プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

長文になります。お許しください。

昨年の夏に愛する夫を、今年の春に愛犬を、共に急な病で亡くしました。
夫に関しては、義両親、義姉との確執もあり、死の直後から悲しみよりもその人たちへの憎しみが増す問題が多々起きて、「こんな奴らに惑わされずに、娘と二人、頑張って生きてやる!」という負けん気(?)みたいなもので奮起し、毎日必死に生活してきました。(この頃は、過去の義家族からの様々な仕打ちさえ、逆に生きる糧となったように思え、有難いとさえ思えた)それでもさすがに、今年になり、少し私自身の心が落ち着いたと思われる頃に、はじめて本当の意味で悲しみに身を任せる時間が訪れました。俗にいう「うつ状態」のような毎日のはじまり。ただ、それは病気とはとらえず、最愛の人を亡くした人なら、誰もが通る過程だと割り切ることにしました。

ところがそれも束の間、3月の大震災。せっかく「悲しんでいいんだ。しばらく心赴くままに生活しよう」と思っていた矢先の災害。テレビや報道から知る被災地の方々の姿に「こんなに大勢の人が突然の悲劇に見舞われながらも前を向いている。私なんか落ち込んではいられない」という気持ちになり、また
無理やり立ち上がってガムシャラに生活を回しはじめた自分がいます。それからまもなくしての愛犬の死・・・(こちらでも以前相談させていただきましたが、皆さまの温かいコメントもあり、また前を向いて生活していました。)
ところが、夫の1周忌を迎えた今夏あたりから・・・また心がおかしいのです。
周囲は「おかしくて当たり前。まだ1年だもの」と言ってくれますが、私の場合、(無理やりだとしても)元気な期間も長いので、ふっと力が抜け「どうしようもなく悲しくなり、落ち込む」期間に入ることがとても怖くて辛い。今までの人生、自分の感情やライフスタイルを全て自分でコントロールしていた感が強い分、この「心が宙にさまよう」ような状態に、どう対処してよいのか・・・

ちなみに、夫の死後、儀家族側の墓と仏壇に夫が入ったため、自宅には夫の位牌もなく、法要にも呼んでもらっておらず、私と娘と私側の親族で私たちなりの法要を(この先も)行っています。正確にいえば、夫側は無宗教に近く、(法律等も考慮したのか、お骨はかろうじてどちらかのお寺に納骨したものの、法要等もやることなく、手作りのような仏壇に手を合わせるような感じらしいです)とても変わった家庭で、旧家出身の私には理解できないことばかりでしたので、彼らと縁が切れたことは喜ばしい半面、夫が何の供養もされていないことに、今も憤りも感じています。だから、位牌もお骨もない現在の我が家ですが、私たちなりに娘と購入した仏壇にお線香等をあげて、毎日手を合わせています。
心さえいつも寄り添っていれば、の気持ちで・・・

何か普段、押さえつけている感情などが一気に噴き出ると、それが止まらない。
今後も定期的に訪れるであろうこの深い暗闇期から、どうやって抜けだせばいいのか、わからない。最初は義家族への負けん気、次は震災に対する負けん気。私は、何かに対して「負けん気」を持たなければ奮起できないのだろうか・・・だったら次の奮起材料は何?

取り留めのない文章で申し訳ありません。

A 回答 (10件)

こんばんは。




人間は生きていれば、元気なときもあれば悲しく落ち込むこともあります。

自然界は昼があるからこそ夜もあります。そして夜があるからこそ昼があるのです。

人は闇を恐れるあまり、必死になってその暗闇から逃れようと頑張っては見るのですが、夜の暗闇にはどうあっても巻き込まれてしまうものです。


愛した人との別離は悲しいものです。特にもう会うことが出来ない辛さは耐え難いものです。

がむしゃらに負けん気を出そうとしているその姿、実は貴女ご自身の不安を隠そうとしている姿に他ならないように思います。

たぶん常に何かをしていなければ落ち着かないという方ではないかと拝察いたします。


難しいことかも知れませんが、もっと長期に自分が無理なく出来ることを考えてみたほうがよろしいかと思います。短期的なものに負けん気を出していただけではダメなんです。それでは落ち着いてしまったら気が抜けてしまうのは、誰でもそうなります。

