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現在の剣道の竹刀の長さは成人男子は概ね3尺9寸から8寸です。
日本刀の長さは概ね2尺6寸位のものです。何故、長いものを使う
のでしょうか?間合いが実践より長くなり、現実的でないと思います。
また、面打ちなどは、日本刀を振りまわす場合は打ち且つ引くと思いますが
剣道では打ち且つ押す様な打突になっていると思います。
剣道は実際とは無関係なものなのでしょうか?
しかし、江戸時代に盛んになった剣道の原型は何処かの段階で変質したので
しょうか?

A 回答 (4件)

お返事いただいていたんですね。



>実刀より2尺6寸も長く踏み込む?

それは無いと思います。日本刀の二尺六寸というのは、刃長のことですよね。一口に日本刀と言っても打刀と太刀があってサイズも色々ですが、70センチ前後の刃長のものが比較的多いように思います。二尺六寸、つまり78センチというものも決して珍しいものではありませんが、この長さは刃長です。全長78センチでは柄の長さを入れると刃長が60センチ未満となり、脇差サイズとなります。

他方、竹刀の三尺八寸とか九寸というのは柄の長さ込みの物です。柄を除けば80数センチです。なので,日本刀と竹刀の刃長の長さを比較すれば、5、6センチの違いです。竹刀の方が少し柄が長いため全長ではもう少し違いが大きくなるかもしれません。でもそうだとしても、7、8センチ。長く踏み込む訓練用の物としてはちょうど良い加減の違いだと思いますがね。

>剣道形の方が、実践より乖離している訳ですね?

前回も申し上げたように、竹刀撃ち込み稽古と形稽古(剣道形)は二つで一つです。どちらか一方だけになるとどちらも実戦から乖離します。形稽古だけでは実戦の呼吸がつかめません。竹刀稽古だけでは刀の操法が身に付きません。表裏一体のものなんです。

>本当の実践(ママ)を再現するならば、打ち太刀は2歩位歩み足で一気に間を縮め一気の打突をすべきでしょう。それが、形に再現されてないのが、乖離なのではないでしょうか?

何本目のどの太刀を指摘されているのですか。とはいえ、明治大正の達人が各流派から抽出したエキスを云々する能力は私にはありませんのでお相手はご遠慮します。
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江戸時代の頃から三尺八寸の竹刀です。



そもそも,剣道は江戸時代の竹刀撃ち込み稽古を起源とします。当時は,竹刀打ち込み稽古によって崩しやタイミングを、そして形稽古や組太刀稽古によって身体の運用方法や合理的な太刀筋を学んでいました。竹刀稽古だけだと太刀筋が学べませんし,形稽古だけだと実戦における崩しやタイミングを学ぶことが困難です。

これは今でもそうです。昇段試験の際は必ず木刀による剣道形が試されますので,剣道でも形稽古は必須です。竹刀による撃ち合いだけが剣道ではないのです。付言すると,古流のひとつである柳生新陰流も現在形の他に防具を付けて竹刀撃ち込み稽古をされるそうですし,実戦剣術として名高い天然理心流も幕末の頃から竹刀試合を行っていました。

なので剣道が変質した訳ではないのです。竹刀ははじめから三尺八寸だったのです(より正確に云うと大石進が五尺超の長竹刀で江戸を席巻した後三尺八寸を定寸としたようですが)。

ではなぜ二尺六寸の日本刀より長いのかというと,ひと言でいえば,竹刀は専ら打ち込み稽古に使用されるものだからです。

真剣勝負の場において日本刀で斬りかかるのは大変な勇気のいるものだと聞いておりますが,おそらくそうなのでしょう。出ているようで足は前に出ないはずです。なので,実戦の場においても足が十分に前に出るように普段の稽古においては必要以上に踏み込む稽古を重ねていました。そのための竹刀の長さが三尺八寸です。竹刀が長くなるほどより長い距離を踏み込まなければ届きませんから。

