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原爆に関わる写真や資料を見る機会がありました。

その中にとても印象的な写真がありました。
被爆前の原爆ドームをバックに、母親と幼い娘が笑顔で写った写真です。
写真には「8月5日撮影」と説明がついていました。

次の日に起こることなど知る由もない母娘の姿に切なさを覚えたのですが、前日に爆心地で撮られた写真が何故、燃えずに残ったのでしょう?
また、写真を撮った日にちが明確に分かるのは何故ですか?当時のカメラに、日付を記録する機能などついているのでしょうか?

原爆の展示を見てから1年以上経っています。
原爆もののドラマかなにかで見た映像と、記憶が混ざってしまっただけで、そんな写真は初めから存在気しない気がしてきました。

A 回答 (4件)

私の知ってる家族で「広島平和祈念公園」「原爆ドーム」に行った事が無いのは、実は私だけなんです。

自分が生きてる間に一度、訪れてみたい場所です。そして平和の尊さを改めて実感したいです。

あの原爆投下という悲惨な結果の遺産は我々が守っていかなければなりません。そして戦争の悲惨さは、私達が語り継いでいかなければなりません。つとに原爆投下にしてみれば、語れる体験者の多くは高齢化してきており、よくその人達の話に耳を傾ける必要があるでしょう。

被爆体験を語れる人がいらっしゃるという事は、あの悲惨な状況にあってもなお、生き残っていた人がいた事を如実に物語るものです。お亡くなりになった漫才師の「喜味こいし」さんも被爆体験をしており、テレビで語っていた姿が印象的でした。

私が考えるに、当時は「広島県産業奨励館」という建物であった原爆ドーム。可能性としては、8月5日にたまたま広島に訪れていた親子が、当時では「高層建築物」であった「広島産業奨励館」をバックに記念写真を撮ったものと考えます。そしてその親子は広島から離れた。その翌日8月6日午前8時15分に原子爆弾が投下されてしまった。それで親子は難を逃れた、写真も難を逃れた。昔の写真は裏に日付を書く習慣があり、その親子が自分達が記念写真を撮った場所がその写真の場だった事を知り、裏に日付を記録したか、もしくはそういった事は意識しないで、いつもの習慣で日付を書いたかしたかと思います。日付が8月5日に撮影されたものである事はこれで分かります。

実際、私の実家に残る戦前・戦後の古い写真には、例外なく裏に日付とか撮った場所など鉛筆で書いてあります。そういった背景からも、おそらくは、そういった理由で写真が残り、日付も判ったものと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。

なるほど、たまたま訪れていた可能性があるのですね。
あの写真は本当に印象的だったので、記憶違いでなくて良かったです。
写真の裏に日付を残しておいたのですね。
きっと、写真が現像されたときには、既に被爆していますね。
どういう気持ちで、日付を書いたんでしょうか…

お礼日時:2011/10/31 20:30

(戦時中は)写真撮影なんてとても贅沢なことですから、


たまたま旅行や(入隊親族への)面会などで訪れた際に撮影したと考えるのが普通です。
つまり、撮影後に移動して、
原発投下時には爆心地から遠ざかった場所にいたためフィルムが残ったのでしょう。

デジカメや携帯電話での撮影が主流になった今の時代の人にとっては、
「写真はいつでも撮れること」ですが、
フィルムカメラの頃は一般的には(写真撮影は)年に数回程度のことなので、
家の近くで何気に撮影することは皆無に近いと推測します。
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なるほど、最近のかたはそういうふうにお考えになってしまうのですね。



原爆は確かに悲惨でしたし、二度とあってはなりませんが、あれだけ市内で生き残った人がいるのですから、当然、人体と同様に生き残った写真はたくさんあります。逆に言えば、生き残って後遺症を抱えた人が多い点こそ、原爆の恐ろしさを物語ってもいますよね。

それに、ご回答にもあるように、その写真が翌日もドームにあったとは全く限りません。爆心地から日帰りで行ける遠さにあった可能性はじゅうぶんにありますし、記念写真を撮るくらいの人ですから、かなり遠くへ帰っていった観光客であった可能性も大いにあります。

また、日付が写真に自動的に入らなかった私たちの時代には、記憶で写真に注釈を付けていましたわけですが、具体的には、まず写真を撮る。それを写真屋さんで現像およびプリントしてもらって、1週間後とかに受け取る。それらの写真を並べて、「これは、あの時の。あれは、この時の」と思い出を振り返りながら、写真の裏に日付や場所や人名を書いたり、アルバムに貼りながら台紙に書いたりしていました。

特に、そこまで鮮明な写真なら、たとえ被写体がフィルムを安全な場所に置いたまま、何らかの事情で翌日に亡くなったとしても、近親者が「この人は、この日に、ここに行ったはずだ」ということを知っている可能性はいくらでもあります。

とはいえ、美しい形のドームと、くったくのない笑顔が、その場所では今、見られないのが残念ですよね。
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たまたまその母親と幼い娘が原爆の被害に遭わなかった地域からの観光客でその写真が観光記念の写真であったのかも知れませんよ。



昔、写真上に自動的に日付がプリントなかった頃は、写真の裏に日付や場所や人名等を鉛筆等で書くのが一般の慣わしでした。

観光地の観光客目当てや修学旅行に引率するの記念写真屋さんは日付明記の為に、日付の看板を置いたり、カメラのネガに日付を手動で置ける仕組みになっていました。
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