今はご自分がこれからどのように生きていくのかを、立ち止まって考えるときがやってきたものと思います。私がここでこのように書かなくても、たぶん貴女はご自分でわかっていらっしゃると思います。


供養のことですが、実家は実家の思うようにさせればよいことです。
その代わり貴女は貴女の思うようにご主人に心を向けてあげてほしいと思います。供養のやり方など人によって異なるものです。

貴女はご主人にとってこの世で一番愛された奥様です。その存在は揺らぐことはありませんし、これまで作ってきた家族関係を誇りに思うべきことです。当然ご主人もそう思われているでしょうし、だからこそ貴女とお子さんの思いが一番届くはずなんです。これまでどおりに供養を続け、縁を切った義実家のことはほうっておきましょう。もう悪く考えるのはやめましょう。何を言っても自分がつくった「家族」が一番になるものです。


三回忌が過ぎるとほとんどの人は自分の素直な気持ちがポツポツと現れてきます。

泣いてしまえば楽になることはわかってますけど、無理に泣けと言われていい大人がそう簡単には泣けません。

私は無理に泣けとはいいません。涙が出るときは自然に出てくるものです。そのときにそれを押さえつけなければいいだけのことです。

子供の前であってもいいではないですか。大好きな人がいなくなることの悲しさを伝えるのも親の役目だと思います。


長期計画で何かの目標を、漠然とでもいいですから考えてみてください。

そして1日1日を大切に生きて行ってください。

貴女様の心に本当の平安が訪れるようにお祈り申し上げます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
常に何かをしていないと落ち着かない・・・そのとおりです。
仕事以外にも、習い事をはじめたり、長く手をつけていなかった学業を再開したり、スケジュールを埋めることに一心になったこともありました。さすがに、身体が持ちませんでしたが(笑)。でも、どれも長期で携わりたいものなのか、と言えば一過性のマイブームに過ぎず、回答者様の言われてる「長期計画」は、とても心引かれるものがあります。

また、供養に関するアドバイスありがとうございました。
回答者様からいただいた言葉こそ、私が求めていた供養に関する見解でした。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/09/27 08:08

他の方も書かれていますが、父を亡くした娘の立場から書きます。


まずは、旦那様とワンワンの冥福を祈ります。

実家は商店で、父の死後、母はひたすら働きました。
父が欠けたので、1人残った母の仕事が増えるのは当然の事なのですが。
当時母は41歳ぐらい、私は13歳、ピアノを習いつつ家事をやっていました。

仕事中の父の写真がリビングにありました。ていうか、26年経った今もある。
この写真が好きだった。出っ歯な父だったが。私も前歯がデカいが。
父の死後5,6年経った頃、古いアルバムを見ていたら驚く程素敵な男性の写真があって
母に「これ誰?」と聞くと「おとうちゃんだよ」と。
「歯出てないじゃん」「結婚してから歯がせり出して来たんだよ」
ウソつけ! まあ、その写真では父は口を閉じていたんだけど…
で、次のページをめくると同じ写真がサイズ違いで貼ってあり。次も次のページも。
本人も良く撮れてると思ってたんだな。私の父はちょっと馬鹿かも知れん。

位牌より、写真の方が大事だよね。
自分のルーツをいつでも辿れる。
私は父に似て博打好きで、色白で(母は色黒)、身長は159cm
母の身長は142cm、父の身長は(母いわく)176cm、足して2で割ると159
自分に父の要素があるのが何だか嬉しかったりする。デカい前歯は正直いらないが。

あなたの娘さんはどんな女の子?旦那様に似てる部分はあるかな?
あるのなら、娘さんの中に旦那様がちゃんと生きているのでしょう。
さみしい事なんてない。娘さんもさみしくない。
二度と会えなくても、自分の中にちゃんと存在してるんだもの。

犬だって、あなた方と一緒に暮らしてて幸せだったんじゃないの?
ワンワンの心は、あなた方の中にちゃんと在るんじゃないの?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「娘さんもさみしくない」
という言葉、とても嬉しいです。励まされました。
娘は、パパと瓜二つです。どのパーツもパパです。
生前は「パパに似てる」と言われることが嫌だったみたいですが、今は
嬉しそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/28 22:35