それと,二尺六寸の長さで切っ先を触れ合うと近すぎます。やってみてください。これはおそらく実戦の間合いではないはずです。すこーし離れて相対することになるでしょう。長い竹刀になったのは,たぶんその関係も影響があったと思います。
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この回答へのお礼

より踏み込みを植え付けるために3900-2600=1300 1300x2=2600
実刀より2尺6寸も長く踏み込む?少し、説明に無理がありませんか?しかし、理屈は判る様なきもしますが・・・

日本剣道形に於いて、蹲踞した時、切っ先は間隔を明けていましたでしょうか?
剣道形の方が、実践より乖離している訳ですね?
本当の実践を再現するならば、打ち太刀は2歩位歩み足で一気に間を縮め
一気の打突をすべきでしょう。それが、形に再現されてないのが、乖離なのではないでしょうか?

お礼日時:2011/11/07 09:21

 江戸時代になり泰平の世になると剣術の稽古は竹刀で行われるようになり、北辰一刀流など現代の剣道の基礎となる剣術が最盛期を迎えます。



 しかしそのころ5尺を越えるような規格外に長い竹刀で道場破りをして回る非常識な輩が多数あらわれ、その実戦との乖離から竹刀の限界長さが3尺8寸に定められ、近代の日本人の体格向上によりさらに1寸長くなり今に至っています。

 競技として、あるいは剣の駆け引きを学ぶ手段として竹刀があり、一方で刀を用いる際の理法を学ぶために日本剣道形があります。
 現代の剣道家はそのほとんどが昇段審査の前にしか剣道形の稽古をしませんが、これこそ剣術の本質を今に伝える剣道の真髄であり、それを無視して剣道が変質したとは論として成り立ちません。

 高段位の先生方ほど、竹刀の稽古とは別に剣道形をこそ真剣に稽古していらっしゃるものです。

この回答への補足

乖離を意識するなら、何故2尺6寸にしなかったのでしょうか?
間合いが一致した方が実践的で無かったのでしょうか?
その様な疑問は残りますね。それが知りたいのです。

竹刀の練習は画期的だったとの記述を目にしたことがあります。
従来は木刀による形稽古しか出来なかったのを、実際に打突できる
のですから。大いに流布したのだと思います。

現在の日本剣道形は明治以降、碌を離れた、旧来の剣術諸派の
救済処置であったと思います。警視庁が中心となって、旧来の諸派
の抽象的パターンを体系つけて、一方で「竹刀剣道」を実践とは
乖離させて発展させたのだと思います。

竹刀の長さを3尺9寸にしたのは、腕の筋肉に対する負荷が実刀
の負荷に近かったのでしょうか?しかし、面の打突は実際と異なり
ますよね? やはり、剣術を危険で無い(政治的にも)ものにしつつ
武士道的精神論(修養とか・・)を付加しながら、国民皆兵の基礎
人口拡大に寄与していったのではないでしょうか?

だから、乖離についての正しいインフォーメーションは「やってる人」も
「みてる人」も目を瞑ってきたのでしょうか?
この様な疑問に的確に答えうる人材が高段者におられることを願って
います。

補足日時:2011/11/03 04:16
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剣術と剣道は違います。



相手にダメージを与え制圧するのが目的の剣術と、競技或いは精神修養としての剣道(型や立ち居振る舞い)とでは目的が異なる。

また小柄な日本人が4尺弱もの鉄の塊を振り回すのは体力的に無理。
軽量な竹刀だからこそ、長尺のモノでも無理なく扱える。

この回答への補足

「違うこと」と意識的に行ったのでしょうか?
剣術と剣道を何時の時代に区別したのでしょうか?

高杉晋作が防具を付けた写真を見た事があります。
実践と乖離したものを彼らはどの様に納得したのでしょうか?
実践が目前にある人間は、「違う」意味を考えない訳が有りません。

補足日時:2011/11/02 23:44
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