、-100の意見を出すことで、+-0の着地点でシャンシャンと手を打つということもあるでしょう。

政治というものは、駆け引きでもあります。

サイレントテロとは、不買や不労などが含まれるらしいです。無言の抵抗ということらしいです。(サイレントとテロという、相反する言葉を足した造語には疑問がありますが…。)

戦わない、武器を持たない、というのも、戦前の、特攻隊や学徒出陣、集団自決など、理不尽な多くの犠牲に対して、戦わないことで抵抗する、ガンジーの無抵抗運動のような、サイレントテロの一つといえるのかもしれません。

福島第一原発事故においても、何千万人もの国民の命や生活を脅かしていますが、政治家、官僚、財界ともに、明確な責任というのは取られていません。事故原因に対する追求も行われていません。戦前の特攻隊や学徒出陣、集団自決と、多くの若者、民間人を多大な犠牲として道連れにしようとした連中の終戦責任についても、明確な責任が追及されぬまま問われぬまま、政界や財界で大きな力を持ったまま、罰を逃れている連中もいます。

そういう「犯罪者」に従って、戦うことに違和感を覚える人間が、サイレントテロというささやかな抵抗をすることぐらいは当然かもしれません。原発事故の犯罪者や、終戦責任のある犯罪者を、炙り出さなければ、多くの理不尽に死んでいった亡霊たちが、多くの生きている人にサイレントテロへと仕向けるのを止めないかもしれません。
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