私は最愛の妻を亡くして3年経過します。


そして、同じ境遇の方ともたくさんあってきました。

あなたのご質問を拝見し、とても真面目な方なんだなと思いました。

その真面目さが、あなたを逆に縛っているようにも思えます。
とても、歯をくいしばって、この1年生きてきたのでしょう。頭が下がります。
でも、それが、逆にあなたを追い込んでいる。

最愛の伴侶を亡くすこと、これは経験して初めて知る壮絶な痛みですよね。
その痛みに対して、あなたは怒りや負けん気で対処する時間が、この1年の大半ですね。
そうなると、傷の治療は、ほとんどなされていないと考えていてよいですよ。
体が重傷な時に運動しないのと同じく、心が重傷な時には絶対安静にもかかわらず、あなたは闘いすぎてしまいました。もちろん、状況がそうさせたので、あなたの責任ではありませんが。相手方の家族との確執が生じるのは、こういう不幸にあった人の大半が経験しています。私も相手の家族とは縁を切りました。生じた事態が大きすぎて、互いにエゴしか出てこないことが多いのですよね。だから、しょうがないと思って私は縁を切りました。

そして、前向きという実体のよくわからない言葉に縛られてもいますね。前向きというのは第三者が安心したいがために押し付けるような価値観くらいに思っていてください。震災でもニュース等では前向きの感動ストーリーがとりあげられていますが、まだ半年ですよ。どうして、夫、子供、家、仕事、これらを全部失ってしまったような人がいわゆる前向きになんて半年でなるほうが異常でしょう。実体は多くの人が闇に苦しんでいるのです。毎日泣いているのです。第三者が安心してテレビを見て泣いてすっきりするだけのことです。当事者はそんな涙とは無縁の厳しい涙を流しているでしょう。

今、あなたが、心を安静にして、寝て、食べて、泣いて、わめいて、自分を吐き出し、休むことが何より前向きな行動です。体が重傷な時に怪我の部位をトレーニングするのが前向きとはいえないのと同じです。

実際に、あなたが奮起をして、休む作業をやっていないために、うつ等の症状が出始めていますね。
哀しみを抑え込んだ人は、必ず体か心に支障をきたすといってもよいでしょう。死別後10年して発症する人も珍しくないですよ。

決して、前向きや奮起やポジティブ等では、この痛みには対処できません。今のままでは、あなたは逆に心の痛みから解放されず、複雑化してしまいます。

今は、休んで、1年だろうが、2年だろうが、ゆっくりと癒されたなと実感するまで、ゆっくりと休んで、あなたと娘さんが納得する供養の方法で供養をし、泣きたいときは泣くことです。
それが今のあなたに必要な真の前向きです。自分を甘やかしてください。
そうやっているうちにしか、変化が訪れません。

ネットや本等で、妻や夫や恋人を亡くした人達の話を調べてみてください。皆、苦しみ、前なんて向けないことがよくわかると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
同じ境遇の方からのメッセージ。心に響きます。
それこそ、ここまで私の今の状態を冷静に分析して下さる回答者様には頭が下がります。
前向きも奮起もポジティブも・・・それらでは、この痛みには対処できない。
頭の中では最初からわかっていたことかもしれない・・・、こうやって言われると改めてハッとします。回答を何度も何度も読み返しております。
とても考えさせられます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/27 23:14

おばさんです。

お礼をありがとうございました。


>私はまだまだ未熟で、あっけなく逝ってしまった夫に、怒りを感じることさえあります。

当たり前だと思います。  

思う存分、お仏壇の前で怒ってやりましょう!

男親の分まで頑張っているんだから!…と、怒ってやりましょう。

さみしいよ!どうにかしてくれ!!…と、怒ってやりましょう。

勝手に一人で逝ってしまって無責任だ!!…と、怒ってやりましょう。

愛しているんだから!!!!…と、真剣に怒ってやりましょう…。



>今は自分の感情のままに泣いたり叫んだりできる人がうらやましく、自分の弱さを痛感しています。

そうですね…うらやましいのなら、いつか…無理せずに泣き叫べたら良いですね…。

でも、それは貴女の心のタガが外れて、状況が許される時に初めて出来る事なのかもしれませんね…。

決して貴女が弱いという事ではありませんよ…。


>一方で何に対してもイマイチ楽しめない自分が嫌で、娘にも申し訳なく思います。

堅苦しく考えずに、楽しんでいる娘さんの笑顔を楽しみましょうよ。

たくさん笑っている娘さんの笑顔で貴女の心を温かくしてもらいましょう。


>ダメですね。書いていて、本当に情けない。早く本物の笑顔が作れますように!

そんなことないですよ。

貴女は貴女が出来る事以上に精一杯頑張り過ぎているんです。

無理な時には無理をしない。

娘さんに甘えたって良いじゃないですか、親子なんだから。

心に無理をしないで、娘さんの笑顔を見守ってあげてください。

娘さんの寝顔で癒されながら、疲れをとっていかれてくださいね。


娘さんと一緒に良い夢が見れますように…。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます。

無理な時には無理をしない。
そうですね。寝る前でさえ身体の力が抜けていない自分に気づきました。
そりゃ、良い夢も見れていないはず・・・
もう少し、肩の力を抜いて生きていきたいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/27 08:13

 こんにちは。


ご主人と、愛犬のご冥福をお祈りいたします。
 とても辛い時間をお過ごしだと思いますがお身体は大丈夫でしょうか。私の母は30代前半で未亡人になり、それから私と妹を育ててくれました。母は父ととても仲良しで愛し合っていたとか、馴れ初め話を何度も聞き、今では笑っています。母は父の事を悲しく思わないようになるには10年かかったと言っていました。辛い時には無理に気持ちを明るくしようと思わなくて良いのではないでしょうか。気が済むまで、落ち込んで見てはどうですか?辛いです。とても苦しいですが、あるときふっと、気持ちが前の方向を向いてあるいて行けるようになったそうです。気持ちが亡くなった時のまま、時間が止まってしまっているのだと思います。娘さんの成長する姿を見て、あれから何年経ったのだなーと思うことがこれから何度かあると思いますが、あの世からきっと見守っていてくれているんだねって思うと思います。ちょっと早く天国に行ってしまっただけ。姿形は見えなくてもいつでも心にいますし、見守っていてくれていますよ。なので安心してください。

 ちなみに私は今まで父の夢を2度見た事があります。1度は小5の時、2度目は浪人して、合格発表を待っているとき。小5の時は父親を娘の愛の漫画を読んだ時泣いてしまったのです。その父娘愛に。したら夢で初登場。2度目は「なんだ、大学行ってないのか」「うん今合格発表待ってて落ちたらどうしよー」「いやいや大丈夫」→合格してました
 起きた後も夢か現実か区別がつかないような夢でした。どうも毎日は見ていないようで時々様子を見守っているようです(笑)
 なので安心してください。今は辛いですが、心の中で生き続けていますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
素敵なお母様ですね。馴れ初め話や仲睦ましい思い出を娘たちに笑顔で話せるなんて、うらやましい・・・私は、まだまだうわべだけの笑顔で、せがまれた時だけ、手短に語るくらいです。娘自身もまだパパの話をするのはどこか辛いということもあるようで。
馴れ初めかぁ~なんか、涙が出てきました。
まだ主人の部屋もそのままの私。今夜は、あの部屋でワインでも飲みながらお話しようかな、と思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 20:36

30代既婚者男です。



まずは、ご主人と愛犬のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
愛するものを失う悲しみというのは、第三者には分からない
ものだとは思いますが、あなたが一日も早く今を生きられれば
と思い、お話しさせていただきますね。

あなたの今の悲しみ、苦しみ、虚無感というのは、これまで
ちゃんとご主人や愛犬との別れから卒業していないことが原因
だと思います。

震災で不幸にあわれた方達を思って、私の苦しみなんて小さい
ものだから頑張らなくてはというのは、少し違います。
自分より不幸だと思える人を見つけて、今を乗り越えようと
することは、ごく自然な行動ではありますが、
それでは、本当の意味で乗り越えることはできません。

ご主人を亡くした事を、とことん悲しんでその感情と向き合う
必要があるのです。
落ちる事を恐れないことです。誰だって最愛の人やペットを
失えば、悲しいし、絶望感が襲います。
それでいいのです。何日かかろうとも、毎日悲しみと共に
いればいいのです。

中途半端に悲しみを乗り越えるから、また後で苦しむのです
から。
悲しみに大きいとか小さいとか、なんてありません。
その人にとって大きな悲しみであるならば、他と比べる
必要はないんです。
あの人は、私なんかよりも悲しみや苦しみが大きいのだから、
私なんかが、いつまでも悲しんでいる場合では無いと思い
たいかもしれませんが、そうやってごまかさないで、とことん
味わうのです。

泣いて、泣いて、わめいて、叫んで、感情を全て爆発させる
事が大切なのです。
あなたの中にまだ癒されずに残ったままの悲しみを、あなた自身
で癒してあげるのです。
あなたの今の心の傷を癒せる方法は、外にはありません。
あなた自身の中にあるのです。

ごまかさないで、あなたの苦しみを見るのです。
どこかで乗り越えなくては、今回のようなことを何度も繰り返す
だけになってしまいます。
辛いでしょうけど、勇気を出して、向き合ってみてください。

あなたらしい、あなたの人生を生きてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「悲しみに大きいも小さいもない」というのは、本当におっしゃるとおりです。
そして何より「とことん悲しみ、落ちることを恐れている」というのも、その
とおりです。
自分を持ち崩すのが怖い。本当に憶病者だと思います。
自分に正直になる、というのは本当に勇気がいりますね。
このまま、だましだましでも、どうにか人生を終えれるのならそうしたいと思ってしまう・・・いいえ、私らしい人生も取り戻さなくては!ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 20:30

こんにちは。



ずいぶんとお辛い目に合われましたね。

力いっぱい引いた弓で射た矢は力いっぱい飛ぶのと同じ様に、今まで本当にがむしゃらに来られた様ですので、その反動もかなり強くなってしまうのでしょう。

少しずつ力を抜いていかれる様になさった方がいいのでは、と思います。

今までが、本当にがむしゃらだった様ですので、すぐに変える事は難しいでしょうから、本当にすこしずつでいいと思います。
悲しい時は、声を上げて泣いたっていいんです。
お嬢様がいらっしゃるんですよね?
たまには女2人でぱぁっといくのもいいでしょう。

沢山泣いて、沢山笑って、数十年経った時に「あの時、お母さんはねぇ・・・」と思い出話が出来る様にされてみてはいかがですか?
人は人、自分は自分です。
世の中全員が前向きに生きられる訳ではないのです。
自分の頑張れるペースを探し出し、ぼちぼちいきましょう。

偉そうな事を書き散らしてしまい、申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
9歳になる娘が、父親を亡くしたにもかかわらず明るくいてくれているのが救いです。休日などは二人で終日パアっと遊び回っています。
表向きはアクティブな親子だと思います。
悲しい時には思いっき泣くというのは、私のもっとも苦手とするところです。
恥ずかしながら、若い父母の長女に生まれ「私がしっかりしなくては」という性格でここまで来てしまった気がします。
「自分の頑張れるペースを探す」
そうですね。ポジティブでいなくてはいけないということにこだわり過ぎているのかもしれません。自分の器に合わせなくては・・・
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 12:32

おばさんです。




しっかりされた貴女の文章に今までの歯をくいしばって耐えてこられた苦しさ、悲しさが滲んで、胸を打たれます。

同じ立場にいないため、私が貴女にかける言葉が軽いものになってしまうかもしれません。

それを承知で、書き込みを失礼いたします。


私の父が無くなってからの母の話です。

母にとって父は恋愛結婚でもなく、<子供が宝>の母にとってはいつも後回しでしたが、父が亡くなった時には私たち姉弟は悲しみにくれるよりも、母が後追いをするのではないかとその落胆ぶりに心を痛め、見守り続けたものでした。

無宗教な母ですが、般若心経を唱える事で心が休まったのでしょう…朝晩の日課とし、迷い事、腹が立つ事、悲しい事、嬉しい事を毎日お仏壇の父と話し、月命日には必ずお墓参りをするという、今までとは考えられない位、父べったりの日々を送っていました。

もう35年間続けています…。

母にとっては父はもうすでに自分の心と一つなんだと思います。

最近は足が悪くなってきたため、お墓参りだけは足が遠のきましたが、夫婦として、夫婦をしてきた期間だけ思い出の積み重ねがあるように、亡くなられたからといって、自分の心に<無理>をして乗り越えていかなきゃならないとは思いません。

自分の心に<無理>をしないで、娘さんの成長をお仏壇を通してご主人に報告をされたり、愚痴を聞いてもらったり、悲しさをぶつけたり…貴女の心を開放していかれたらどうでしょうか…。

母も初めのうちは良くお仏壇の前で泣いていました。

私達はそんな母を見守りながらも、存分に泣かせてあげる時間を持てた事で、私達も母も、父が亡くなった事を受け入れられていったのではないかと思っています。


辛い時にはガムシャラに踏ん張るのではなく、仏壇の前で思いっきり泣かれてください!

悲しさや辛さは吐き出してしまいましょう!!

落ち込んではいられない!と、奮起する事も大事ですが、それは存分に落ち込んでから…か…と…。

悲しみ、苦しみから抜け出すのではなく、受け入れて、そこに新しい喜びとか、嬉しさとか、温かさとかを重ねていかれれば良いんだと…思えませんか?

もちろん、娘さんを立派に育てていかれるには弱音を吐いてもいられない!…のも解ります。

でも、人の心ってゴムみたいにピーンと張ってばかりいては伸び切ってしまいませんか?

弱さを認め、悲しさを認め、その上で、娘さんとの<幸せな日々>を積み重ねていきましょうよ。

又可愛いペットを迎えてはいかがでしょう?

何も考えず、可愛さに笑顔が引き出される…日常が又変わりますよ。

私は愛猫が獣にやられた時に半日声をあげて泣き続けお別れをし、今また愛情を注げるペットの命を守りながら、心を癒されています。

お忙しいと思いますが、貴女自身の息抜きのために趣味の時間を設けられてはいかがでしょう?

図書館で絵本を読む事は?

娘さんとゆっくりとした時間を味わえますよ。

肩の力を抜いて、ぼ~~っとした時間のゆとりも必要かと思います。

親子二人のカラオケタイムは…?

腹から大声を出すのは心にも良いんです。

頑張っている自分へのご褒美にプチリッチなケーキの甘さも、お腹だけでなく、気持ちを満たしてくれます。


少しずつ、焦らず、貴女の笑顔が毎日一つづつでも増えていかれますように…!

心に無理をしてまで頑張ろうとされませんように…祈ります!

その上で、頑張ってくださいね!応援しています!!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も41歳のおばさんです。でも未亡人になるには若すぎました。

回答者様のお母様、ご立派ですね。
亡くなったお父様の存在を、心のよりどころとされたのですね。
私はまだまだ未熟で、あっけなく逝ってしまった夫に、怒りを感じる
ことさえあります。
私は、これまで人前で泣かない。自分のような人間が強いと思っていましたが、今は自分の感情のままに泣いたり叫んだりできる人がうらやましく、自分の弱さを痛感しています。
小学生の娘とは、1人親の寂しさを味わわせたくないという気持ちもあり、休日には二人でお出掛けしまくっており、表向きは能天気親子です!
それだけに、一方で何に対してもイマイチ楽しめない自分が嫌で、娘にも申し訳なく思います。
ダメですね。書いていて、本当に情けない。早く本物の笑顔が作れますように!温かいメッセージありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 12:21

ずっと義実家との関係で気を張っておられたのでしょう。


状況が少し落ち着くところへ落ちついた。と云う事で緊張が解けたのだと思います。
いま悲しみに浸る時があってもそれがすぎればご主人さまとの良い思い出がよみがえって
生きる支えになるのではないでしょうか。私は昨年末の弟を亡くしました。大好きだった祖母
よくしてくれた義父母、若くしていった母、93まで看取った父、
沢山の亡き人に見守られている様な気がします。
愛は生きているものと逝ったものを繋ぐ橋と言う言葉があります。
自然に気持ちがおさまるのを待てばよいだけだと思います。
だれでもあることです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「愛は、生きているものと逝ったものをつなぐ橋」という言葉
胸に響きます。
主人との楽しい思い出さえも、思い出すことが苦しくて封印
しているところがあったりします。
まだまだ人間が出来ていないな、と痛感します。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 12:11

素人考えですが、軽い鬱が周期的に


来ているような気がします。
1度心療内科受診されてはどうでしょう。

とにかく心に余裕をつくり
“日にち薬”を信じませう。

奮起する必要はひとつもないと思いますよ

負けん気でまともに顔面受けするよりもむしろ
サラリと体をかわして受け流す大人の
テクが必要な気がします。
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この回答へのお礼

早々の回答ありがとうございました。
「日にち薬」・・・信じたいです!

お礼日時:2011/09/26 12:07

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